助けて!ハリポタ未履修だったのにホグワーツ・レガシーでスリザリンに狂わされてセバスチャンへの激重感情を3万字書いてる。
2023年2月にSteam版やPS5版が発売された、19世紀末のハリー・ポッターの世界を冒険できるオープンワールド形式のRPGゲーム「ホグワーツ・レガシー」にわたしは今、現在進行形でハマっています。
1か月ほどかけてプレイした初回時、終盤に差し掛かった3月上旬、わたしの頭の中はセバスチャン・サロウというスリザリンの五年生のことでいっぱいでした。どうにかして彼を闇堕ちから救い出さなければいけないという一心で、彼の前のめりな選択をすべて否定し、彼が最悪の手段に出るのをなんとしても止めなければと思いつめて夜も寝れない日々を過ごしていたのですが、わたしはついに彼を止めることはできませんでした。
もう発売から4ヵ月が経ち、5月にPS4版が出てからも1か月経ったのでネタバレは気にしないで書いていきます。
だって検索するとこんなんだし。
そう、このゲームではセバスチャン・サロウを助けることはできません。
あれだけ彼の人生に入れ込ませておいて、最後は彼を突き放すことしかできない恐ろしいゲームです。
スリザリン生としてホグワーツ魔法魔術学校に眠る巨大な力を狙う勢力と戦ったり、密猟者グループを壊滅させたりという濃すぎる一年を過ごした転入生=わたしの働きによって最優秀寮杯で加点されスリザリンが優勝する歓喜の輪の中に、あんなに激動の日々を過ごしたセバスチャンも、彼の親友のオミニスもそばにいない友の不在に号泣してしまいました。
賢者の石のラストでダンブルドア校長がグリフィンドールに対して加点に次ぐ加点をした結果、誇らしげに笑うドラコ・マルフォイたちを尻目に、後出しジャンケンのようにホールの旗をスリザリンからグリフィンドールの旗へと上書きした屈辱を考えると最高の演出のはずなのに、そこに数ヶ月を過ごしたはずの友達がいないのです。
エンドロールを見つめながら、わたしは心にあいた穴に塩を塗りたくられるような痛みとともにポロポロと涙がこぼれてきて、それを止められなくなりました。深夜4時。この感情を収めてどうやって寝ればいいんだろうと思いながら、わたしは二周目を始めようと決意しました。
この記事は、セバスチャン・サロウがホグワーツ・レガシーでハリー・ポッターという物語世界においてどういう位置づけで捉えられているのか、そして情念渦巻くスリザリンの既存のキャラクターたちに引けを取らない強いインパクトをプレイヤーに残す彼の生き様を考えていきたいと思って書きました。
一応書いておきますが、ホグワーツ・レガシーの制作に原作者J・K・ローリングは関わっていません。なので舞台作品「呪いの子」のように地続きの作品であるとは言えないのですが、かなり原作に準拠した作りになっているので、あらゆる人物やストーリーにはハリー・ポッターで描かれた関係性への可能性や、描かれることがなかった側面を掘り下げようとする気概を感じています。
※この記事は約3万字あります。暇なときに読んでください。
ゲームをはじめた経緯
わたしは実はハリー・ポッターを避けて生きてきたので、まずは映画を履修するところから始めました。
そもそもハリー・ポッターのファンでもないわたしがなぜホグワーツ・レガシーをやろうと思ったかというと、2022年にひとつも話題のゲームをプレイできなかったからです。ELDEN RINGも、Strayも、なにもかも。なので今年は何に置いてもゲームだけはすると決めていました。
ある時ゲーマーの知人と雑談中にその話題を出したら「ハリー・ポッターのオープンワールドゲームがもうすぐ出るよ」と教えられ、「ハリー・ポッターは観たことないけど、映画作品が舞台のオープンワールドゲームって凄そう」という観点からせっかくなので映画を履修しつつ、ゲームを楽しもうと思った次第です。
それから映画を観始め、アズカバンの囚人のエンタメ的面白さに感動し、「ハリー・ポッターって面白い!!」という衝動で、まだ途中でしたがゲームをダウンロードしました。
その後のハリポタ遍歴については長くなりそうなので別記事として書こうと思っていますが、ゲームをやりながらアズカバンの囚人以降のハリー・ポッター作品とファンタスティック・ビースト3作を観て、呪いの子を観劇(4時間号泣)。現在は原作小説を日英同時進行で読んでいる形です。
セバスチャンの好きなところ
最初に書いた通り、わたしはセバスチャンをどうにかしたかったと思い詰めて涙するくらい肩入れしているのですが、彼の一番好きなところを挙げるとするなら「努力次第でいくらでも結果を変えられると信じているところ」です。
そんなセバスチャンを親友のオミニスは「あいつは絶対に諦めないからな」と評します。
ゲームをプレイしていると、どうやら魔法族という生き物は、普通の人間(=マグル)とは少し考え方が異なり「結果は変えられないもの」という概念に縛られているように見えます。それはおそらく、ハリー・ポッターという作品のベースには原作者J・K・ローリング自身が持つイギリスの階級社会に対する反発心があり、魔法界/Wizarding worldという場所がイギリスにおける階級社会の上流の暗喩として描かれていることに関係があるように思えます。
階級というのは本人の努力でひっくり返せるようなものではなく、貴族に生まれれば貴族だし、平民として生まれたら頑張っても金持ちの平民にしかなれないもので、そうした固定概念にとらわれている魔法族にとって生まれによって全てが決定づけられたり努力で覆らないこともあるという、どうにもできない因果律に縛られるのは分かる気がします。
作中あらゆるところでマグルや、魔法族の生まれでありながら魔法を使えないスクイブに対する差別的な態度を見ることになります。マグル出身という理由で生徒たちから疎まれている先生への悪口なども耳にしますが、そのくらい魔法族にとっては生まれがすべてであり、運命というものがはじめから決まっていてそれを覆すことは難しいという価値観が垣間見られて興味深いです。
セバスチャンの双子の妹アンは、本編開始以前にゴブリンによって呪われ、あらゆる手を尽くしても治らなかったことから現在はホグワーツを休学し、フェルドクロフトという村で叔父と暮らしています。
セバスチャンは彼女をなんとか治したい一心で「まだ全てを試したわけじゃない」と闇の魔術に傾倒していくのですが、妹自身も叔父も「呪いは絶対に解けない」と受け入れていて、逆に危なっかしいセバスチャンを止めて欲しいと言ってきます。
わたしは魔法族ではないので、彼らが既に「呪いは解けないという結果を受け入れていること」の方に違和感を覚え、何が何でも諦めないぞというセバスチャンにこそ人間味を覚えて肩入れしてしまいます。この時点ではそう感じるプレイヤーの方は多いのではないでしょうか。
オミニスもまたアンの呪いを受け入れている節があり、闇の魔術から手を引いてくれと言った後でまだ関わってると知ると、怒りながら「俺はアンを失ったも同然だ」と言うのは正直ひどい話だと思ってしまいました。
ですが逆に、周りの人たちがどうにもできないと思っているアンの呪いに対して「まだ全てを試したわけじゃない」ともがくセバスチャンは魔法族として生まれながら、どうしてそういう性質を持つようになったのでしょうか?
それはきっと教授職にあった両親の影響なのではないかと思っています。
セバスチャンとアンの両親はともに教授で、ある夜、研究に没頭するあまりランプの毒素が原因で亡くなったという話をオミニスから聞くことになります。セバスチャンはことあるごとに「教授だった両親の影響で本は全て読む」という話をすることから、亡くなった両親が彼の心のよりどころとなっている様子が垣間見えます。
19世紀末の英国はライトの転換期にあたりますが、マグルの道具をさほど重要視していなさそうな魔法族にとって、ランプ(オイルランプ?)を使って図書館にこもるというのは少し珍しい気がします。便利だからという理由で使っていたなら魔法族らしからぬ柔軟さを感じる話です。
セバスチャンは幼心にそんな彼らの探究心に憧れ、マグルの道具だろうがなんだろうが、使えるものは使いこなしてやろうというポジティブなパワーをその背中に見ていたのかもしれません。
そして、彼がイケメンとしてデザインされていないところも好きなところです。そもそもホグワーツ・レガシーのキャラクターは、ネームドのキャラクターもモブもみんな同じようにありふれた顔をしているところにリアルを感じます。
「たゆまぬ努力で才能を開花させて闇堕ちする男の子」と聞くと勝手に美少年を想起してしまいますが、セバスチャンはどちらかというと田舎育ちの野良犬のような泥臭さと愛嬌のあるソバカスだらけの芋系男子です。角度によってはのほほんとした男の子に見えますが、やたらと大人びて感じることもあるので、大人への階段をのぼる最中の絶妙な年代だなあと思わせます。
ありふれた容貌をしていないキャラクターといえば、彼の親友のオミニス・ゴーント君です。サラザール・スリザリン直系のゴーント家で、パーセルマウスで、生まれついての盲目の美少年です。瞳孔が無く、青白い宝石のような瞳が美しくて引き込まれてしまいます。
ある時、彼をスマホの壁紙にしていたのを夫に見られて以来、「なんちゅう壁紙なんだ」と小言を言われています。日頃セバスチャンのことをいっぱい言ってるのに壁紙がオミニスだったのは我ながらガチ感を出してしまったなと思いました。
当時はアイコンだらけの画面の隙間からオミニスを覗くスタイルでしたが、今では開き直って整理したり、気分で壁紙を変えるためのショートカットも作りました。
最悪のはじまり。書斎ですれちがう二人を見て欲しい
ここからは、セバスチャンにまつわるクエストをかいつまんで、セバスチャンというキャラクターを掘り下げていきたいと思います。
ホグワーツ・レガシーでは、五年生でホグワーツへ転入してきた転入生=プレイヤーが学校の内外でさまざまな人との人間関係を通じて過ごしていく「人間関係クエスト」をこなすことでストーリーが進み、ハリー・ポッターの世界観や人間関係を追体験するという設計がなされていますが、メインストーリーは「古代魔術の使い手として、古代魔術にかかわる陰謀に巻き込まれる」という、原作ファンにとっては少しピンとこない要素にスパイスを加えるため、4寮それぞれの友達キャラクターが設定されています。
中でも濃くかかわるのがスリザリンの五年生セバスチャン・サロウなのですが、セバスチャンとのクエストの中でもかなり好きなクエストが「書斎の闇の中」。なぜならこのクエストが唯一、セバスチャン、オミニスと共に三人で探検するクエストであり、動かせる人が多い分、演出がリッチだからです。
セバスチャンのストーリーには、湿度の高い人間同士の愛憎や、両親を失った子供の行く末、魔法使いと許されざる呪文の関係だったり、ハリーの仇であり最強の魔法使いヴォルデモートに接続するゴーント家の人物が関わるなど、原作においてかなりエモーショナルな部分が煮詰められているところが面白い。
その面白さの基点となるようなクエストが、この書斎の闇の中なのです!
本クエストの直前に起きる言い争いをした二人を眺めるだけ(??)のイベントでは、オミニスから聞いたサラザール・スリザリンが残した書斎に凄い本があるかもしれないと思ったセバスチャンが書斎に連れて行って欲しいと迫りますが、闇の魔術への反発心から家を出てホグワーツに来たオミニスは拒否。
それでもあきらめきれないセバスチャンが、あろうことか転入生に向かって「君がオミニスを説得してくれ」などと言い、転入生の謎の口八丁でオミニスを導いてサラザール・スリザリンの秘密の書斎に向かうことになりました。
直前に意見の不一致から言い争いをしている二人は一度も視線が交わることがないまま、書斎へと続くサラザールが残した迷宮を進みます。
見てください! この、薄暗い石造りの迷宮を視線を合わせることなく進む少年たちを!
そもそもオミニスは盲目なので目が合うことはないのですが、スリザリンの書斎に入る前に意見を違えてしまった二人の少年がそのまますれ違っていく仄暗い未来を予兆させる、美しい演出だと思いました。
書斎に行く途中「クルーシオを使わないと出ることも進むこともできない部屋」に閉じ込められるという最悪の展開になります。扉の前にはオミニスが「世界で一番好きだった」と語っていた、父の姉に当たるノクチュア叔母さんの白骨死体が見つかります。
これで完全に取り乱したオミニスは俺たちもここで死ぬんだ、来なければよかったと嘆きます。扉のほうに来てくれすらしません。
一方セバスチャンは状況をすぐに受け入れて、クルーシオを使えば前に進めるからやろうと言います。
この書斎に来る直前、(選択肢によっては)転入生はセバスチャンからオミニスがどうして闇の魔術を嫌っているのか、昔話を教えてもらいます。
(要約)「オミニスの家族は遊び半分でクルーシオをマグルにかけてたみたいなんだ。マグルの叫び声がいつまでも耳を離れないらしい。
初めてやれと言われた時も唱えられないでいたら、家族は罰としてオミニスにクルーシオをかけて苦しめ、二度目の強要では折れたらしい」
それを知ってて「これはオミニスが得意だから、あいつが唱えるべきだな」と言うのは酷すぎないか? と正直思ってしまいました。
この先には選択肢が二つあって、転入生かセバスチャンのどちらかがオミニスを説得する流れになるのですが、転入生が説得する選択肢を選ぶと、オミニスは「俺は一度でもクルーシオを使ったことを後悔している。どうしてもというなら君たちで勝手にやってくれ」と突っぱねます。
セバスチャンは危機的状況にあってもクルーシオを使うことより死を選ぶというオミニスの選択に対して「信じられない!」と憤慨しますが、プレイヤーからしてもその選択は少し極端に映ります。
セバスチャンはオミニスがしている後悔とは「罪のないマグルに(強い憎しみがないと成功しない)クルーシオをかけてしまったこと」だと思っていますが、オミニスの言い分によると「クルーシオを使えてしまったこと」それ自体が後悔であり、忌むべき家族と同じように見ず知らずのマグルに憎しみをぶつけることができる自分に対する悲観から、家族を捨てたと言っています。
つまりオミニスにとっては「やったことは間違ってない」という言葉は慰めでもなんでもなくて、そのことをセバスチャンは推し量れていなかった節があります。
最初に述べたとおり、セバスチャンは魔法族らしからぬ性格で「努力次第で結果はいくらでも変えられる」と信じているように見えますが、オミニスは本人が望むか望まないかによらず、魔法族の中でも極めて苛烈な純血主義を貫く古めかしいゴーント家の思想で育てられているため、なかなかそうは考えられません。
だから、原因と結果の因果関係において何よりも「原因」を重要視してしまい、「相手を憎まないと使えないクルーシオを使えてしまうこと」それ自体がよくないという考えから前に進めなくなるのです。
しかしセバスチャンは原因と結果の間の「過程」を重要視しており、この場面では一人で訪れた結果、誰にもクルーシオを使えずに息絶えたノクチュア叔母さんの白骨死体を目の前にして、生き延びるという結果にたどり着くためにどうすべきかを考えています。
セバスチャンが説得する選択肢を選ぶと、いかにクルーシオが許されざる呪文であり、呪文を受けるともだえ苦しむとはいっても「理由を知っているから犠牲者ではないし、同意があれば拷問には当てはまらない」というロジックで説得しようとしますが、オミニスはそもそも「使える」という事実を許せていないので失敗に終わります。
転入生でもセバスチャンでも、どちらが説得しようとしても結局オミニスがクルーシオを使ってくれることはありません。
そして、すぐさまプランBに切り替えます。
セバスチャンは生き延びるためならなんでもする。なぜなら彼はどんな手段を使っても目的を遂げる狡猾なスリザリンだからです。
「僕がクルーシオを教えてもいいし、僕が君に唱えてもいいけどどうする?」と聞いてきて、あまり感情を見せない転入生もさすがに「え!聞いてないよ!」と驚きます。
セバスチャンは「自信がなかったから」と言います。使ったことがない呪文で失敗するかもしれないなら、経験者のオミニスの方が成功率が高いと踏んだのでしょう。
しかし「オミニスも分かってて、僕たちを追い込んだ」という言い方は少しばかり被害者意識が強い言い方にも感じます。ノクチュア叔母さんのことを教えてくれなかったり、自分が頼んでも案内してくれなかったことに対するイライラ感もあるのかもしれません。
ここで最悪の選択肢「クルーシオを覚えないからわたしにかけて/クルーシオを覚えるけどわたしにかけて/クルーシオを覚えるしあなたにかけるね」の三択が出されます。
ここまでセバスチャンとオミニスの視線が一度も交わらない様子を見せつけられた中で、転入生とセバスチャンが向き合う構図で見つめ合うことになるのがクルーシオをかける/かけられるシーンという、どうしようもなくこじれた人間関係を思わせてグッと来てしまう。
「不死鳥の騎士団」でベラトリックス・レストレンジが放ったアバダ・ケダブラによって、ようやく家族になれそうだったシリウス・ブラックを目の前で殺されて怒ったハリーが、彼女にクルーシオを放つシーンがある。
愛する人を殺された直後にもかかわらず、ハリーのクルーシオには威力がなく、ベラトリクスは高笑いをしてその場を逃れていった。
それに引き換え、セバスチャンのクルーシオはしっかり苦しそう。なにせクルーシオを喰らったら体力ゲージが瀕死状態になるのです。ちなみに転入生がセバスチャンにクルーシオをかけても、わりと長い時間もだえていました。
不死鳥の騎士団はホグワーツ・レガシーの転入生達と同じくハリーが五年生の時の物語なのも相まって、ハリー・ポッターという才能ある男の子であっても覚悟と強い意志を持っていないと許されざる呪文を使えないし、逆に容易くその一線を超えていく彼らの危うさへの示唆を感じます。
こうしてサラザール・スリザリンの書斎にたどり着いた3人は、中でサラザールが残した本を手に入れます。とにかく帰りたいと言うオミニスとは対照的に、セバスチャンは誰も手にしていないだろう本を手に大はしゃぎ。この時ばかりは妹のことは頭になさそうに見えます……。
セバスチャンは書斎への迷宮に入る際に、パーセルタングで扉を開けたオミニスと、得体のしれない力を使う転入生と自分とを比べたのか「君たちといると疎外感を感じる」とつぶやきますが、彼の心のよりどころである教授の両親の探求心に誇りを持っているセバスチャンは、今まで誰も読んだことがないだろう本を読み解いてみせるという自信にあふれているように見えます。その探究心が正しい方向に向かいますように……。
書斎の外に出られると、すぐさまオミニスはセバスチャンに「闇の魔術に近づかないと誓ってくれ」と言います。セバスチャンは「わかったよ」とだけ答えてクエストが完了し、寮は目の前だというのに、そのまま二人は別の方向に歩きだしていきます。
わたしは初プレイ時セバスチャンに対してこの時点でだいぶ沼っていて「エー! クルーシオしてくれるの!?」と舞い上がってしまい「教えてもらうしかけてもらう」という最悪の選択肢を選んでしまったのですが、「クルーシオを使えてしまったことを許せない」と考えて家を出るまでしたオミニスからすると、親友のセバスチャンが転入生に対してクルーシオを使えてしまう場面を耳で聴いて、さぞ恐ろしかっただろうなと思って反省しました。
さて、余談ですが英語版のクエスト開始時の二人の会話が素晴らしいので見て欲しい。
<日本語版>
セバスチャン・サロウ:暗くて、不吉な回廊。僕好みだな。
オミニス・ゴーント:つまらないな。
セバスチャン・サロウ:おい、今のは笑えたろ。
正直なにを笑えばいいのかと思ってしまうこのセリフ、英語だとこうなります。
<英語版>
Sebastian Sallow:Dark, ominous corridors, My favourite.
Ominis Gaunt:No comment.
Sebastian Sallow:Come on, that was a good one.
セバスチャンは不吉(Ominous)とオミニス(Ominis)をかけたシャレをかましてたんですね!!よくこういうジョークを言っているのでしょうか。19世紀の少年が繰り出すジョーク、めちゃくちゃいいなと思いました。
余談に重ねてさらに余談ですが、オミニス/Ominisという名前はエドガー・アラン・ポーの「大鴉/The Raven」12節から取られているという話が英語版Fandomに書いてありました。
Kindle Unlimitedにあったので読んでみると、英語の詩的表現はほとんどわかっていないようなものですが、全編を通してなんとも物寂しい詩でオミニスの人生を考えさせられます。オミニスって今際の際に「Nevermore」って言って死んでいきそうですよね。もしくは「Nevermore」という声を聴くのかも……。
最悪の伏線回収、混迷を極める友情
スリザリンの書斎で見つけた本を読み解いたセバスチャンは、スリザリンが残した「遺物」がフェルドクロフト近くの古い地下墓地にあることを導き出し、この遺物がアンを救う鍵になると踏んで転入生を誘って探し出すクエスト「時間の闇の中」はセバスチャンとオミニスの取返しのつかない選択が描かれている重要なクエストです。
この遺物のデザインは、どこからどう見ても激ヤバのブツである。
これにアンを救えるかも? と希望を見出すセバスチャンは相当限界が近いと思うので大人たちはちゃんと手を差し伸べて欲しいし、インペリオなんぞを報酬にしないで欲しい。
クエスト前から嫌な予感しかしないが、クモだらけの地下墓地を進んでいく。
転入生とセバスチャンはちょっと危険な場所を冒険するのが楽しそうなので見ていて楽しくなります。転入生はセバスチャン以外の友達と冒険することもありますが、セバスチャンと行くときは対等の仲間であり悪友といった雰囲気で軽口を叩き合うので、見ていて微笑ましくなります。
しかし、のんきなテンションもそこまでです。かつて地下墓地で遺物を見つけたホグワーツの学生の手記に服従の呪文(インペリオ)についての記述を見つけます。
魔法省に禁止されるまでは許されざる呪文に対するペナルティがなかったどころか、学校の課題にすらなっていた様子が見て取れます。
そのメモを見て、必要になる場面があるかもと思ったセバスチャンは転入生にインペリオ覚える?と聞いてきます。
セバスチャン曰く「数で劣勢の時に役に立つ」らしい。さすが、常にプランBを用意する男です。
クモだらけの地下墓地をの先で遺物を目にすると、やたらテンション高めに「もしかしてぇ~!?」と大声を上げ、「信じられない!」と大興奮。いろんなことがあったけど、この子も15歳の男の子なんだと安心させられます。
このテンションの上がりようを見ていると、レイブンクローのオタク味を感じなくもないので、一日のほとんどを図書館で過ごして本に顔をうずめていたというご両親はレイブンクロー生だったんじゃないかなあ……。
遺物を手に入れ、地下墓地を出ようとすると見慣れた人影があります。そんなまさか……!
目が見えないのに、足場の悪い地下墓地をついてきてくれてたなんて。
セバスチャンが闇の魔術への関心を失わないばかりか、危険そうな遺物を持ち出そうとするのを止めようと、追いかけてきたと言います。
おいセバスチャン! やっぱりやめようよ、こんなことは……。
しかしセバスチャンは遺物を持ち出すと言って聞きません。なんとなく水かけ合戦の様相を察した転入生が仲裁しようと間に入るとセバスチャンが一言。
ウワー!
かなり序盤から学校でオミニスが言ってくる「あいつは絶対に諦めないからな」がまさかこんなところに繋がってくるなんて!
こんな最悪の伏線回収をしてくるゲーム、なんなんですか!?
絶対に遺物を持ち出させたくないオミニスと話す転入生は遺物を持ち出したいセバスチャンに賛同するかしないかを選択することになり、それによって3つの分岐があります。
「インペリオに頼らずに言葉でオミニスを説得する / インペリオを覚えたのでオミニスと同意の上でインペリオをかけて洗脳する / インペリオを覚えなかったけど同意の上でオミニスを洗脳するためにその場でインペリオを覚える」
うわー最悪!
わたしは初回プレイ時、とにかくセバスチャンに踏みとどまって欲しかったので、セバスチャンの行いを全否定してインペリオも覚えずにいると、後からやってきたオミニスに「さっきはセバスチャンを止めてくれてありがとう。俺たちでセバスチャンを説得しよう」と言われ、話の流れと謎の口八丁で二人を言いくるめて地下墓地を出ることになりました。
セバスチャンは、いつもは頑固なオミニスが転入生に言いくるめられていることに少し不服そうでしたが、一応は穏便に出られました。
しかしセバスチャンの意見に賛同すると、「それで友情が壊れてもいいの?」「自分の意志じゃなかったら誰も責めない」とささやいてオミニスを誘導します。
インペリオのことを言っていると察したオミニスがおそるおそる言うと「そうだよ」と言葉を続け、書斎へ進むためにクルーシオをオミニスに使わせようとしたセバスチャンが言った「同意があれば拷問には当てはまらない」理論を用いて、友情を壊さないために同意してくれたらインペリオを使うからあなたは操られてわたしたちを見過ごせばいいと提案します。
一度はばかげてると言ったオミニスに転入生は「セバスチャンは絶対に諦めないから、今止めたら一生許さないと思う」と畳みかけて同意させることに成功してしまいます。怖いですね。
「友情」について言及されるとオミニスは心が揺らいで弱くなってしまいます。多分ですが、オミニスにはセバスチャン以外の友人と言える存在はいないのかもしれません。
ここでインペリオを覚えていない場合は「オミニスにインペリオかけるからやっぱり教えて」とセバスチャンの元に戻っていきます。これにはさっきまではイキっていたセバスチャンもさすがに動揺しますが、すかさず転入生が畳みかけて「責任はわたしが取る」と言うとセバスチャンが折れ、インペリオを教わることになります。
そうしてセバスチャンを心配して遠い地下墓地までやってきたオミニスを覚えたてのインペリオで洗脳すると、遺物を持って立ち去るセバスチャンと転入生を止めようとしたはずのオミニスは棒立ちです。
転入生の口のうまさには舌を巻くが、オミニスを説得して遺物を持ち出させようとするときの切り口のリファレンスはおそらくセバスチャンなので、遠回りに自分の蒔いた種に感じられ、苦い気持ちにさせられます。
しかし、これは「最悪」の始まりに過ぎない。
地下墓地を出るとフェルドクロフトがゴブリンに襲撃されている場面に出くわして、フェルドクロフトを守るために戦います。
かなりの数のゴブリンが襲ってきており、ソロモン叔父さんと病床のアンが戦っているところにセバスチャンとともに加勢します。
戦いに慣れているとはいえ、「勝ち目はないぜ」「手出し無用だ」とかなり強気な発言で戦うセバスチャン。「セバスチャン、危ない」と言うアン、「挑発するのはやめろ」「下がってろ」と危なっかしいセバスチャンをけん制するソロモン叔父さん。そして、粛々とゴブリンを片付ける転入生。
あらかた片付けたところで、タイミング悪くアンが発作を起こしてしまいます。それを見つけたゴブリンが彼女に迫り、悲鳴をあげたのに気づいたセバスチャンは咄嗟にインペリオを使ってゴブリンを自害させます。
わたしは初見時、この場面を見てショックを受けました。あんなに彼に闇の魔術から離れて欲しくてインペリオも覚えず、彼の行いを否定してきたのに結局アンを助けるために使ってしまったことに対して、なんて無力なんだと絶句しました。クルーシオは覚えちゃったから??
これ以降、サロウ家には鍵が掛けられるようになってしまいます。転入生はアロホモラを覚えているので鍵は開けられるのですが、「インペリオを使ったことに対する拒絶」がとても辛いです。妹を助けたくてした行動によって妹が遠ざかってしまうセバスチャンの心境を思うと、とても心苦しくなります。
確かにソロモンが言うようにやりすぎだと思うし、許されざる呪文で殺す以外の方法はいくらでもあった気がします。セバスチャンの根っこに闇の魔術に対する好奇心や希望があるからこそ咄嗟にインペリオを使ってしまったというのも、それはそうだと思います。
しかし、離れた位置にいたアンを助けるために斧を振りかぶったゴブリンだけを止める方法をたった数秒で考えなければいけなかったとしたら、一体どんな決断ができるんだろう?
直前にインペリオの話をしたり、インペリオについていろいろあったとしたら頭に思い浮かぶのは理にかなってるし、直接攻撃ではないからアンを傷つけることもない。現に、アンを傷つけずに助けられたことを考えると、間違ってはいなかったとも言えます。
セバスチャンの選択は概ね一言で片づけられないものが多く、プレイヤーの心に影を落とし続けていきます。
もしもセバスチャンが品行方正で学校に許された呪文しか使わないという姿勢だったらこの場で使える呪文ではアンを助けられなかった可能性もあるかもしれません。
それでもセバスチャンの選択が誤りだったと言えるのでしょうか? それともわたしがセバスチャンに肩入れしすぎているの?
最悪の没入感「何もできない」
遺物を手に入れてからのセバスチャンはどんどんおかしくなっていきます。言っていることもおかしいし、攻撃的になったりします。しかしそんな自分を「たまに衝動が抑えられなくなってしまうんだ」と振り返る冷静さは、まだあります。
そんな中でオミニスから不吉な手紙が届きます。
盲目の彼は魔法の羽ペンで手紙を書いたそうですが、そんな彼からもらった初めての手紙に「まるで別人のようだとアンが言ってる」と書かれているのは、とてつもなく嫌な予感がしてしまいます。
再び地下墓地に向かうとオミニスとアンが話をしていて「彼を守ってあげてくれる?」と言い残して立ち去っていきます。
「書斎の闇の中」で初めてオミニスと共にクエストに行った時に、わたしはこれから3人でこうしていろんな冒険をするんだろうな……という期待感を抱いていました。
しかし実際は、ようやくオミニスとクエストに行けたと思ったらセバスチャンが作り出した亡者の群れを倒して地下墓地の最深部を目指すことになりました。こんなはずじゃなかったのに。
「遺物の闇の中」の報酬がアバダ・ケダブラであることで、これが最後なのだという確信に近い予感もありましたが、心のどこかでまだなんとかなると思って亡者でいっぱいになった地下墓地をオミニスと進みます。
すると途中でオミニスがハッとして立ち止まって「アンはソロモンを呼びに行ったんだ!」と言い出します。それを受けて転入生は「ソロモンは闇の魔術を使えば校長に言うって脅してた」と言うと、オミニスは「校長の元に行って誤魔化しに行く」と言って立ち去ります。
オミニス! 君は本当にセバスチャンが言うように、権力を行使して事なきを得ようと動いてくれるのか! 友情はまだ残ってるんだ! もしかしたらなんとかなるかも! という希望を感じて一人で亡者だらけの地下墓地を進むと、ドアの先に亡者を従えたセバスチャンが仁王立ちで待ち構えている姿を目撃します。
無理かもしれない。
わたしは一目見て、彼が超えてはいけない一線を越えたらしいことを悟って、初めて高画質モードでスクリーンショットを撮影していました。どうしてその場面を高画質で残そうと思ったのか覚えていないのですが、ここでセバスチャンを撮らないといけない気持ちになって、そうしました。
手紙に「まるで別人のようだとアンが言ってる」とあった通り、中で亡者を従えるセバスチャンの様子はいつもとは違うように見えます。力を使いこなした陶酔感や高揚感がみなぎるようです。
アンの呪いを解く答えとして「闇の魔術を消すんじゃなくて、亡者と同じように(闇の魔術を)操れるようになるかも」とわくわくした表情で言います。
そこへアンが呼び寄せたソロモン叔父さんがやってきて、遺物を奪うとすぐに壊してしまいます。それで怒ったセバスチャンがソロモンに魔法を放つと、ソロモンも一気に激昂して「ここで終わらせてやる!」という殺意の強い言葉と共に戦闘開始。キレやすいのって実はサロウ家の血筋なのではないだろうか。
ソロモン・サロウに体力ゲージが表示されています。嘘だと言ってくれ。ソロモン叔父さん、どうしてわたしたちを攻撃するんですか?
わたしは泣いた。セバスチャンとソロモンは完全に分かり合えなくてもいいから、せめて適切な距離感でいられる日が来るのではないかと信じていましたが、どうやらダメみたいです。
でも「ソロモンを相手に自分を守る」と書いてあるし、亡者を全て倒せばシーンが切り替わってなんとかなるんじゃないかと思い、ソロモン叔父さんからの攻撃は避けるようにして亡者だけを倒していくのですが、遺物の効力が収まらないのか無限に亡者が湧き続けます。絶望。
どうやらソロモンを倒すしか道はないらしいと悟り、せめてセバスチャンに手を下させたくない一心で倒しました。セバスチャンに教えてもらったコンフリンゴ、役に立ったよ。
ソロモンは兄夫婦を亡くして急にその子供を引き取らないといけなくなり、やんちゃな子供を抑えるためにどうしていいか悩んだこともあるのかもしれないと思うと、少し同情してしまいます。親をやるのは得意ではないなりに、魔法使いとして真っ当に育って欲しいと言う思いはあった気がします。
このクエストの直前に、ソロモンが過去に闇祓いとして働いていたが闇の魔術師との戦いで許されざる呪文を使ったことで魔法省を退職したのではないかという話が出ます。
この話はアンとセバスチャンの推察の域を出ないのですが、もし本当にそうだとしたら、闇祓いとしての経験からセバスチャンに危機を感じとり、自分が一線を越えてしまったことに対する後悔もあって、とにかく闇の魔術から離すことだけを考えていたのかもしれない。
しかし、無限に沸く亡者よりも転入生とセバスチャンを目掛けて攻撃してくるのはやりすぎだし、親になれないにしても大人として、ここまで煮詰まる前に話しあうべきだったと思います。
その結果……。
遺物を壊し、アンは治らないと言うソロモンに対して怒り心頭に発したセバスチャンは「アンは僕が治す!」と言ってアバダ・ケダブラを放ってしまいます。
ちなみに英語だと「I won't let her suffer」と言っており、遺物を使えば彼女の痛みを操れると信じていたのにそれを壊したソロモンに対し、これ以上ソロモンに任せていたら助かるはずの妹がどんどん苦しむだけだという想いが怒りとなっているように見えます。
しかし崩れ落ちるソロモンを見て、自らの過ちに驚いて思わず杖を手放します。その表情は憎しみを募らせた人間のそれではなく、自らの衝動的な暴力に慄くような悲痛な表情に見えます。
セバスチャンはクルーシオもインペリオも知ってはいたものの使ったことはなかったので、おそらくアバダ・ケダブラも同様でしょう。
唯一アンを助けられる可能性がある(と、本人が信じていた)遺物を目の前で壊されたことで、「アンを助けようとしないなら、目の前から消えろ!」と頭に血が昇ったその瞬間、その手に拳銃があったとしたら、撃たずにいられるでしょうか?
アバダ・ケダブラは明確な殺意はもちろん、高い能力がないと使えない呪文だと言います。なのでセバスチャンに才能がなければ弾が入っていないただの銃だった可能性もあります。
しかし、セバスチャンには強い意志と高い能力、その両方が備わっていたことからしっかりと発動し、ソロモンが死んでしまったのだと思うと悲しくなってきます。
ソロモンに遅れ、アンも登場。現れると同時にセバスチャンにデパルソを放って吹き飛ばします。最悪だ。どうしてこんなことに。
セバスチャンを吹き飛ばしてすぐにソロモンのそばに寄ると、すでに鼓動が止まったソロモンの身体は力なく横たわります。まだ暖かいのだろうか……。
セバスチャンが亡者に襲われていると思ってソロモンを呼びに行ったのはアンです。ほんの数十分前には生きていたソロモンが死んでしまったことがどれだけ信じがたい出来事かと考えると、ひたすら胸が痛い。
そして、ソロモンの死因が他の誰でもない兄によるアバダ・ケダブラであることを見てしまったとなると、アンの胸中はめちゃくちゃになっていることでしょう。
そもそも兄がおかしくなったのは、自分が解けない呪いにかかってしまったことが原因であり、兄がどうあがいても諦めてくれなくて、自分には優しいソロモンもセバスチャンには冷たくしてて、温かい場所のはずの家の居心地は悪くなる一方で……。
アンは闇の魔術の本なんてなければこんなことにならなかったのにと言わんばかりに、机の上にある本を爆発呪文で吹き飛ばします。
セバスチャンは友情に亀裂を入れながらも本を入手し、教授の両親のように複数の本を参照しながら答えを導き出して使いこなしてしまった。そこに至る努力もアンを想う気持ちも、その本人によって否定され、思わず「やめろ」と叫びます。
ここで入る、俯瞰のカットが好きです。
舞台でいう下手に位置するアンが勇ましく杖を構える姿はまるで正義のヒーローで、奥で床に座り込んだセバスチャンは倒された悪党。アンとソロモンから見たら上手に位置する転入生もまた、セバスチャンが闇の魔術に手を染めるのを止められなかった敵なのでしょう。
アンを助けたいと言って禁書の棚に忍び込んだ時から始まったセバスチャンとの冒険は苦々しい帰結を見せる。
アンは「お兄ちゃんのせい」という呪いのような言葉を残し、姿くらまし術でソロモンの亡骸とともにその場を去り、絶望に打ちひしがれるセバスチャンと転入生だけが地下墓地に取り残されます。
全てを失ったショックで座り込んでいたセバスチャンが徐々に理性を取り戻して亡者があふれる地下墓地に居続けるのはまずいと思い出したのか「離れてた方がいい」とだけ言い……
そして、その場から逃げ出します。
あるいは、こんな僕のそばにいない方がいいという意味でしょうか。どっちでもありそうです。
そして表示される「セバスチャンについていく」というガイドに従って、走るセバスチャンをひたすら追いかけます。
思い返すと、ホグワーツ・レガシーはプレイヤーに事細かくいろんな操作をさせてきました。
魔法薬学の授業ではいちいち素材をボタン操作で投入させてスティックでかき混ぜさせられ、天文学の授業ではボタン操作で望遠鏡のピントを調整させられ、呪文を覚える時は杖の動きとボタン入力をさせられる。
そうすることで、プレイヤーは転入生として実際にWizarding worldを冒険し、ホグワーツで学ぶという没入感のためにあるのだと思っていました。
しかし、すべての操作はこの「逃げるセバスチャンを追いかける」という没入感のためにあったんだ!!
こんな苦しい没入感がこの世にあったのか。ムービーでもいいようなシーンをあえてプレイヤーに操作させておいて、大変なことになった友達をただ追いかけることしかできない。この間、セバスチャンは一言も喋りません。
初見時、わたしはここで涙しました。これまでセバスチャンをなんとかしたくて状況が悪くなりそうな選択肢を選ばないでここまで来たのに、ソロモンは死に、アンは本を焼いて去ってしまいました。最悪です。本当に最悪の気分です。
外に出るとようやく会話してくれますが、僕は悪くないと駄々をこねるように転入生に感情をぶつけ、すぐに理論武装して自己正当化を図ります。
ですが、さすがに自分でも動揺しているのか、もし死の呪いを知らなければ……という思いに行き当たります。
転入生はここでセバスチャンを擁護するか、突き放すか選択することができます。
そしてセバスチャンは「やり方を知っていたら同じことをした」と言う転入生に対して「僕が教えてやるよ」と持ち掛けます。
それでアバダ・ケダブラを習得することができるのですが、セバスチャンはいつの日か、誰かを殺さなければいけない時に躊躇せずにアバダ・ケダブラを使って欲しいと思って、転入生に共犯者になって欲しくて教えたのでしょうか。
一方で突き放す選択肢を選ぶと、「許されざる呪文を人間に使う事は悪」「叔父さんを殺すのは最悪」という当たり前の論調でセバスチャンを断ずる。
そうして、アバダ・ケダブラを習得しても、転入生にばっさりと否定されても「ここにはいられない」と、オミニスの名前を出します。
このモーションはクエスト「書斎の闇の中」で始終オミニスがしていた不安気なモーションです。
理論武装したり共犯者に仕立て上げたりしながらも、本心はおじさんを殺してしまったことや、アンが自分を拒絶したことなど、さっきまで起きたことに心がグラグラに揺さぶられていることがその仕草でわかります。
頭が働かず、どうしていいかわからないとなって真っ先に頭に浮かんだのがオミニスだったことを知ったら、彼は喜ぶのだろうか?
闇の中にいるセバスチャンに誰も手を差し伸べなかった
その後、セバスチャンとオミニスは地下聖堂に集まって深刻な顔をしています。
オミニスの口からは、アンがひとりでソロモンを埋葬したことが語られます。アンには優しかったように見えるソロモンを兄が殺してしまい、ひとりで埋葬する気持ちを考えると言葉になりませんが、オミニスは暗にセバスチャンをアズカバン刑務所に引き渡すと言いだし、動揺を隠せません。
多くのプレイヤーからすると、殺意がないと成功しないアバダ・ケダブラでソロモンを殺しておいて「そんなつもりじゃなかった」「助けようとしただけ」というのは詭弁に聞こえるかもしれません。
しかし、セバスチャンからすると(遺物を壊したことで)ソロモンにアンを任せていたら助かるものも助からないという焦りや憤りを感じたのだと思います。それが瞬間的な殺意に昇華したのは間違いありませんが、それはあくまでソロモン個人への殺意というより、アンを助けるための唯一の方法が絶たれた絶望からくるものだったので、あの瞬間は死ねばいいと思ったのもそんなつもりじゃなかったというのも、どっちも本心なのだと思いました。
自分以外は皆アンを治すことを諦めているので、心の底から「アンには僕が必要だ」と思っています。そして、アンがまだ助かると信じて助けようと思っているのは、世界でセバスチャンしかいないのです……。
わたしが感じるセバスチャンの一番好きなところは「努力次第でいくらでも結果を変えられると信じているところ」です。
セバスチャンは魔法族らしからぬその考えから、世界でただひとりだけアンが治ると信じてあらゆる手段を講じましたが、周りの態度を鑑みて万策尽きたと感じたのでしょう。彼はここへきて初めて前進をやめ、判断を委ねて自ら退場します。
全てを投げうってでもアンを助けるために行動した結果、世界がそれを否定するのならすればいいとでも思っていそうな言葉に聞こえます。
15歳かそこらで「この先何が起きるにしても、君と出会えてよかった」という台詞を残すのはあまりにも重たすぎますね。
オミニスはアンは既に助からないと感じているので、セバスチャンが闇の魔術に手を染めてまで助けようとすること自体を理解しきれず、助けたい一心でソロモンを殺してしまったというのは、彼からすると許されない行為です。
オミニスは「俺たちに選択肢はないと思う」と言います。彼の口からそんな言葉が出てくるとは思わず、ショックで心臓がばくばくいっていました。
確かに「自分がクルーシオを使えたこと」自体を許せないと感じているオミニスにとって、インペリオは同意のもと行えるというロジックは許容できても、成功=死であるアバダ・ケダブラに同意なんてあるはずがないので「選択肢がない」というのは理にかなっている。
それに、彼にとってはセバスチャンと同様に仲が良かったであろうアンが叔父さんの死をひとりで受け止めている現場にも居合わせています。ルールに定められている通り、許されざる呪文を人間に使って叔父を殺したからアズカバン刑務所への引き渡しは避けられないと思うのも無理はありません。
しかし、セバスチャンは禁書の棚に忍び込んだのが司書にバレたさいに「僕の他には誰もいません」と、転入生を庇ったことがあります。
セバスチャンにとっての友情がそういうものだとしたら、オミニスは何があっても自分を守ってくれると信じていたし、彼は実際にブラック校長の元に急いで誤魔化そうとして地下墓地から離れたくらいです。ここまで自信があるのはかつて彼がそうしたことがあったのではないでしょうか。それもあって、大胆な行動ができたのだとしたら……。
ここでホグワーツ・レガシーの中で最も最悪の選択肢「セバスチャンをアズカバンに引き渡す/引き渡せない」が登場します。
こんな選択肢があっていいんですか?
わたしはしばらくどちらも選べませんでした。
二度と闇の魔術と関わらないと決めたオミニスが初めてサロウ兄妹と友達になった日のこと、のどかなフェルドクロフトで穏やかな時間を過ごした夏の日のこと、アンがゴブリンに呪われたと涙する親友を慰めた夜のこと……。
初回プレイ時はそんなありもしない記憶が走馬灯となって駆け巡り、セバスチャンが悪いとは思っても、結局アズカバン刑務所に送れませんでした。
罪は裁かれるべきだと思う一方で、でも15歳の過ちでもあると思うと、それが正しいかどうかはっきりと言えなくなってしまいます。
確かにセバスチャンはやりすぎました。
ですが、早くに両親を亡くしたことや、うまくいかない叔父との関わり、徐々に弱っていく双子の妹といった、15歳の子供が抱えるには決して軽くない問題を抱えながら、周りの大人はセバスチャンの大人びた部分だけを見て「あなたは賢い」とか「彼は優秀な魔法使いの卵」などと評価しておいて彼の苦しみに寄り添おうとしていない様子を鑑みると、本当にアズカバン刑務所への引き渡しが犯した罪に相応しい措置なのかわからなくなってしまう。
アズカバンに引き渡さない選択をすると、クリア後にセバスチャンと会話するイベントが発生します。そこで転入生がアンを呪った人物の正体はゴブリンではなかったことを教えると、これまでゴブリンに対して強い敵意を抱いていたはずの彼は即座に感謝と謝辞の意を表します。
これはこれで、長いことゴブリンに怒りを燃やして生きてきたセバスチャンの怒りの矛先が実は違ったこと、そしてその仇はすでに転入生によって倒されてしまったことが、少し虚しい結末のように思えますが、見当違いの復讐心から道を踏み外してしまったことへの罰なのかもしれません。
さらにその後、セバスチャンと地下聖堂で会話するイベント「友情の闇の中」が発生します。
そこでセバスチャンの口からオミニスがアンに全てを話したことや、アンがセバスチャンを拒絶していることが伝えられます。
セバスチャンはそのことを徐々に受け入れようとしているかのように「やったことは取返しがつかないけど、償うように努力する」と言い、転入生とオミニスがそばにいてくれたことへ感謝します。
転入生がスリザリン以外だと、セバスチャンと初めて出会うのは「闇の魔術に対する防衛術」の授業です。
闇の魔術に対する防衛術の授業では檀上に上がって決闘をする例のアレをするのですが、担任のヘキャット先生が転入生の相手に指名したのが、誰もが認める決闘常勝者セバスチャンでした。
ここで負けるとゲームオーバーになってしまうことから、転入生が辿る物語はここでセバスチャンに勝つことでしか成立しないという脚本に思わず息を呑みます。
こうして、セバスチャンとのクエストはすべて終了します。これ以降セバスチャンとの会話イベントは発生せず、学校でランダムですれ違う彼の姿は退屈そうに見えます。
禁書の棚で転入生と秘密を共有した後で闇の中に入ったまま、なんとか手探りでアンを助けるためにもがいてきた彼は大きな罪を犯し、刑務所行きは回避したものの、そのアンには拒絶されたままです。
転入生とオミニスが友達でいてくれてよかったと言いますが、彼に手を差し伸べる大人はひとりもいなかったんだと思うと悲しくなりました。
ちなみにアズカバンに引き渡す選択をすると、転入生は人が変わったようにセバスチャンに罪を償わせようとしてきて恐ろしくなります。
オミニスは「間違いならよかったのに」と言いながらも、その後の始末は俺がつけてくると言います。
オミニスとはこれまでもたびたび会ったりしていましたが、彼は転入生に対して友情を感じるどころか、どんどん危険な状況に陥る親友を止めようとしない危ない人物に映っていたことでしょう。
しかし地下墓地で起きた事件や、壊れつつあったセバスチャンとの間に入ってくれた転入生に信頼を感じ、向き合えた様子がうかがえます。
セバスチャンをアズカバンに引き渡す選択をすると、クリア後に発生する会話するイベントはオミニスとの会話になり、そこではセバスチャンの時と同様に、アンを呪ったのがゴブリンではなかったことを伝えます。
学校中の人が大広間で集まっていたあの日、校長と一緒にいたというセバスチャン。オミニスは転入生と地下聖堂の外で会った時に「父は校長と友達だ、何かあればお前なんて簡単に退学にできるんだぞ」と、校長をダシにして脅してきました。ホグワーツに来てから何度もそうした言葉で脅してきた姿は容易に想像できますが、最後はまさか親友を突き出すことになるとは。
この苦々しい帰結は、ゴーント家のやり方が嫌でホグワーツに来たのに結局父親の権力を利用してきたオミニスへの罰なのかもしれません。
その後も同様に地下聖堂でオミニスと会話するイベントがあり、そこでは学校から消えたセバスチャンが現在どうなっているのか教えてもらいます。
学校中のひとびとが大広間で集まっていた日からそんなに日は経っていないように見えますが、すでに退学になっているといいます。
セバスチャン・サロウが退学になったという話は学校で禁句になったのか、誰も会話に出すことがないのがまた寂しい……。
オミニスは「セバスチャンは親友だった。もうどこにもいないなんて信じられない」と、今にも泣きそうな声で言います。
闇の魔術から離れたい一心でホグワーツに来てそこで出会ったサロウ兄妹との日々が掛け替えのないものだったことは想像に難しくありません。
オミニスが友とのつらい別れのときを共有してくれた転入生に向けた感謝を述べると、クエストは完了します。
セバスチャンを引き渡さない場合はクエスト完了のアイコンがセバスチャンでしたが、ここではオミニスになっています。
どちらにせよ、この事件をきっかけにしてセバスチャンとオミニスの友情は壊れてしまい、転入生との友情がここから始まるということなのでしょうか。
「スリザリンではもしかして、まことの友を得るだろう」じゃなかったのかよ。どうしてこんなことに……。
多くのオタクがそうしているように、わたしはイメソンを思いついたらずっと流して感傷にひたる癖があるのですが、Twitterを見る限り、クリアした直後はジャックスの「からっぽの世界」を聞いて5時近くまで眠れなかったらしいです。
よかったらぜひ聞いてみてください。わたしはジャックスを聞きながら、半分死んだような気持ちでいっぱいになっていました。
超えてはいけない一線
さて、ここまで長々とセバスチャンが辿る物語を書いてきましたが、ホグワーツ・レガシーにおける彼の物語はプレイヤーに何を伝えたかったのでしょうか?
わたしはホグワーツ・レガシーをプレイしながらハリー・ポッターを観ていった中で、ハリー・ポッターという物語の根幹は「親子の間にある愛と呪い」だと感じました。
ハリーとヴォルデモートは共に幼くして両親を失っており、同じ素材から作られた兄弟杖を使用しているという、光と闇のように対となる存在です。そのハリーとヴォルデモートが全く違う道筋を辿ったのは何故かと考えると、それは愛だと思うのです。
幼いハリーはヴォルデモートの放ったアバダ・ケダブラをはね返したことでヴォルデモートが体を失ったわけですが、当たれば必殺だった呪文をはね返せた理由は、母による古い守りの魔法が発動したからだと言います。
また、ハリーはことあるごとにほとんど会ったことのないはずの両親を心の拠り所としていたり、セブルス・スネイプが父の悪口を言った際には怒りさえします。
それはきっと、ハリーの中に両親の愛がしっかりと注がれ、彼がそれを受け取ることができたからこそ、辛い子供時代を生き抜くことができたのだと思います。
同じような境遇にありながらヴォルデモート=トム・リドルは両親からの愛がそもそもなかったからこそ、初めて安心できたホグワーツという場所への愛着が執着となり、満たされない感情から最悪で最強の魔法使いヴォルデモートとなっていったように見えます。
ハリー・ポッターでは他にもさまざまな親子の関係が描かれていますが、もちろんホグワーツ・レガシーでもさまざまな親子関係が登場します。
幼いころに父を殺され復讐を胸に秘めているナティ、密猟者だった両親への反発で動物を愛するポピーなど、暗い背景を背負っている学生はセバスチャンだけではありません。
この記事はセバスチャンへの激重感情を書くものなのでセバスチャンのことを書くと、セバスチャンもまた両親を幼くして失い、叔父のもとで双子の妹と暮らしていました。
劇中ではすでにセバスチャンは叔父との関係がかなり悪くなっており、今にも壊れてしまいそうな危うさがあります。セバスチャンが両親に愛されていたかはわかりませんが、彼の心の拠り所として「両親が教授だから本を読む」という勤勉さや探究心があることから、少なくともトム・リドルのように愛を知らない子供ではなさそうです。
ナティやポピーたちと転入生の物語は、転入生を追うランロク、ビクトール・ルックウッド及び彼の手下や闇の魔術師たちを接点に重なっていき、学生のちょっと危ない思い出の域を超えた危険な目に遭います。
ナティはハーロウを追いかけるうちにクルーシオで拷問を受け、車椅子の世話になる大けがを負う羽目にもなります。しかし小うるさく言う母はナティを頭ごなしに怒ることはせず、ホグズミードを担当しているシンガー巡査もナティを心配して駆けつけてくれます。
一方のポピーは自ら自分たちだけでは難しいとケンタウロスに助けを求めると、初めこそ魔法族をよく思っていない彼らから邪険に扱われていましたが、徐々に信頼関係を結び、最後はピンチにかけつけてくれるまでになりました。
彼女たちとの冒険は危険なこともありましたが、最後には転入生との友情に感謝しポジティブに終わっていきます。
そして、笑顔で別れるのを見て、これが、これこそがセバスチャンに足りなかったものだ……と感じて憂鬱な気持ちにさせられました。
これまで動物とばかり関わっているおかげで人間の友達がゼロだったポピーは、その後のムービーで友達らしきひとたちと談笑する姿が映るなど、転入生との出会いで彼女が人間と向き合えるようになったことがわかり、ウィーズリー先生も嬉しそうにしているのが印象的でした。
しかし、ウィーズリー先生はセバスチャンのことを「有能な魔法使いの卵」と言っていましたが、彼のそうした上辺以外の孤独には寄り添ってくれなかったんだな……と思うと憂鬱になります。わたしはセバスチャンのことを考えると気が滅入ってばかりです。
さて、セバスチャンもナティやポピーたちと転入生とのかかわりと同様に、転入生を狙うランロクやゴブリンが接点となりましたが、両親が亡くなって以来暮らしているフェルドクロフトの地にかつて住んでいた古代魔術の使い手であるイシドーラ・モーガナークという、ホグワーツ・レガシーのメインストーリーに関わる人物とも重なっていきます。
セバスチャンと禁書の棚に忍び込んだ先のペンシーブで見た過去のヴィジョンでは、かつてホグワーツの先生たちが訪れたフェルドクロフトで干ばつに飢えていたのを見て井戸の水をあふれさせる奇跡を起こし、それを見ていた幼い日のイシドーラが古代魔術の才能に気づいて、五年生で転入する様子を見ます。そして古代魔術の才能を伸ばすにつれ、自分の兄の死をいつまでも嘆いている父を助けたいと言うイシドーラの姿は、否が応でもセバスチャンと重なります。
そして、セバスチャンに連れられてアンが呪われた現場だという廃墟を探索すると、その場所こそがかつてのイシドーラの住まいであることがわかり、そのイシドーラの住居と、ホグワーツの中でゴーント家に伝わっていて彼らが「地下聖堂」と呼んでいた場所が通路でつながっていたことがわかります。通路から地下聖堂へ行くと古代魔術の痕跡から三枚絵が出現し、これをたよりにイシドーラの足跡をたどっていく事になります。
五年生で転入した後で才能を伸ばし、卒業してから闇の魔術に対する防衛術の教授となった様子を見ることになりますが、地下聖堂の入り口は闇の魔術に対する防衛術の教室のすぐ下にあります。元の用途はわかりませんが、秘密の部屋がたくさんあるというホグワーツで偶然みつけたこの場所を、イシドーラは何かと使っていたのかもしれません。
イシドーラはやがて、兄を失ってから言葉を発さなくなった父を助けたい一心で、古代魔術で苦しみを取り除く方法にたどり着きます。
これを見た先生たちはすぐに危険を感じてやめさせようとするのですが、イシドーラは立ち止まることなく、暴走していく。
そうして、力を増していくイシドーラを止められないと悟った同僚のひとりサン・バカー先生は瞬時にアバダ・ケダブラを放って彼女を殺してしまいます。
イシドーラたちの時代は非常に古く、まだ許されざる呪文として禁止されていないので、殺してでも止めるという選択肢は完全に合法です。
プレイヤーはこの一連の流れを見て「アバダ・ケダブラを使う事自体が悪だ」と思うでしょうか? 少なくとも、イシドーラの行動が行き過ぎていることは見ていてわかりますし、先生4人がかりでも止めきれない高い能力を前に死の呪文を使うしかないという選択は間違っていないように感じさせられます。
しかしセバスチャンの行いがアズカバンに引き渡す・引き渡さないという話になるのはなぜでしょうか。殺した相手が叔父だから? アバダ・ケダブラ以外に手段はあったから? それとも単に、許されざる呪文だから?
サン・バカーのペンシーブを見たことで、ついに彼らがなぜ守護者となったのか、そしてこの回りくどいやりかたを強いる理由が発覚します。
イシドーラが引き抜いた感情を壊せなかったのでホグワーツの地下に保管庫を作ることにして、後の世に自分たちの意志を引き継いでくれる古代魔術の使い手を導くために、道を踏み外さない強い精神を持つ者を探すための試練を設けたのでした。
先生たちは試練を乗り越えた転入生に向かって、守護者になるべき者の資質を口々に話していきますが、これはイシドーラが持てなかったものであり、セバスチャンが超えてしまった一線でもあります。
ウィーズリー先生や周りの大人たちが優秀で大人びたセバスチャンを推し量れなかったこと、手にした遺物の力を使ってしまうこと、生と死という生命の極みのような技術を使ってしまうこと、そして実弾入りの拳銃を持っても決して引き金を引いてはいけないこと。
イシドーラの過去をペンシーブで追体験すると同時にセバスチャンの犯した罪を間近で見てきた転入生=プレイヤーにとって、守護者たちが言わんとする人間としての一線を越えてはいけない心の強さを持つべきだという言葉は痛烈に刺さります。
イシドーラやセバスチャンはどこで道を踏み外したのでしょうか。
イシドーラは父のために奔走しましたが、見たところ父はイシドーラに対する愛は兄へのものに比べると薄そうに見えるし、セバスチャンも両親からの愛は受けていましたが、亡くなった後で世話をしてくれた叔父は彼をないがしろにしているように映りました。
ポピーはどちらかというと密猟組織にいた両親を見限っていますが、その後引き取られた祖母からの愛情は深く受け取っている様子を見られるし、ナティは年頃の子供らしく「親がいろいろ言ってきてうざい」とも感じているようですが、それは心配しているだけで、彼女自身もそれを理解しているし、最後は助けに来てくれます。
ハリーがそうであったように、家族からの愛情を受け取りそれを信じることで強く生きることができるし、家族から愛されなかったトム・リドルがどんなに才能があっても道を踏み外してしまったことを踏まえると、超えてはいけない一線を越えようとする危うさから守るのは愛情だというメッセージに思え、愛が足りなかったセバスチャンのことを想うと心臓がしめつけられてしまいました。
オミニス・ゴーントという人
セバスチャンについてあれこれ考えるうえで、オミニスに触れないわけにはいかないので(軽く)書いておきます。
彼は、セバスチャンの親友として中盤から終盤にかけて存在感を徐々に表していきますが、作中では彼がどのようにセバスチャンと仲良くなっていったのか、ホグワーツに来る前の人生がどのようなものだったのか、明確に語られることはそれほど多くありません。
ゴーント家に生まれた彼が許されざる呪文を憎み、それを使う家族と決別するまでしたという暗いバックボーンの彼が辿る苦しい友情の末路を考えると彼はひたすら悲観的な人物にも思えてきますが、ビンズ先生による退屈そうな魔法史の授業で、最前列に座っていようが床だろうがなんだろうが寝てしまったり、つまらなそうにぼうっとしている大胆な彼の姿がやたらと印象的です。もしかしたら素の姿なのかもしれないですが、そこまではわかりません。
なぜなら彼はあくまでセバスチャンというメインキャラクターの「友達」として、スリザリン生の物語をブーストする役割だからで、公式で売られている分厚いアートブック(現時点では英語版のみ)にも名前すら出てこないのです。
しかし、ハリー・ポッターシリーズを通っている人なら誰もがハッとする「ゴーント家」の人間であり、もちろんパーセルマウスで、かつ生まれつきの盲目で杖を光らせて歩く独特のスタイルなど、脇役とは思えない存在感の強さが目を引きます。
そして最大の特徴が、サラザール・スリザリン直系の家柄で過度な純血思想から近親相姦を繰り返したり、マグルへの拷問が日常的に行われるなど、魔法使いの暗部そのもののような家に生まれながら、そうした思想を全て否定し、家族を捨ててホグワーツへやってきたという覚悟がある正義感の強い人物として描かれているところです。闇の中に入っていくセバスチャンの物語を支える存在として、闇の中から光を見出して生きていくキャラクター性がこの上ない存在感を放っています。
ところでオミニスはそうした純血の家系であることを示すかのように、英語版のボイスアクターの方がとにかく美しい発音のイギリス英語を話します。
日本語版でしかやったことがないという方も、イギリスでは発音で階級がわかるとまで言われるその違いもおもしろいので、ぜひやって欲しいです。
「地下聖堂の闇の中」のオミニスの英語が良いので軽く紹介します。
英語版:That rat!
日本語版:あのネズミめ!
秘密にしていた地下聖堂をばらしたとわかると高貴な出自であるオミニスが親友を即座に「ネズミ」と罵るのに驚いてしまったのですが、Ratには「裏切り者」のニュアンスがあるらしい。いいですね、英語って……。
英語版:I don't need you to tell me about my oldest friend, Thank you very much!
日本語版:俺の一番古い友人について、君に言われる必要はないよ
文字で書かれても微妙に伝わらないと思うのですが、とくにこのセリフはものすごく美しい発音で一語一語はっきりと言っていて、「Thank you very much」というワードに皮肉的なニュアンスが込められているのに感激しました。
わたしは二周目は英語音声・日本語字幕でプレイしたのですが、オミニスが話しはじめたあたりでイギリス英語がだいぶ好きになってしまい、BBCの英語勉強アプリで勉強したりするようになりました。いつか話せるようになりたいものです。
公式に愛されるセバスチャン
気づいたら、今年買った服はスリザリンのパジャマ(GUコラボ)、呪文Tシャツ(GUコラボ)、スリザリンの靴下(GUコラボ)、セバスチャンとオミニスのクソダサTシャツ(ホグワーツ・レガシー公式Amazonストア)、スリザリンのローブ(スタジオツアー物販)です。どうしてこんなことに?
さらっと書いてしまいましたが「セバスチャンとオミニスのクソダサTシャツ」について少し補足します。
世界で10億ドル以上売り上げているホグワーツ・レガシーというゲーム。公式で売られているのは「アートブック」「ゲームガイド」という2冊の本(両方買いました)、そしてジョークグッズとしか思えないようなセバスチャンの画像がプリントされたクソダサTシャツと、その1カ月後に公式曰く「セバスチャンTシャツの反響がよかったから」と販売されたほぼ同じデザインのオミニスのクソダサTシャツです。
先日スタジオツアーに行ったさいに、夫にオミニスTシャツを着てもらいました。ちなみにツイートには書いてないですが、スタッフの方から「こないだもセバスチャン推しの人いました!」とも言われたので、たまにこれ着て行くオタクがいるらしいです。
ドラコ・マルフォイ役のトム・フェルトンがセバスチャン関連のクエストをプレイする動画が公開されるなど、公式による激しいセバスチャン推しはまあわかるとして、友達キャラクターのナティやポピーよりも早くグッズ化するところに、世界中がスリザリンの男の子二人に狂わされているんだなあと感じてしまう。
なおこの動画、公開されているのは9分くらいなんですが、トムは6時間ぶっ続けでセバスチャンパートをプレイしていたといいます。
無編集で公開してくれませんかね!?
この動画ではトムによってスリザリン寮の生徒への解釈や、彼が感じたセバスチャンの人となりについて語られていて非常に興味深かったです。
先日のスタジアムツアーのレッドカーペットにも訪れたトムの作品愛を見て、彼がドラコ・マルフォイを演じていて本当に良かったなと思います。
このnoteではハリー・ポッターについて詳しく書いていませんが、わたしがアズカバンの囚人まで観てハリー・ポッターって面白い! スリザリン大好き! と感じたのはドラコというキャラクターが好きになったし、共感する部分が多かったからです。
ドラコは両親がヴォルデモート陣営に組み込まれるのに巻き込まれて、目の上のたんこぶだったハリーをヴォルデモートに突き出すチャンスがあったのにそれをせず、ダンブルドアを殺すこともできず。そんな針のむしろの最中にいるティーンのイノセントを全身で表現していたトム・フェルトンが素晴らしいと思いました。
戦いから19年後になる映画のラストシーンでは、ポッター親子の後ろにマルフォイ親子が映っています。最終的に認め合えた二人は、それぞれ息子をホグワーツに通わせることになり、舞台「呪いの子」はそのシーンから始まり……!
このあたりの話は別の機会に書きます。
ここまでお読みいただいた方、長くお付き合いいただきありがとうございました!約3万字のセバスチャンへの激重感情でした。
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