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【漂うあの鳥|単車|生きる貨幣|グリフィス】こたつの中で思い出すのは太陽のみ

◯漂うあの鳥

 正確な描写。確かに、人に比べればじゅうぶん大きな川の、亀の甲羅のような極めて自然的で鯖的な地球の記憶を残した水面の、初日の出、とかいういつもと変わらない太陽を凝視して、赤から、だんだんと光量を増してゆき、馬鹿げた白色、ついにの白色、その複雑な膜の肌理を台無しにしてしまう白色がすっかり空っぽの愛撫になり、橋に犇く人間のうちの誰もが、この寒さに耐えきれず、向こうに見える水鳥を指差して、あの空よりも自由な、とうの昔に落ちた木の葉が浮くように漂うあの鳥を見ながら、とはいえ身に纏っているのはあの鳥の仲間の羽の束であって、とすれば、すでに、まだ太陽が赤かった頃から、太陽に背を向け、むしろ見つめていたのは赤く染まる落ち葉だったことをその瞬間に忘れていて、家に落ち着くと、こたつの中で思い出すのは太陽のみで落ち葉は無視されていて、このくだらぬ脚の先の冷えと、熱線の吸収、誰も必要としていない蜜柑、誰も必要としていない生命……………。

◯単車

 箸を七本ほど集めたような太さの枝が、木登りをすると折れる。俺はそれを拾う。持ち歩く。荷台の後端を上方へ向けて折り曲げた(これは田舎において、単車を模したもので、教育者からは忌み嫌われる風習である)"ママチャリ"が通りかかり、その瞬間、俺はその枝を投げる。すると、タイヤに刺さった枝は、フレームにぶつかり、タイヤの動きを強制的に止め、チャリンコはひっくり返る。その時湧き上がるものは、笑いである。そして擦り傷、そして謝罪。そして忘却。そして反芻。そして苛立ち。そして暴力。そして報復。そして忘却。そして加齢。そして疎遠。もうおさらばだ……。

◯生きる貨幣

 最も読書に集中できる場所は、昼間の高田馬場駅のJR側の改札前の床だった。私はそこに座り込んで本を読むのが好きだった。道行く人の影も音も聞こえなくなり、私は没頭して、時間を忘れる。私は床になる。私は喧騒になる。私は生きる貨幣になる。

◯グリフィス

 何かやろうと思って、結局のところ川柳になった理由を、仮に今流に青年期に求めるとするならば、私は裸で、私は暴力で、私は肉体で、筋肉なんかそぎ落としたくて、ああ、いいよ、ベルセルクのグリフィスで、いらないよ、この肉、いらないよ、この随意、いらないよ、内省、いらないよ、尿意、いらないよ、引越し屋の汗が染み込んだ段ボール。

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