もっと自信持っていいよ!という滑稽なアドバイス
ブスだけど、上手くないけど
こういう前置きをよく見かけるようになった。InstagramとかTwitterでも、この前置きをすることで保険をかけるようにしてる?人が多い。
気持ちすごく分かる。誰に対して何の保険をかけているのか、よくよく考えたら分からないが気持ちは分かる。何でこんな前置きをするんだろう?
自分の立ち位置を理解している
ということに尽きるのではないか。人は無意識に、このコミュニティではこういうキャラと分けている。
例えば会社と家では全く違う人もいるだろう。反対にほぼ変わらないという人もいる。これが自分の立ち位置を理解しているということである。なぜこれがないといけないのか。
コミュニティでの立場がなくなる
この恐怖のためであろう。ボケキャラだったAさんが突然無口な人になればそれは驚くだろう。そして皆んなは求めなくなるかもしれない。
それを感覚的に分かっているからこそ、自分の思いを、やりたい事を伝えることができないのかもしれない。それは犯罪でも何でもないのに。
ちなみに僕もできない。家族の前で驚くとか、すごい元気になるとかできなくなった。一言で言えばカッコつけているのだ。
人から驚かれることが嫌いだ
これはどこでもあんまり変わらない。なんか悪いことした気分になるからだ。
いや、別にいいけど、という言葉が一番きつい。良くないからその反応になっているんだろうと言いたくなる。だから僕も人の変化に必要以上に驚かないようにしている。だってその人は何も悪い事をしてないからだ。だからその気を削ぎたくない。そのまま突き進んでほしい。
変化に驚くのはその人がいる前じゃなくていい。いなくなったところで他の人と話す方がこれは十分ましだ。その人の勘違いをいい意味で育ててあげたい。それが尊いんじゃないのか。
自信を持つと偉いのか
偉く見えるというのが本当のところだ。でも実際に偉い人の方が多い。でも、嘘でも自信をつける人は凄い。才能だ。僕も含め、その多くの人は嘘はつけない。
だから溢れる。経歴詐称して生きている人は凄い。これは褒めているとか、経歴詐称している事実を擁護するとかそういうのではない。自分に嘘をついて生きられるのが珍しくて凄い、珍獣みたいな目で見てるという意味での凄いだ。
自信とは何を恐れているのか知る事だ
と僕は思った。よく失敗が怖いとか言う。でもその失敗って何なんだろう。どういう時に失敗と自分は感じるんだろうか。
僕は、そんなの当たり前だろ、え?という反応をされたら失敗と感じてしまう。これは実際に失敗しているかどうかは関係ない。自分が失敗したと感じるかどうかの問題なのだ。
だから僕は人にこの言葉を使わないようにしている。使ってしまうこともあるだろう。何故か。それは失敗する生き物だからだ。でも極力使わない。それは人をこ○す言葉だからだ。
とにかく失敗と感じるものの正体は分かった。解決策は…特にない。
ただ、僕はできることに限界があると考えたから少しは楽になった。完璧主義の悪いところが出ると、できないのを全て自分のせいにしてしまう。
いや、究極的には全て自分のせいなのだが、自分のキャパを超えたところで何かをやろうとしても無茶だ。そのラインを見極められれば必要以上に自分を責める必要もなくなる。あー、今日はもう体力使い切ったなって思うと必然的に割り切れる。まずは認めることから始まる。
知っていることと知らないことの両立
もう一つ。これが自信の定義となる。
例えば自分のストロングポイントを相手に伝えたいと考える。そしたらまずは自分のストロングポイントを自分が理解していることが重要だ。
本当にそうなんですか?と聞かれた時に自分を知っていないと答えようがない。だからまずは知ることだ。
そして知らないこととは自分の知っていることを全てだと思えるかどうかだ。
人間は完全に世の中を知ることはできない。会った本や人の数だけ知らないが広がっている。
だから、現時点での自分については知っている。完全に知っているという感覚が大事だ。でも、それは同時に完全には自分のことを知っていないのだ。だから知っている事と知らないことが同居する。自分の知っているをその時点では信じられる。それが自信だ。
少しわかりにくくなったが読んでいる人に少しでも伝わればいい。基本自己満で書いているのだから。
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