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仕事人ストライカーの魅せる力

憧れとの出会い

彼はストライカーだ

 今まで出会った選手の中で、ここまでハッキリと言いきれる選手は指折り数える程しかいない。その中の一人が、現在J2の大宮アルディージャに所属する河田篤秀だ。

 初めて河田のプレーを見たのは、彼が阪南大学在学中の時だった。他の選手でもよく見る、「貪欲にゴールを狙う姿」という光景。しかし、その時の彼のプレーに何故か目を惹かれた。どこか特別な何かを感じたのだ。それが何かと聞かれれば、特別ハッキリした理由があるわけでもなく、「惹かれた」と答える他なかった。

 ただ一つハッキリしたことがあるとすれば、初めて「好きなサッカー選手」というものを、自分の中に見つけた瞬間だったということだ。

プロデビュー

 アイコンからお察しの方もいるかと思うが、自分はアルビレックス新潟サポーターである。と言っても、所謂古参と言われるほど前からサポーターをしていたわけではない。2012年頃に、当時小学2年生の自分を父親がスタジアムに連れて行ってくれたことがきっかけである。

 河田篤秀という存在を知ったのは2014年、つまり小学5年生の頃ということになる。それまでは好きな選手と言える選手はいなく、「アルビレックス新潟の選手が好き」という気持ちだった(今でもそれは変わらない)。その為、特別強い思いを抱く選手がいるわけでもなかった。

 そんなサポーター生活を送っていたある日、ある報せが届く。

「阪南大学から河田篤秀選手加入のお知らせ」

 この時の衝撃は今でも忘れられない。異国の地とはいえ、まさか好きな選手がアルビでプロデビューするなんて。まさかこんな偶然があるものなのかと何度も記事を読み返したが、何度読んでも現実だった。
 嬉しいなどの次元ではない。夢なら覚めないでくれと本当に思う日があるとは思わなかった。

 とは言え、異国のリーグを観戦するというのはまず現実的に不可能だ。出来ることと言えば、試合が行われた翌日にスポーツニュースで結果を確認することくらいである。
 ただ当時の自分は、中学校に入学したばかりということもあり、そんな簡単なことさえ面倒くさがる程に疲れる日々を送っていた為、海の向こうで好きな選手が活躍していることなど知る由もなく、時間は刻一刻と過ぎて行く。
 そして、自分のサポーター人生を大きく変える瞬間が訪れることとなる。

アルビレックス新潟への加入

 2016年、アルビは他会場の結果によって残留という厳しいシーズンを乗り越えた。自分はというと、中学の部活動がかなり忙しくなったことで観戦する機会も激減し、夕方のニュース番組やネットニュースなどで結果を知ることが多くなっていた為、アルビとは少々疎遠になっていた。

 シーズンが終わり、契約云々が話題になり始めるオフシーズン。別れる悲しみと出会う楽しみ、真冬の寒さもJリーグファンにとっては春真っ只中。そんな中迎えた11月25日、金曜日で土日は部活オフ、そして誕生日が近くなっていたことで少々元気を取り戻していた自分は、ウキウキ気分で自転車を漕いで帰路についていた。
 帰ってすぐ、何をするにも先にアルビの公式サイトを開いた。選手の契約情報が気になって仕方なかったのだ。
 軽い気持ちで開いた公式サイトには、衝撃の項目が追加されていた。

「河田篤秀選手 完全移籍加入のお知らせ」

 所謂「逆輸入移籍」というものだった。目を疑い、頭が真っ白になった。そしてすぐに現実に戻る。涙が出るほど嬉しかった。
 好きな選手が好きなチームで見れる。一生分の運を使い果たしたのではないかと心配になったが、河田が新潟で見れるなら運が尽きてもいいとさえ思った。
 最近観に行けてなかったことも含め、2017年シーズンは沢山試合を観に行きたい。何より、好きな選手を目に焼きつけるこの上ないチャンスを与えてもらったからには、観に行かないわけにはいかない。
 新シーズン開幕前にここまで興奮したのはサポーター人生でも初めての感覚だった。

悪夢の2017シーズン

 開幕から大活躍!という理想は、ただの妄想に終わってしまう。ルヴァンカップには出場していたものの、リーグ戦ではなかなか出場機会を得られず、チームとしても開幕から公式戦8試合勝ちなしと、まさかの大苦戦を強いられていた。
 そして試練は続くもので、シーズンを通して怪我人が続出。河田もその内の一人だった。

 右足間接前方インピンジメント症候群。アスリートにはよくある怪我ではあるが、全治まで最低でも約2ヶ月を要する怪我の為、前半戦はほぼ絶望と言える厳しい状況だった。チームもリーグ前半戦を終え、2勝4分11敗の最下位。状況は過去最悪だった。
 そんな中、河田が目を覚ましたのは、シーズンが佳境に差し掛かった第27節の北海道コンサドーレ札幌戦のアクシデントからだった。前半に富山貴光(現大宮アルディージャ所属)が相手GKとの接触によって負傷退場。河田篤秀が交代で出場すると、2点ビハインドで迎えた後半、河田の2ゴールで同点に追い付き、チームに勝ち点をもたらした。この試合で河田は信頼を獲得し、最終節まで試合に出続けた。
 しかし、チームとしては時すでに遅し。2017年11月18日、新潟はヴァンフォーレ甲府との直接対決に勝利したものの、他会場の結果によって降格圏内の16位以下が確定。2試合を残して、2003年のJ1昇格以来初のJ2降格が決定した。

「個人の活躍」と「チームの飛躍」のギャップ

 J2として戦う2018年シーズン、流通経済大学から渡邉新太が加入した。
 この2人はピッチ外でも大の仲良しで知られ、別チームになった後でも食事に行くほどの仲。その2人のホットラインでシーズン通算48得点の内19得点を挙げた。河田はシーズン途中に靭帯を痛めて離脱したものの、復帰後も安定的なパフォーマンスを魅せた。
 昨シーズンの終盤、新潟は6試合負けなしの4連勝でシーズンを締め括り最下位を脱出。1年でのJ1昇格は間違いないと思われていたが、6連敗やホーム5ヶ月半未勝利などもあり、シーズン途中で監督が解任。一時は19位まで転落し、J1昇格どころかJ2残留すら危うい状況に陥るなど、個人の活躍とは裏腹にチームとしては輝きを放てず、目標には程遠い結果となってしまった。
 そして河田は、新たな挑戦へと歩みを進める決断をする。

新しい「自分」への挑戦

 2019年1月6日の公式サイトにて、河田篤秀がプロサッカー選手として初めてアルビレックス以外のユニフォームに袖を通すことが知らされる。

 昨シーズンは渡邉新太に次いでチーム2位の9得点を挙げ、契約更新間違いなしと思われていた主力選手の同カテゴリへの移籍。アルビサポーターからは批判の声がいくつも上がった。
 本人の中で葛藤があったことは、移籍する際のコメントから見ても想像に難くなかった。意外だったのは、感謝よりも悔しさを強調していたことだった。
 彼のストライカーとしての活躍が申し分ないものだったことは、誰が見ても納得のものだった。しかしながら悔しさを表したのは、サッカーがチームスポーツであるということが彼の中で強く在り続けている証でもあった。
 ここ数年の新潟は、力のある選手に全てを任せるようなサッカーを展開していた。その為、シーズン終盤にかけて見られる「成長」というものが選手によってかなり偏り、それは紛れもなく「活躍度」に比例するものだった。
 新潟にいれば出場機会も保証され、ある程度の活躍は確実だろう。ただそれは井の中の蛙であり、ストライカー気質の選手が何より嫌う形である。また、プロサッカー選手としてのキャリアを積んでいく中で、自分の力でチャンスを掴み取るという力が必要不可欠だった。
 アルビレックス新潟が組織として成長する為、そして自分自身がプロサッカー選手として成長する為、新潟という地に未練を残しながらも新天地での挑戦を選んだ。

徳島ヴォルティス

 新潟を離れ、徳島に足を踏み入れた河田だったが、シーズン序盤は出場機会に恵まれず、出場しても試合終了間際ということも珍しくなかった。
 しかしストライカーたるもの、チャンスは自らの手で掴み取る。第17節の町田ゼルビア戦、サイドからチャンスを作ると自ら相手を剥がし、角度のないところから逆サイドネットへ突き刺す豪快なゴールを決め、移籍後初ゴールを挙げた。苦しみながらも掴んだチャンスをモノにする辺り、彼はやはり本物のストライカーだ。
 そのシーズン、徳島はJ1参入プレーオフを勝ち上がり、湘南ベルマーレとの入替戦に臨むも1-1で引き分け、あと一歩のところで昇格を逃した。

 昨シーズンの悔しさをバネにJ1昇格を狙う徳島は、開幕戦の東京ヴェルディ戦で3-0の圧勝。出足好調かと思われたが、新型ウイルスの感染拡大によってシーズンが約4ヶ月もの中断。しかし再開後もチームに大きな崩れはなく、河田はいつの間にかチームに欠かせない存在となっていた。第41節に1試合を残して7年ぶりのJ1昇格を決め、最終節で2位の福岡に敗れて勝ち点で並ぶも、得失点差でJ2優勝も決めた。

 J1昇格後は、チームとしても個人としてもかなりの苦戦を強いられ、リーグ戦16試合に出場するも無得点。
 シーズン途中ながら、河田は戦いの場を再びJ2に戻すこととなる。

大宮アルディージャへの移籍

 7月21日、河田が大宮に完全移籍することが発表された。彼は移籍する際のコメントでこう綴った。

 “徳島にきてから2年半、もがきながら必死に徳島のために、自分のために努力し続けてきました。
 素晴らしい結果を皆さんと共に喜ぶことが出来たことは決して忘れることのない素晴らしい経験です。本当にありがとうございました!
 もっとヴォルティスの力になりたかった”

徳島ヴォルティス Official Websiteより

 感謝の後に悔しさを。彼が徳島で経験したものは、我々の想像では計り知れないものであったに違いない。試合に出れない時期の苦しさ、J1昇格を逃した悔しさ、J1昇格を勝ち取った喜び、そして信頼が故の難しさ。まさに激動の2年半だったと言える。
 その経験を力に変えて、J2下位と苦しむ大宮アルディージャにとっての救世主となる。
 大宮デビュー戦は奇しくも新潟戦だった。試合は後半アディショナルタイムに2得点が動くという波乱の展開だった。河田自身に得点はなかったものの、試合後のインタビューで移籍後初出場、更には古巣対戦だったことについて聞かれ、彼はこう話した。

 “満足するようなプレーではなかったですけど、今は来て時間が間もなくて、すり合わせている状態なので、ここから試合で良くなっていければ。
 ここ(デンカビッグスワンスタジアム)でやるのは、個人的には楽しい気持ちでやれる。そこは大宮のやり方とか抜きにして、シンプルに楽しみで来ました”

Jリーグ公式サイトより

 コメントからも読み取れるように、ビッグスワンのピッチに立つというのは、やはり彼にとって特別な意味を持つようであった。
 その後大宮は調子を取り戻し、J2残留という最低限のタスクをクリアした。

仕事人ストライカーの使命

 2022シーズン第2節の新潟戦終了後のインタビューで、彼は新潟への感謝や、新潟戦がいつも特別であることを明かした。

 “新潟がJリーグのプロキャリアの最初のクラブだということは、どれだけ時間が経っても変わることはないですし、Jリーガーにしてもらったチームに感謝しつつ、知ってくれている関係者の方も凄く多いチームなので、自分としてはすごく気持ちが昂りますし、新潟戦というのは活躍したい試合です。
 シンガポールに行った時は、その後にJリーグに行くことは考えていなかったので、そこから行けるようにしてもらったのは、シンガポールのチームと新潟に関係があったり、シンガポールの社長だった人が新潟の社長になったり、自分の実力よりも他の力の方が大きかったと感じているので、やっぱりプレーさせてもらった新潟への感謝は大きいです”

2022/02/27「ゲキサカ」より

 彼は座右の銘に「現状維持は即衰退」という言葉を掲げている。それは常に向上心を持ち続け、現状に満足しない彼の使命感ゆえなのだろう。
 他のサポーターを見ていても、やはり河田篤秀という選手を推している方は多い。少なくとも実力だけの人気ではないことは確かだ。

 なぜ彼はそこまで愛されるのか?

 好きな選手がいるという方は、誰しも何かしらの理由やきっかけがあったと思うが、自分は彼を好きになった理由を今でもハッキリと答えることが出来ない。ただ一つ断言できるのは、彼がサッカーと向き合う姿勢に惹きつける魅力があることだ。
 彼は感謝を忘れず、変化を恐れず、結果を求め続ける、仕事人ストライカー。そこにきっとヒントがあるはずだ。

 なぜ彼はそこまで愛されるのか?

アルビレックス新潟
徳島ヴォルティス
大宮アルディージャ

 それは、彼がサッカーを愛しているから。

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