考えることの労力
考えることはめちゃくちゃ体力使う
いつになってもこう思う。これを、あ〜考えてしまったという風にするにはどうすればいいんだろうか。難しい問題だ。
noteが一つの手助けツール
になっていることは間違いない。何故ならこれはあまり考えていないからだ。
とにかく頭に出てきたものをつらつら書く。それだけの作業。多少は考えるし流れも意識するが労力になるほどじゃない。
ブイレンストームとでも言えばいいんだろうか。
とにかく脳から出てきたものを現実世界に出してあげることでこんな考えしてたんか、頭にこんなのあったんか、こういうことにもなるんじゃないかということが分かるからこれは良い。
誰かに伝えることに主眼を置くこと
これがあるとかなり強制力が働く。そして難しい。
なぜなら突っ込まれる可能性、評価されることがある。
このnoteは完全なる自己満足のためにやっている。自分って脳からこんなの出てくるんだ、とか。理解するためにやる。
やっぱり強気で行くことが大事かもしれん
とりあえず強気で言っておけばその場では防げる気がする。
俺に評価?下してみろ!くらい。
逆にそれくらいその場で強気になるからこそ冷静になれる時間をつくれるんじゃないか。
突っ込まれの恐怖
これが考えを鈍らせる正体だと思う。良いものを仕上げなければならない。評価を得なければならない。認められなければならない…
諦めのその先
僕はここ最近で結構諦めたし、捨てた。プライドは捨てきれてないかも。だって突っ込まれるの怖いし。
でも物理的に物を捨てた。これ以上何をすればいいんだろう。
諦めのその先に行きたい。こんなのじゃ深掘ることができてないだけなんだろうか。難しいな。
プライドが一番いらない
プライドがないのか!プライドが高い!とよく言う。
でもこれって本当にいらないんじゃないか。あくまで僕にとっては。
プライドを捨てたら逆にカッコつけられる。そして、カッコつけなくもなる…そこまでは行けてないが。
自己評価の高さなのか、自分は何でもできると思っているからなのか。そこのバランスが難しい。諦めと希望のバランス。どうしたら良いのか。
考えると落とし込むの差
ここがすごく大きいのだ。落とし込むというのは身につくということだ。骨まで染み込んでる。味玉。
そんなイメージ。プライドを捨てる!というのはそこまで行ってない。皮膚の表面くらいまでしかね。
本読むということは当たり前すぎて染みている。良い味玉だと思う。
どうしたら差を埋められるのか。考えよう考えよう。
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