大喜利
昨日、塾バイト以外の場で初めて「先生」と呼ばれた。なんと、落研の後輩ちゃんが、ネタのアドバイスを求めてきたのだ。誰に聞いとんねん。おい。もっと実績のある学生芸人が落研にはいるのに。なんの実績もないやつに聞いてどうする。とはいえ、慕ってくれる後輩がいること、そしてネタに前向きな後輩がいることには感謝してもしきれない。
それにしても、定期的に大喜利が出来る場があるのは本当にありがたい。いや、俺が設けたんやけど。でも、「毎週この時間にみんなで大喜利をやるからみんな来てね」なんて、簡単に言えることではない。だって普通「なんだこいつ、勝手にやってろ」となるから。やろうと言ったら「わーい」と大喜利狂たちがわらわらと集まってくるこの落研という団体は奇怪そのものだし、本当にありがたい。
学外でも、先日初めて参加させていただいたテトラボのような大喜利会や、楽屋Aなどで開催していただいている大喜利ライブなど、大喜利が出来る場はたくさんあるが、そこは簡単に踏み出せるような場ではない。多分私も、落研でいっぱい大喜利をした経験がなければ今でもライブ等には出られていないと思う。だからその一歩を踏み出すための階段として、落研のようにアットホームに大喜利が出来る場は大切だと思う。仲良い人たち、優しい人たち、あったかい人たちがたくさんいる場所から踏み出せる一歩があるから。ありがてえ話だなほんと。
さて、前説が終わりました。
本日のテーマ「大喜利」
いや〜、大喜利がいっちゃん楽しいからな。
なんですけども。
ご存知の方も多い通り、さすけくんは大喜利がすごく好きなんですよね。ということで、なんでそんなに大喜利が好きなのかという理由とともに、さすけくんの大喜利のルーツ(というほど大層なものではないですが)についてご紹介しようかなと思います。
なんの実績もない、ただの大喜利が好きな一般大学生がベラベラと喋っているだけですよ。
大喜利の魅力
まず、大喜利の第一の魅力は「シンプル」「簡潔」「簡単」という点である。現代には漫才・コント・フリップなど様々な形態のお笑いがあるが、それらと比べて大喜利というのは本当にシンプルなもの。お題に対して面白いことを言うだけ。こんなにシンプルなお笑いはない。なんて分かりやすいお笑いなんだ。
第二に、大喜利には準備が要らない。漫才やコントをやろうと思えば、台本を書いたり、ネタ合わせをしたり、道具を用意したりなど、様々な準備がいるが、大喜利はそういった用意が全く必要ない。ペンとボードさえあれば、あとはもうそこに行くだけでいい。行ってお題を聞いて面白いことを言うだけである。だから、言ってしまえば毎日出来るのである。毎日別のお笑いができるのである。これすごいぜ?
第三に、大喜利はその人の面白さを測るバロメーターになる。もちろん大喜利が苦手でも俗に面白いとされている人はたくさんいる。その人たちを否定している訳では無い。ただ、面白い人を面白い人と真っ直ぐに評価するための一番の近道は大喜利であると私は思う。漫才やコントがどれだけ面白くても、所詮それは相方が書いた台本のもとに必死に演じているだけかもしれない。これは第二の魅力と通ずるところだが、芸人がどれだけの準備をしているのかは客からは見えない。これは漫才やコントを否定しているわけでは全くなく、もちろんそこのエンタメ性・競技性の面白さも十分理解した上で言っている。ただ、大喜利の凄いところは「面白いことを練り上げる過程」が目の前にあるのである。大喜利の回答者は、お題が与えられたあと考えるために一度帰宅するか?いや、しない(反語)。お題を与えられてから回答をするまでが全て目の前で行われる。すなわち、セコいことが出来ない。ズルがない。
以上3点が主に私が大喜利を愛している理由である。
大学入学までの大喜利
ありがたいことに、落研の部員の人たちや大喜利界隈の人たちから大喜利が強いとたくさん褒めていただく。本当にありがたい。そしてこれは単純に大喜利が面白いかどうかという観点に加えて、大喜利の歴という観点も含めた評価であることが多い(特に大喜利界隈の人たちからは)。それも当然、さすけナンボギがライブの場において大喜利をしたのはまだ10月の楽屋A大喜利ライブと11月の学生芸人大喜利ライブのみである。なんか急に出てきたわけのわからんやつがちょっとウケをとれば、ルーキー的な評価が加わるので評価されやすい。
しかし別に公の場で大喜利をするようになったのが大学生になってからというだけで、それまでにもたくさん大喜利はしてきた。その歴史(浅歴史)を振り返ってみる。
始まりは、高一の冬頃。中一の頃から仲の良かった別クラスの友人、宮川(実名)とSkypeでやりとりをしている時、彼がふと「明日のジャルジャルの奴を予想しよう」というノリを始めた。我々は2人揃ってジャルジャルのファンだったため、ジャルジャルのYouTubeチャンネルで明日上がるネタ動画のタイトルを予想しようというノリは普通に楽しい。しかしながら、ずっと真面目に予想し続けるわけがない。当然、ふざけ始める。「○○な奴」という形式に則った、変な奴を言う大会が始まる。友達と変なことを言い合っているのだから、当然楽しい。これがさすけの大喜利の最初であると思う。
翌日、このノリをクラスメイトとやった。この時のメンバーが後の大喜利部の初期メンバーとなるのである。当時、以下のクラスメイトの座席が幸運にも縦4席に並んでいた。
・さすけナンボギ
・不躾だねぇ、縁(よすが) or めたるごう
(北大落研、学生芸人、幼なじみ)
・じじじい
(おもしろい)
・ムエタイ教室
(天才)
家庭科やおじいちゃんの数学など、暇な授業中はルーズリーフに「ジャルジャルの奴予想する奴」とタイトルを書き、1人1奴書いて次の人に回すというのをひたすら繰り返していた。これが普通に楽しすぎる。みんなの奴が面白すぎるし、授業後の休み時間にそれぞれのお気に入りを選んでいる時間はこの世で最も平和かつ幸福な時間だったのではないかと思う。
しかしこの遊びが板に付いてきた頃、悲しいことにいわゆるコロナ期間に入ってしまい、各々自宅待機ということになってしまう。せっかく楽しい遊びを思いついて、いっぱい遊んでたのに。仕方が無いので、自宅待機が始まった瞬間「ジャルジャルの奴予想する奴」という例の4人のLINEグループを立ち上げる。全員でひたすら奴を出し、各々面白かった奴を一日の終わりに選ぶ。これを本当に毎日毎日やっていた。全員の個数を合わせると一日で数百の奴が出た日もあった。だって別に全員やることないから。面白いことを言うというのは最も手っ取り早く、楽しい暇つぶしである。そして2020年3月頃にスタートしたこれが、なんと10月頃まで続いた。頭おかしいよね。まあ当然6月頃から学校は再開したので完全に自宅待機していた期間よりかは頻度は落ちたものの、それでもずっとやり続けた。
そしてここで次の転機が訪れる。高二の文化祭。うちのクラスは展示で映画を作ることになったんだが、その映画内の企画で大喜利をすることになった(なんで?)。ここでさすけは人生で初めてホワイトボードやマーカーなどを買い、大喜利をすることになる。映画の撮影のために机を横並びにし、大喜利を撮影する。楽しい。楽しいので、撮影後も日が暮れるまで大喜利をして遊んでいた記憶がある。ここで、大喜利が楽しいということに気付いた我々は、もっと日常的に大喜利をしようということで「ジャルジャルの奴予想する奴」を「大喜利部」に改称。そして文化祭期間などを経て以下の2人のメンバーが加入する。
・柱^_^b(ニコニコビー)
公立大落研1回(浪人した)、奇人
・ボウ狂
ボウリング
この大喜利シーズンは2020年10月頃から2022年10月頃まで、実に2年ほど続いた(まじか)。途中、受験による休止期間があったとはいえ、長すぎる。そして、今は大喜利部のLINEグループはもう動いていない、わけではなく、全然まだまだ続いている。2022年11月からは、再び「ジャルジャルの奴予想する奴」に舞い戻った(なんで?)。まあでもこの形が一番、型がなく自由で、なんでもありで、大喜利の根幹みたいなものなので、全員が好きなスタイルだと思っている。まあつまり、全部含めるともう4年近く変なこと言い続けてるわけだな。変な奴ら。
そのLINEグループ以外にも、修学旅行のホテルでめっちゃ大喜利したり、たまにオンラインで大喜利をやったり、卒業後大喜利部で旅行に行ったら宿でしこたま大喜利したり、みんなでネット大喜利をやったり、たくさん大喜利をやる機会があった。大喜利を愛する仲間に出会えてよかった。
以上が大学に入学するまでの大喜利歴。正直、友達とワイワイ遊んでいただけなので"大喜利歴"というほど大層なものでは全くないのだが、今人前で自信を持って大喜利が出来ているのは間違いなくこの下積みがあったからと言える。
褒めていただくことも多いが、やっぱりまだまだ磨かなければいけない部分も多すぎるし、超えなければいけない存在もたくさんいて、壁も高い。正直どうやったら大喜利が強くなるのかはサッパリ分からんけれども、とにかくもっと色んな場にアタックしてみる必要はあると思う。というかしてみたい。
長くなりました。誰も興味無いことを長々と書きました。まあでも大喜利がいっちゃん楽しいからな。しゃあない。
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