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2024年6月6日、23:30-50の20分間憎悪

 私が何を言おうが、便所べんじょがくせえことには変わりない。話は逸れるが(なぜ逸れているか、そのことは後にしよう)日本において水洗トイレが発展すればするほど、水位は下がり、流すための水は少なくなる。水量ではなく、水流を利用する。
 どこから水を吐き出し、どういう経路であの衛生陶器の研究し尽くされた釉薬のガラス面を這い、結局のところどうやって糞の塊を流すのか。
 で、以下のようになる。糞の塊さえ流せればいいんだ。これが、水流のシミュレーションにおける最適解だ。水の量は少なくて済む。円筒状の糞と同じだけの質量を持った物体が、3次元のモデリングの内で(少々カオスを表現しながら、ただこれは流体の宿命だろう)、少ない水量であの底まで運ばれ、そんでもって人間の見えないところまでいくはずなのだ。
 事実、人間の糞は、液体である。
 バカか?
 円筒状なわけねえだろ。
 たとえかた〜い糞をしたって、すぐ千切れやがる。千切れたかたい糞はどうなる?無論、人間の見えないあの奥底に行ったあとで、じわじわと帰ってくる。
 糞したやつはそれを見ない。誰が見るか?
 次に糞するあの四角形のバラ屋に入った奴が見る。
 さらに具合の悪いことに、人間はほとんどかた〜い糞なんかしねえ。吹き出すんだな。円形状に。
 で、今の発達した水洗トイレの曲面はどうなってる?ほとんど平面に近い。それは水流のシミュレーションが示すあの曲面だが、ほとんど勾配はありゃしない。
 だから、吹き出した、ほとんど液体状の糞は、あのファッキン平面ー曲面に飛沫として降り注ぎ、点状の爪痕を残す。
 シミュレーションにおいて、液体の飛沫なんかは無視したほうがいいんだ。それで社内は、開発は、ハッピー。そうだろ?丸く収まる。糞がな。

 で、そればかりではない。
 一番最悪のトイレットペーパーは想定しない。それなりに質は悪いが、それなりに質のいいトイレットペーパーが、今しがた糞をした人間にさえ見えなけりゃそれでいい。ペーパーは溶ける?馬鹿言え。溶けたやつが浮き上がってきてるじゃねえか。茶色いシミをつけながらな。
 それからウォシュレット。てめえの尻の穴に水を噴射してみろ。必ず跳ね返る。物理はそうなってんじゃねえか。そうだろ?
 で、糞するやつは、というかウォシュレットを使う野蛮なやつは、必ず前屈みになっている。要するに、ケツの反射面は、そっくりウォシュレットのノズルが飛び出したところに跳ね返る。
 さらに具合の悪いことに、ケツと便座の最後部は前屈みになっているから、くっついちゃいねえ。だから、便座にまで糞がついているだろうウォシュレットの飛沫がついてやがるんだ。
 後追いで、初見じゃ訳わからねえところから、便座を拭くための洗浄液が重力に従って噴射するあのユニットが壁についている。馬鹿か?
 とはいえ、あまりにも昔の水洗トイレの水位は、確かに水位が高過ぎた。ほとんどケツの穴の目の前。作用反作用の法則だよ。下側に向かって発射した糞は、そのまま上にあがる。スローモーションの、雫が雨だまりに落ちていく瞬間くらい、生きてりゃ一回くらい見ただろ?それが糞で起こる。
 そういう反省から、水位を下げたんだろうが、ある時期でやめなきゃいけなかっただろうな。特に和式。まあいい、もう洋式の水洗トイレは絶望的な未来しかまってない。
 で、便所がくせえのは、じつは糞のせいじゃない。だから話が逸れたんだ。
 尿なんだよな。仕方ねえ、立って、隣の人の視界の端にちんぽを出しながら、(わかるぜ、その角度から一般的な水流を出したら、なるべく跳ね返らないように研究し尽くした角度だってのは)勢いよくくっせえ液体を出さなきゃならん。恥だ。一人として同じ位置にちんぽはなく、一人として同じようにちんぽは曲がっておらず、一人として小便器との距離が同じやつはいない。
 汚垂石の隙間を埋める樹脂のコーキング。まあ石はいいさ。このくせえ尿がそれより臭くなる前に吹きゃあなんとかなる。だが、樹脂は、いくら組成を変えたところで、てめえで尿を吸うことだけは変えられやしない。そんなら当たり前のように、経年劣化とともにくさくなり、染み付くわけだ。俺にゃあ我慢ならん。家のトイレは、使い捨ての雑巾で(あのカピカピになるわけわかんねえ丸洗いシートなんか信頼しちゃいねえ、だってペーパーなんかよりもはるかに溶けないのだから!)、ごしごし拭くさ。
 だいたい、なんで隣のやつの前でアソコを出して、あんなうっすい壁の中でケツださなきゃならねえんだ……………。


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