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明るい気持ちでいること

※366日間チャレンジ、206日目。

どんな物事にも、いろんな側面がある。
その側面のどこにフォーカスするかは、個人の意識の持ち方で選べる。

どのようにフォーカスすべきか、などと、他の人が指図するのはお門違いなことが多いが、本人が自分の意思でどのようにフォーカスするかを選ぶのは、その人の自由だ。

本当につらいことがあった時には、いきなり考えを明るい方に、という風にしないほうがいいこともある。(とはいえ、トラウマとなるようなことの場合、それをどのように捉えるかなどは、本人の自己防衛本能が働いたりするので、むしろ悲しんだほうがいいだのどうしたほうがいいだの考えず、心と体の反応に任せたほうがいいこともあるらしい)

ただ、そういうことじゃなくて、日常のいろんなことの場合。

明るい気持ちでいることは、自分にとって明るい気持ちになれる材料につながることが多い。

自分にとって明るい気持ちになれる材料、というのは、言い換えれば、ラッキーなことだったり、運が上向きになると表現されるようなことだったり、嬉しいことだったり、ということだ。

つまり、明るい気持ちでいる、明るい面にフォーカスして明るい気分でいると、ラッキーなことが起こった時にそのことに気づきやすくなったり、嬉しいことが舞い込んで来やすくなったり、良いご縁を他の方々が繋いでくださりやすくなったりする、ということだ。

いわゆる強運な人や、ラッキーなことがたくさん起こるような人たちは、そういうことを無意識でやっていたり、あるいは意識的にやっていたりすることが多い。

人智を超えた奇蹟、みたいなことが起こる時というのは、そういうことを超えたところにあって、人間には全く理解不能で再現性もないことだったりするけれども、そこまでの奇蹟でなく、わりと日常的な、幸運を起こし続けたい、くらいのことだと、
「物事の明るい面にフォーカスするようにして、なるべく普段から明るい気持ちでいる」
という心がけで、かなり変わってくるようだ。

と、これまでかなりの強運や幸運に恵まれる人たちを観察してきて、思う。

人生というのは、本当に不思議なもので、良いこととされるような、何もトラブルがなく、痛いところがどこにもなく、願ったことが何でも叶って、周りには嫌な人がひとりもいない、そこそこお金があって経済的な不安がなく、長生きで健康で・・・みたいなことが、必ずしもその人にとってとても良いかというと、魂の成長とかその人自身の心の成熟とかいう話には、実はそんなに良いことでもなかったりする。

どういう気持ちで日々を過ごしたいかは人それぞれだけれど、もし自分が、明るい気持ちで過ごしたいという思いがあるなら、明るい気持ちでいられるように努力することが大切だ。

とはいえ、その努力というのは、難しいことではなく、とても単純かつ簡単なことで、
「物事の明るい面にフォーカスし続ける選択をする」
だけのことだったりする。

単純かつ簡単なはずなのだけれど、これが難しいと思う人も結構いるかもしれない。
そんなふうに人間って複雑だから面白い。

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