統合失調症患者として生きる 2

今回は、入院するまでのことを書きます。

40分あれば通勤できていたのが、異動になり。本社勤務から工場勤務になって電車で片道二時間かかるようになってしまい、苦しい通勤時間を味わうことととなっていました。

この頃、「夜の電車の中がまぶしいな」と思ったことが印象に残っています。

私生活では、当時の夫が「夫婦なんだから、一緒に夕ご飯を食べよう」と言い、「俺が帰ってくるまで食べるな」と言ってきたり(空腹)、話の感想として「うんこだなあ」「あれ、おちんちん帰ってきたの?」など、成人とは思えないふざけ方をしていたのもつらかった。

毎日泣いていて、その時は暴力を奮われていなくてもあざができていました。

はじめて受診するクリニックに行き、出勤している医師の曜日の都合で数日休み、「休養をとることが必要」との診断書を本社の総務部長に渡したら、解雇の書類を渡されました(診断書を郵送すれば時間的に余裕ができたかもしれないとも思います)。

「懲戒解雇にしたかったが、会社も私も第三者を納得させる理由がない。再就職の時に説明できない」などと脅すような言い方をされ、これから別の会社の採用試験を受ける際にこの会社に電話がかかってくる可能性があるので、会社都合退職なのに自己都合退職にしてしまいました。

その後、元夫は私がよく病欠したせいで会社をやめさせられたと解釈し、うらめしげてはありましたが、離職票が届かないことについて会社にプレッシャーをかけてやれと言う程度には、私の味方ではいました(健康保険の脱退届けが届かないことについて、市役所から会社に電話してもらった)。

退職したのは夏でした。ものを覚えておくことができないと自覚していて、青々と生える街路樹のイチョウの葉を食べたら頭がよくなるかなと思っていたのを覚えています(認知症対策にイチョウ葉のサプリメントが使われていることを知っていたので思ったのです。認知症ではなく統合失調症の認知症状だったようです)

ある夜、夫が寝ているうちに図書館で借りた本を読もうと思って本を用意するも、社員旅行で悔しい思いをしたことを思い出して泣いていました。夜が明け、夫が
「山茶花、ごはん作ってえ」
と言ってきたので、
「義母のところに行くの、ごめんね!」と本をかき集めてカバンに入れ、外に出ていったのでした。

義母の自宅に案内されたことはあってもその時はたどりつかず、それでも自宅には戻りたくないのでその辺の公園で過ごしていました。
その時は、ただのんびりしたいとしか思っていませんでした。

日本史の文化史で習った仏像を直接見に行きたい、という考えがふと浮かび、駅に向かいましたが不審に思ったお店の方が、私の所持品に載っている実家の電話番号に連絡して、両親がタクシーで迎えに来ました。

実家での私は同じ話をしたり、テレビを新聞紙で覆ったり、夜になかなか寝ないので、家族は危機感を覚えたそうです。

高校生の時にはじめて受診したメンタルのクリニックでもあり、異動前に受診したところでもあるSクリニックに両親と共に受診し、紹介状を受け取りました(開封の紹介状でしたが、父が「山茶花はそれを見てはいけない」と止めたのが印象に残っています)。

はじめて受診する別のM.Sクリニックにも母となぜか行きました。この時は待っている間頭を覆って横になっていて、呼び出されてもまぶしいのがつらくて動きたくないと言いました。

ある時、夫が実家に来て
「一風変わったホテルに泊まるだけだから」
と言って、両親と私を乗せて車を出しました。その建物に入る時に「○病院 精神科」と書いてある看板が立っているのは確認しました。

診察室ではなく「家族療法室」に通され、両親と夫と私は入りましたが医師はいません。話し声が大きい、うるさい。こんなので医師との面接ができるのだろうかと思いましたが、面接なしで入院が決まりました。

部屋から出されて、書類を渡されたのです。 
「あなたは入院することが決まりました。
(隔離に◯、拘束という文字も印刷されていましたがこれには◯がついてませんでした。)」
理由に三つほど文があり、最もましな
「他の患者との人間関係を損ねるおそれがあるため」
というものでした。

外から鍵をかけられるが内側からは鍵をかけられない保護室に連れられて行き、医師が来て
「ここがどこだかわかりますか」
と質問されましたが、答えませんでした。ホテルという嘘をつかれたこと、精神科病棟であることがわかる看板を見たことは覚えていましたが、言葉になりませんでした。

また、
「盗聴器がしかけられていると思いますか」
とも質問されました。実はこれは意地悪質問です。これには、「隣の家の声が丸聞こえだから、我が家の話も聞こえているだろう(ここまで推測)隣の家の家族は我が家を探りに引っ越してきて、盗み聞きしているのではないか?(これは妄想)」と考えていたのが夫に伝わっていたからですが、盗聴器どころか、保護室を監視カメラでモニターしていたので、話がややこしくなる悪い質問です。

その病院の保護室にはナースコールがありませんでした。壁にモジュラージャックとおぼしき端子がありましたが、通話できる機械はありませんでした。日中、他の部屋の患者が大きな声で看護師を呼ぶ声がして、怖くて仕方ありませんでした。
「看護婦さん、高すぎる」「こんなに大きい声で呼びかけているのに、聞こえないんですかー」

こうして、私の入院生活が始まりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?