見出し画像

ヨコハマ・パラトリエンナーレ「パラ枠をこえる伝えかた」乙武洋匡さんが登壇!

ヨコハマ・パラトリエンナーレ<コア期間>2日目(11月21日・土曜日)は、「パラ枠を超える伝えかた」をテーマに公開トークが行われ、ゲストに乙武洋匡氏を迎えた。会場の横浜市役所アトリウムは、コロナ感染増のため予定されていた一般観覧席が撤去、招待されていた「メディアラボ」のメンバーのみだった。

多様な20人が集まり9月から約3ヶ月オンラインでこのテーマを話し合ったコミュニティ・プロジェクトが「メディアラボ」である。

乙武さんについて

乙武さんは、四肢欠損で生まれつき手足がなく、大学3年のころの著書「五体不満足」がベストセラーとなったことで知られている。常に特別視されて育ち、大学卒業後スポーツジャーナリスト、東京都教員を経て、政治家をめざしていたがスキャンダル(2016年)で政治家への道を断たれる。

多忙な日々から一転し37か国を放浪。帰国後、パラスポーツ取材、YouTuberとなった。義足エンジニアの遠藤謙氏とともに義足で歩けるようになることを目指した「乙武プロジェクト」にも取り組む日々。

画像5

乙武:「僕は(大学生時代に『五体不満足』)本が売れて、進路を考えていた頃(22歳)、福祉やバリアフリーに従事する進路が自然だと思われていました。でも、五体不満足読んだ方はわかると思いますが、僕は福祉の道へ行きたいとは思っていませんでした。幸か不幸か顔が売れた自分が福祉に進めば、やっぱり障害者は福祉という固定概念がロックされてしまう。逆に、意外性のある分野で期待を裏切りたいと思いました。

当時はまだパラリンピックが知られていないような状況で、障害者とスポーツのつながりが見えていなかった時代でしたけど、体を動かすことやスポーツを観ることが好きだったので、このスポーツを仕事にしたら、え?障害があるのに?そんな分野で?!って、いい意味で(世間を)裏切れるかなと思ったんです」

画像2

乙武:「もう一つは、私自身がメディアに取り上げられるとき、いつも自分は全部の障害者を代表することはできないと説明しても、番組の尺の都合とかでカットされ、結局、障害者を代表する形になってしまうことが煩わしかった。それで、自分が語るよりもスポーツライターとしてアスリートの頑張りを黒子として書く方がラクだなぁと思ったのはありました」

中嶋:「それで、知名度があって、誰もが知っている乙武さんは選手じゃなくジャーナリストになったんですね」
対峙するインタビュアーは、メディアラボ・ディレクターで、車椅子インフルエンサー・中嶋涼子氏だった。気さくな雰囲気で、台本なしのフリートークに挑んだ。

画像3


最近の乙武さん

乙武:「最近YouTubeもやってますが、(インターネット番組の)Abema TVで水曜日のメインキャスターとして出演しています。そのAbema TVの画角が(みていただくとわかりますが)、普通バストアップかと思いますが、Abema TVの画角は首より上なんです。

それで、最近テレビではなく、インターネットでニュースをみて乙武を知った若い人は、YouTubeをみて、え、乙武さんて手足ないんですか?!って驚いて書き込みしてきたりするんです。

あの人、障害者で車椅子で活躍してるよね、じゃなくて、ニュース番組で司会やってる人がじつは手足なかったんだ!ってなるんです。時代は来るところまできたんだなと思います」

中嶋さんはじめ、会場に集まったメディアラボ・メンバーは、障害当事者、障害当事者の家族、障害や伝えることに関心のあるアナウンサーなどがいた。メンバーは中嶋さんの質問に心を合わせながら話の成り行きを見守っていた。

乙武さんしかいない・・

乙武:「4年半前のスキャンダルのあと、海外放浪した。五体不満足から20年、メディアに出る障害者は自分しかいなかった。早く自分以外が出てこないかなぁというのもあった。

この4年の間に相模原市で障害者の方が殺傷される事件があり、リオパラリンピックがあり、24時間テレビに対して初めて”感動ポルノ”という批判が沸き起こったりしました。けっこう世の中で障害者がキーワードになるようなことがありました。
ただ、そういう話題が起こると、自分は自粛していると言っても、コメントを求めるメディアがきました。2年経っても日常的にメディアに出る障害者が現れなかったので、乙武しかいないのは不健全だが、乙武すらいないのはもっと良くない。
そこで、のこのこ戻ってきたわけです(笑)。

それからまた2年たって、いまは車椅子にのったアイドルやユーチューバーが増えてきたと思います。若手が充実してきたので、もう引退してもいいかなと思っています」

中嶋:「みんな乙武さんに憧れているんです」

乙武:「憧れているようなことじゃダメなんですよ、あのオッサン老害だから追い出そう!って、ガツガツこないと」

中嶋:「私は、“乙武超え“めざしてますけどね、なかなか超えられません。中嶋さん車椅子だったんですね!って言われるレベルに到達するってけっこう大変なことですよね」

画像4


パラ枠を超える発信へ

乙武:「LGBTQの方々も同じ悩みを抱えています。(もと女子フェンシング日本代表でLGBTQの当事者活動をしている)杉山文野もそう言ってました。メジャーなところで活躍するには、障害の当事者の文脈じゃないところで活動しないとって。健常の視聴者がみて、なるほどね、と言われることもしゃべれないと、さらに話が広がっていかないでしょう」

中嶋:「乙武さんはスポーツライターの経験が生きてますよね、後輩に対してアドバイスはありますか」

乙武:「経験は役に立っていると思います。僕も芸能とか、正直興味なくてもコメントしないといけない。興味ないことでも勉強が必要。将来的に芸能活動したいという障害者の方は、いまはYouTube番組をもてるから、自分の番組でインタビューをして知識を伸ばすということができると思います」

中嶋:「実は私もYouTubeで人生が変わりました。喋るのが面白くなって。きっかけの入りは自分の障害かもしれないけど、そこから会話が広がります。障害をきっかけにしてもいいと思います」

画像5

乙武:「いいと思います。伝える側として興味を持ってもらうには障害者でなければ理解できないことが軸になる。でも、その立場だけで発信をすると、障害に関わりない人に響かない。健常者から見た障害者ってどう見えるのか?知っておく必要がありますよね」

午後のお茶の間を盛り上げるライブトークは、当事者YouTuberどうしの確信に迫る対談を交えながら、ハロウィンで本物の死体と間違われるという自虐ネタを披露するなど、過去のスキャンダルが転機となり成長を重ねた現在の乙武さんに学び、リラックスした雰囲気で行われた。

招かれていたメディアラボ・メンバーも質問し、記念撮影してお開きとなった。乙武さんが去った後、会場にはメディアラボ・メンバーがリアル対面を楽しんでいた。

会場で撮影を担当したカメラマンは、事故で片足の機能を失った。質問コーナーで自分がマイクが回ってきたら質問しようと待ち構えていたが、残念なことにチャンスは巡ってこなかった。
「乙武さんは大きなスキャンダルもあったけどもの凄く強いと思う。どうやってメンタルを鍛えたのか、それを聞きたかった!」と悔しがっていた。中嶋さんも「あっ、それは私も聞きたかった!」と、自分も実は用意していたのにと悔しがる。閉会後もリアル会場では話題が尽きなかった。

ヨコハマ・パラトリエンナーレは11月24日まで新市庁舎で開催される。同イベントのプログラム全てがオンラインでも展開され、ココナ禍を機会に、これまでマイノリティのみが抱えていた困りごとを障害のない人と共有することで、コロナ終息後の共生社会づくりを確実にしていこうとしている。

広いアトリウムに巣食う蜘蛛の糸のごとく飾られたインスタレーション作品その他の展示に触れると同時に、オンラインによる「障害者と多様な分野のプロフェッショナルによる現代アートの国際展」にパラムーブメントを訪ね、感じてみてはどうだろうか。

(写真 山下元気)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?