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日本語要約 Finding Water 第10週 Uncovering a Sense of Safety

10.安全の感覚を発見する

私たちの思い込みとは裏腹に、創造性の追求に危険性は無い。創造的な流れは普通のことでかつ健全だ。私たちには友人と偉大なる創造主という防護網がある。私たちの持つ不安は、利用可能な多くのポジティブな要素にフォーカスしていくにつれて消えていく。

自分の中で発生した一撃に目を向ける時、これまでに自分が達成した創造的な成果を列挙していくと、より多くの事柄を達成出来ると気付く。自分自身で出来る小さな行動にフォーカスしよう。すると自分自身が友人や同士と重なる感覚を体感する。

10-1.Risk リスクを取って冒険する

アーティストとして成長したければ率先してリスクを冒すべきである。これまでにやってきた慣れ親しんだ範囲よりも広いことを手掛けなければならない。過去の成功体験を無期限に再現し続けることは出来ない。

リスクには取らざるを得ないものがある。その冒険心に満ちた事柄は心に囁きかける。「やってみたら楽しいんじゃない?」

アーティストとしての道筋は心の声がやりたがってる事柄に向かって続いている。それは既知の安全や習慣と真っ向から対立する可能性を示唆している。

大いなるキャリア(道筋)は大きなリスクを伴う特徴がある。過去にうまく行った事柄という上着を脱ぎ捨てて、さらなる飛躍への可能性を掴むには勇気が必要となる。

正しくリスクを冒しているかどうか判断するちはどうすれば良いか?その為には頭で考えるのではなく心の声を聞くよう心掛ける必要がある。頭の思考は常に常識とか周囲の期待とかになぞらえて考え直した事(second thoughts)や推測しなおした事(second-guessingでいっぱいである。

それらはリスクを冒すべきではない理由を1,000個くらい並べるだろう。「なぜお前はそんなバカげたことするんだ?」と頭の思考が始まる。「みんなお前のことを知ってるぞ。お前がXをやり遂げたことを尊敬しているぞ。もしYをやってたら決して逃れられなくなるぞ。」

すると心の声が入り込む。「さあ、立ちあがろう。起こりうる最悪の事態は何でしょうか?失敗すること。無難なことを選ぶよりも、やってみて失敗する方が自分を誇らしく思えませんか?」

無難に物事を進めて、同時にアーティストとして大きくなることは出来ない。自分のテリトリーを拡大するリスクを冒す必要がある。アーティストとしてのキャリアを追求するには、一定のリスクが伴う。

公共の場で活躍するアーティストは悪い内容のレビュー(明らかに不公平な内容すらある)に晒されるリスクがある。リスクを引き受ける自分に自尊心を感じられることを報酬と考えよう。自分の辿った道を振り返ると、自分の掴んだものに苦笑するかも知らないが、後悔することは無いだろう。

課題 お金にならないことをやってみる


私たちは肯定的な結果が保証されない限り、創造性のリスクを冒したがらない。多くのアメリカ人がそうである。リスクを取るなら壮大で注目に値するものでなければならないと考えている。

私たちはプロセスを「売り物」にしたがる。自分のキャリアに役に立つ見返りを求めている。しかし本当の創造性を解き放つためには、私たちはお金にもならない、つまり何かを得られる保証なしに創造する行為が必要となる。私たちは目標ありきではない創造や創作を行う必要がある。簡単に言えば、楽しく遊ぶように行動しなければならない。

ペンを手に取ろう。1〜10の番号を振ろう。自分に出来そうな10個の小さな創造的な行動を挙げてみよう。その行動は出世とか名声とかには何の関係もないものである。(それらは大抵「忙しすぎてする暇がない」と言ってやろうとしないようなことである)

例えば以下のようなことである。
明るい赤のマニュキアをする
10分間ピアノの前に座って音を出してます
短い詩篇を書いてみる
修理や修繕を行う
クローゼットの内側を青リンゴ色に塗る
ボーイフレンドをスケッチする
友達のためにバースデーケーキを焼く
ご無沙汰しているおじに葉書を送る
飼い犬のブラッシングをする
コラージュ作成をする
チョコレートチップケーキやミックスゼリーを作る

10-2.Reviews 批判を信じない


アーティストとして在り続けるには勇気が必要だ。私たちに備わる創造性に関する機能は若々しく傷つきやすい。創作にあたっては高い期待を以ている。

批判を気にしては創作することは出来ないが、そうなる可能性は潜んでいる。批判を生き延びてさらなる創作の日々を過ごすのはアーティストの努めである。

ジュリアの友人、ジュリアナ・マッカーシーは言う。「もしも自分に対する良いレビュー(賞賛、評判)を信じるつもりなら、悪いレビュー(ダメ出し、批判)も信じなければならない。」

レビュー(評判・批判)を信じるよりも、ただ自分の創作のために働く方が良いだろう。

別の友人は、自分の舞台が無事に終了するまで肯定的であれ否定的であれレビューを読まないようにしている。

レビューを読み込んで作品を台無しにしかねないのは俳優だけではない。作家もまたレビューに晒されることに苦しんでいる。アーティストがよりよい創作をするのに役に立つ正確なレビューに出会えることは滅多にない。しかし的を射たように感じるレビューがあると「これこそ自分の作品をより良くするのに必要だ」と反応する。

作品をより良くすることは、多くのアーティストにとって大事な目標である。そして心の底に抱く純粋な意図はレビューに晒される過程で失われていく。アーティストはそれ自体で価値あるものを作り出そうとしているが、多くは市場原理の中で失われていく。有名になればなるほど、レビューに晒される脆弱性も高まる。

名声が判断基準に入り込むと、しかるべき判断力が失われるように感じる。今日アーティストは、創作する者ではなくメディアの道具として見做されている。

どのようなレベルのアーティストであれ、レビューの危険性を孕んでいる。小さな町のローカル紙でもニューヨーク・タイムズの悪いレビューと同じくらい傷つくことがある。最悪のレビューは何を達成したかではなく、何が欠けているかにフォーカスしている。

批判家は頭の中に想像上の映画や本、演劇、絵画を描いているだけで、実在する作品を判断しようとしている。アーティストの人気度は関係ない。むしろ人気が高まる程酷いレビューが増えやすくなる。足を引っ張るようなレビューはアーティストを台無しにする。

アーティストとして、創作のために仕事をして、売れるかどうかの考えと健全に距離を置くのは難しい事である。言うは易しで行うは難しである。

創作に何年も費やした作品に対して、批判家は少し目を通しただけで落とすかも知れない。卒業論文のように採点されるかも知れない。3年かかった映画は2つ星しか獲得出来ないかも知れない。5年かかった作品集は運が良ければ3つ星だろうか。満点のレビューを獲得するのは非常に稀である。

それには、批判家が持ち合わせてない寛大な精神が必要になる。アーティストとして、そのような愚かな評価をどう生き延びれば良いのか?

仕事や創作を行うことは、愚かな行為への最高の解毒剤となる。何か新しいものを創作している時は、古い物事を受け入れることに振り回されにくくなる。

「私はどのようにして今している創作を好きになったのだろう?」自問自答しよう。そうすれば他の人によるレビューによって吹き飛ばされにくくなる。健全なフォーラム(交流組織)に加わることも大きな助けになる。

レビューされる過程は歴史的に見ても見当違いであり、不公平であることを覚えておこう。今日素晴らしい作品として残されているものでも、最初に登場した時は酷い批判にさらされたことは珍しくなかった。それでも前進するためにアーティストは人間離れした不屈の精神を発揮してきた。私たちは思っているより強いのである。

とあるベストセラー作家は言う。「批判家受けして成功するには読者に嘘をつかなければならない。」「自分が世の中に送り出そうとする物にワクワクしながら執筆机に向かう必要がある。厳しい批判に直面しても物事を楽観的に捉えられるかは自分次第である。」

作家は自問自答する。「人々は私の著書を楽しんでいるだろうか?」「自分はそれを執筆するのを楽しんでいるだろうか?」
どちらの答えも「はい」ならば、批判家が何と言おうと関係なくなる。

ご存知の通り、「私は正しいことを行なっている」

課題 カウンティング・クー 自分の名声を数えよう

現役のアーティストとして称賛するべきことは純粋な勇気である。創作を続けようとする不屈の精神を持っているならば拍手喝采するべきである。どのような作品の欠片であっても自分の励ましに繋がる。ビリービング・ミラーに加えて自分自身でも前進への励ましをする必要がある。

ネイティブ・アメリカンの言葉を借りると”counting coup(名声を数える)”、12ステップの言葉を借りると「ポジティブな棚卸し」である。

ペンを手に取ろう。1から5の番号を振ろう。これまでに成し遂げた創造的な成果を5個書き出そう。(それらはこれまでに作成したであろう、自分が誇りに思ってることのリストに含まれているかも知れない。)

例えば
ガッシュ(不透明水彩絵具)の使い方を学んだ
1人芝居の脚本を書いた
モノローグ形式を演じる方法を学んだ
ジャズダンスの基礎コースに参加した
ハロウィン用のコスチュームを自作した

成し遂げたことをリストアップするには、結果や完成させたものではなく、プロセスに目を向けよう。

ロマンチックな小説を書いたなら、たとえまだ売れてなくても、書いたこと自体が信用に値する。まだ会場が見つかってなくてもワンマンショーの脚本を作成した事自体がポイントを上げている。貴方をアーティストにするのは誰かに作品を受け入れられる事ではなか、自分が創造する行為にあるとこを忘れいで欲しい。

ゴッホとゴーギャンは当時は見捨てられた存在であった。ベートーヴェンの後期の作品は時代
を1世紀先取りし過ぎていた(つまり作曲した当時は受け入れられなかった)。

尊敬は行動に対して向けられる。行動にフォーカスしよう。

10-3.Receptivity 神の存在に対する受容性

創造的な生活を送る中で、私たちはしばしば自分自身が危険に晒されていると感じる。自分の創作活動が宇宙の力によって継続的に支えられている事へ突然疑いを持ちたくなるかも知れない。

確かに今日まで生計を立てて来られたが、明日も立てられる保証があるわけではない。目に見えない優しいエネルギーが包み込んでくれると感じるよりも、自ら選んだかのようにパニックに陥ることがある。そして、どうすれば前に進めるか分からず、さらにパニックに陥り、恐怖に苛まれる。

しかし実際には私たちを居るべき場所に留まれるように優しく包み込んでくれる慈悲深い網がある。私たちに幸福を願う大いなる存在がある。私たちは慎重に導かれている。導きを得るには、助けを求めるだけで良い。但し自分自身のハートを開く必要がある。助けを得るには受容的でなければならない。

中にはそれを受け入れるのが難しい人も居るかも知れない。私たちは自分だけの力で進もうとすることや、自ら意思決定する事に慣らされている。もし何かがもたらされると、慈悲深い神に感謝するのではなく、自分は運が良いラッキーだと言う。

自分の運に依存することがなぜ問題かと言うと、運とは気まぐれな存在だからである。運やツキと呼んでるものはしょっちゅう変化する。

そうではなく、気まぐれではない慈悲深い存在に頼れるならば、どれほど良いだろうか?それを見つけるには、自然界に目を向けるだけで良い。神の世界では、太陽が昇って沈む。季節はそれぞれ順番に巡ってくる。木々は芽吹き、葉を出し花を咲かせる。果物は次第に大きくなり、やがて収穫の時期になる。

私たちが自然界から離れて生活するよう仕向けるのはエゴの仕業である。エゴは、自分自身だけが自分を成長させられると言う。

そうではなく、自分自身が森羅万象を展開する偉大な計画の一部であることを祈る時、自分で戦略を立てなければならない重荷から解放される。そして日々必要となるものが与えられるようになる。行動を起こすときは、何をどのように行動すれば良いのか、明確な知見を得られる。すなわち私たちは導かれるのである。これは妄想や幻想でしょうか?いいえ、そうでは無い。

アーティストが素直に心を開いて会話する時、殆どの場合はより高次元の力に関する内容となる。それはガイダンス(導き)と呼ぶものかも知れない。あるいはdestiny(宿命)とかMuse(霊感)とか呼ぶかも知れない。

呼び方が何であれ、それは私たちの世界にゆらめく高次の存在の見えざる手である。適切なタイミングで幸運なことがもたらされたり、人から人へと導かれてたりするのは、目に見えない導きの力によるものである。

私たちの運命は、より大きな存在の計画の中で展開する。自分のしていることに手を差し伸べる時、より大きな存在もまた手を差し伸べる。

ジュリアの知人の作家曰く。
「私が執筆する時は、より大きな存在とコミュニケーションする。自分で執筆を進めているが、何か大きな存在が私を通して働きかけているように感じる。そこには私が表現したい真理がある。」

真実を言うと、私たちが表現しようと思ってる事柄は、自分で知っている内容よりもずっと大きいということである。私たちは大いなる創造主の創造計画の一部である。つまり拡大する余地がある。宇宙は私たちを価値ある計画へと落とし込む。

私たちがより大きく広範に成長しようと努力するなら、宇宙は手を差し伸べて拡大しようする。私たちが手を差し伸べる時にもたらされるサポートはそこにある。私たちが拡張することも宇宙の計画の一部である。そして私たちが拡大しなければ宇宙も大きくならない。もし私たちが自分の本質を妨げるのであれば、神の本質も冒涜する。

しかし私たちは自分が本当に拡大する能力があるのかと疑う。宇宙が安全ではないかもと感じる時は、何か良くない事が起こるのではと恐れる。そうなると時間とともに枯れていく。

その時は祈りを行おう。「神よ、私は信じています。私の信じようとしない態度を助けて下さい。」そして、信じる心を取り戻す方法を求めよう。

私たちと神との関係は潮の満ち干のようである。満潮の時は力と栄光に満ちている。それ以外の時、それらは辛うじて感じられる衰退したもののように見える。創造や製作などの行為を通じてこそ、再び触れ合えるようになる。

ある画家は言う。「絵画は祈りや瞑想だと思ってます。」「キャンバスに向かい、自分自身を空っぽにします。私は神に絵を描くように頼み、自分でコントロールすることを放棄します。最初の一筆目は自分でコントロールするとしても、その後は動くに任せて従順に描きます。」「神の崇高な何かに向かって絵を描きます。私がそれに手を差し伸べるとき、私は神に手を差し伸べているのです」

神に手を差し伸べるのであれ、御神託に手を差し伸べるのであれ、アートの創造には謙虚さがある。私たちは創りたいものを創るよう努めている。霊感に心を開いて、導きを得る。

いつも導かれると感じられるわけではない。導きを疑いたくなるときは、そのことを肯定しよう。

実際には導きを信じていないとしても、あたかも信じているかのように、私たちは行動して前に進んでいかなければならない。森羅万象のより大きな計画の中で、自分がどこに居るかの
感覚を得る。

ある作家は言う。「自分の執筆や創作を先延ばしにするのは、いつだって自分にとって危険なことである。」「先延ばしにしたまま何日も過ごすのはあり得ない」
「私が創作を始めると、突然自分の周りの世界が再び意味を為すようになる。自分の創作に取り組むことで、しかるべき展開が行われることへの信念が与えられるように感じる。」

課題 受容性を高めるエクササイズ

1時間を確保してノートを用意しよう。改めて自分にとって神聖な場所を探そう。教会、シナゴーグ、図書館、読書室、あるいは木立の中かも知れない。大切なのは自分にとって超越的な感覚のある場所を探すことだ。

場所を見つけたら、楽な姿勢で座ろう。まだノートには目を向けません。静かに座って、自分に発生する思考や感情に注目しよう。

これは受容性に関するエクササイズである。今、導きを得ようとしている。その導きは拡散的あるいは幸福感のあるものかもしれない。非常に特殊なものかもしれない。

自分の呼吸や周りにある美しいものに集中しよう。穏やかで静かになれるまでに時間がかかるかも知れない。ゆったり思考するようになると、より深い洞察が浮かんでくるだろう。どのような洞察が出てきましたか?

ノートを膝の上に開こう。浮かんできた洞察や、自分の祈りを書き留めよう。降りてきたメッセージはとても簡単な内容かもしれない。例えば、妹にもっと連絡しよう、忘れずに切手を買おう、良い観葉植物を手に入れよう、ジョニー・ミッチェルのアルバムを自分用に買おう、など。

あるいは、より大きな問題に関する導きが降りてくるかもしれない。「私は今の仕事をこよまま続けていくわけにはいかない」

もしかしたら自分の人生の何かしらの分野に関連して「進め!」の号令があるかも知れない。「私は思ってるより良くやっている」ないし「ほんの少し変えるべき点がある」など、些細なメッセージを受け取る時もある。

自分の記憶を手繰るのに必要になりそうなことを書き留めよう。これは単にチェックインしているだけである。

10-4.Productivity 生産性

ジュリアの姉妹、リビーとのやりとりのエピソード。2人は遠く離れて住むようになって15年が経つが、電話、メール、手紙で連絡を取り合っている。2人はお互いに大きなインスピレーションの源泉になっている。お互いに現在何を創作しているかの近況を報告しあっている。

リビーが大きな油画を描いている時、ジュリアは電話越しにリビーの集中力を感じとる。リビーは仕事として絵を描いており、肖像画は特に大きな現金収入となっている。そしてクライアントの反応に神経質になっている。

リビーは肖像画家としてフルタイムで働いているが、創造する喜びのために純粋に何かを創ることは稀である。しかし彼女がそれをやってのけた時、喜びが電話回線越しに大きく伝わってきた。高さが8フィートもあるプードルの立体造形を作成した時のこと。

「プードルをキッチンの真ん中に設置したのよ。訪問者は口々に驚いたのよ。私は何かに取り組んでいるのが大好き。その事は私のアーティストとしてのアイデンティティを取り戻させてくれます。」

「お金のための仕事に執着しすぎると、自分自身への尊厳を失ってしまうと気付きました。それは自分の活動があまりにも企業社会的になってしまったと感じ始めたきっかけでした。」

リビーは複数の肖像画を同時進行させている。

「みんなと同じように、私も怖くなる時があります。」「これで充分だろうか?」「一度に複数のことを手がけることで、その停滞させるような自問自答を先延ばしに出来ます。

ジュリアから見て、リビーは自分なりに仕事を楽しめるようにしているのが分かる。

リビーは言う。「私の仕事は単に見えてるものを描くだけでなく、クライアントが自分自身をどう見ているかを描くことです。」「私はクライアントにサービスを提供していると心に留めてます。それはエゴを遠ざけます。」

リビー自分のエゴを遠ざけるために仕事していると、より自由に描けるようになると気付いた。肖像画を描く時に、絵に耳を傾けてみた。自分が描きたい絵だけでなく、描いて欲しい要望にもオープンな態度になるよう努めている。リビーは「幸せなアクシデント」と呼んでいる。

「私は自分が持っていたアイデアよりも、より優れたアイデアが表れた時に躓くようです。それに対してオープンになれる時、より導きがあると信じています。大いなる高次の存在は私自身を通じて創作しようとしています。私は奉仕することを求め、霊感を求めます。私の絵画は、私に対して答えられた祈りの結果です。」

課題 裁縫道具で修繕しよう

12ステップに於いて、神という存在について「Good Orderly Direction(良い秩序ある方向)」と説明されることがある。秩序の創造に目を向けると、神の感覚に触れられるように感じる。

今回の課題の内容は、謙虚な務めである。30分時間を確保して、まだ手をつけてない修繕作業に取り組もう。

裁縫道具を用意しよう。ボタンの付け直し、穴の空いた靴下の修繕、スラックスの縫い目の補強などを行おう。

溜まっていた作業が少しずつ進んでいくの感じよう。もしかした幸福感がやってくるかも知れないので注意しよう。創造性のインスピレーションが閃光のようにやってくるかも知れない。

針仕事は想像力をかき立てる。

10-5.Prayer 祈りを日常に役立てる

補足:文中に出てくる謙虚さはhumilityであり、神の御心に従うようなニュアンスの謙虚さです。謙遜とか自分を過小評価するような謙虚さとかとは違います。

朝一番、モーニング・ページを書き終えると祈りを捧げる。自分の1日が神のご加護の元にあり、神が自分を必要としてくれるよう祈りを捧げる。祈りの答えは殆どの場合、作家になりなさい」という主旨になる。そこでタイプライターに向かって執筆する。

今日の世界では、祈りが日常的に活用されているものとして語られることは滅多にない。ここで少し秘技を紐解く。古い時代には大きな鐘の音が田園地帯に鳴り響き、祈りの合間に日常生活があった。現代の生活では鐘の音は響かない。祈りは意図的に選択して行うものになり、一般的な日常に当たり前のように組み込まれるものではなくなった。祈りを日課に組み込んだ生活をする人は稀になった。

多くの人にとって、一日は気まぐれに過ぎていくものである。朝起きて、慌ただしい出来事の混乱に巻き込まれる。そこには祈りがもたらしてくれる緩衝材のようなものは無い。

祈りは極めて役に立つものであるが、そのように見る人は滅多に居ない。むしろ、多くの人にとって祈りは難解なものであり、他にすることが無い人が娯楽的に行う怪しいもののように捉えられている。

実際には祈りは非常に実用的なものである。それはルーチンのように機能して、必要な場所に神のエネルギーを送り込んでくれる。アーティストとして、私たちは社会に貢献するために祈ることが出来る。

私たちは自分たちのしている事が大いなる宇宙への貢献になるよう祈ることが出来る。もちろん物質的ないし現実的なことを祈っても良い。直感が降りてくるように、あるいは然るべきアイデアを全うできるよう自分の仕事や創作について祈っても良い。

アーティストとして祈りを捧げる時、私たちは長い伝統に参加していることになる。何世紀にも渡り、偉大なる作品は偉大なる謙虚さから生まれた。ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の建立を委託された時、自分のスポンサーと信仰する神の両方に貢献しようとした。私たちも神への奉仕を行うことが出来る。

あるベストセラー作家は言う。「執筆している時、自分よりも高次の存在とコミュニケーションしていると信じています。」

「アーティストとして仕事することは、真に神と交流する行為です。執筆する時、私は祈りを捧げています。執筆を一日休むことは、事実上一日分の祈りをしなかったことになると感じています。」

「執筆する時に、私自身もスピリット(霊的な存在)に自分自身をさらけ出していると信じています。」

アーティストとして創作活動に完全に従事している時、自己忘却と言うべき現象がある。アーティストは自分の創造する作品を通した奉仕に没頭する。エゴが溶けて魂が磨かれる。

「私は自分が導かれていると信じています。」「私は神が真理を説くための導管であると信じています。」

「時々怖くなります。自分の表現しているものに不快感を覚える時がありますが、必要性に導かれてそれを表現していると感じます。」

「私は単に協力するために最善を尽くします。自分から怖れを取り除きたいと言ってるのではなく、怖れを然るべき方向に向けたいと言ってるのです。」

書くという行為は世俗的な活動のように見えるが、実際には霊的な助けの恩恵を受けている。

ジュリアの姉妹も画家として、自分の作品や創作がどこを目指したいのか分からなくなる不愉快な感覚を味わう事がある。

「私が耳を傾ける必要があると思われることを、ジュリアが書く時があります。」

課題 祈りを捧げる

祈りを捧げるということは必然的に心を開く練習をしていることになる。それは科学的な根拠として考えることが出来る。祈り(行動)によって何が発生(結果)するか?神は全てを見通して知っているという考え方に対して口先だけの奉仕をしたとしても、たいてい私たちが祈りを捧げない分野がある。

例えば、自分の経済状態をあまりにも世俗的な問題だと考えて、神に祈りを捧げることは出来ないと考える。ところが、ジュリアの講座の受講生は経済的な事に関する祈りを試みて、非常に有益な導きを得たと報告している。

ペンを手に取ろう。1から20の番号を振ろう。自分が祈りを捧げられそうな事柄を20個書き出そう。人間関係、自分の居る場所、色々な物事、何でも良い。

最初はとても小さな事から祈りを捧げても良いだろう。例えば「どうか良いデザインのシールが見つけられるよう助けて下さい。」そして大きな事にも祈りを捧げよう。例えば「夫と死別した妹の力になる方法を知るのを助けて下さい。」

自分が祈りを捧げようとしない分野が何かに注意してみよう。新しい髪型にするのに祈りを捧げるのは躊躇いますか?食生活の改善、率先して運動することについてはどうですか?

講座の受講生の中にはモーニング・ページの後に祈りを捧げる練習をする方も居る。夜の儀式から大きな慈悲を受け取った方も居る。祈る時間の長さはそれほど重要ではない。祈る時間を見つけることが大事である。祈る対象のリスト作成は祈りのための準備である。

10-6.第10週チェックイン

1.今週は何日モーニング・ページをしましたか?
2.今週はアーティスト・デートをしましたか?
3.ウィークリー・ウォークに出かけましたか?
4.今週、自己発見に関して重要だと感じることが他に何かあれば、ノートに書き出してください。

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