個性とは潰した時に残るもの

それは最低限必要なものか、そうではないのか

僕は上記の問いをひたすら考えていた。何かできる能力があるとすれば、それは生きていく上で最低限必要な能力なのか、別に個性で違うから必要ないものか。

ただ、この問いを立てていた自分が馬鹿だということに気がついた。飛んだバカだった。と同時にこれからは楽しく生きられそうで嬉しかった。

個性が素晴らしいという思い込み

個性は勿論ある。人は全然違う。できることも好きなことも。能力や価値観も違う。だから組織を作る。補い合ってできている。それがでかい一つの人になる。それが法人だと思う。

話は逸れたが、ある特定の能力がないとする。それに対峙したら皆さんはどうするだろう。僕は躊躇っていたが、迷いなくつけることをお勧めしたいと思った。それが本当にできるようになるかは置いておいて。できたらおっけー。できなくてもおっけー。

だって躊躇するということは、その能力があったら個性が壊れると思い込んでいるからだ。それは素晴らしくて、大事に扱って、宝石のように磨いて、家族のように大切にする。そんなものだと思ってる。

でも個性ってそんなものなのだろうか。そんなのが個性なのだろうか。

最近やたらと個性を伸ばそう!という言葉を聞く。いや、これは当たり前すぎてもう逆に聞かない。それくらい当たり前になっている。

何かがおかしい。そんな気がする。

可能性の芽を潰す、そのためにやる

とにかく何にでもチャレンジして、必要な視点は身に付けておく。必要なスキル、必要な価値観。なんでも身につけろ。

その時に邪魔になるものがある。どうしてもこいつのせいでできない。逆にこいつ主張してきてくれて助かっている。

それが個性というやつなのではないか。あらゆる可能性に顔を出す。それでできないなら諦める。定着したらそのままそれでいい。逆に、そういうやつが個性になっていく可能性がある。個性は増える。意識せずとも身に付けられているのが個性というもののはずだ。

できなくなることを恐れている個性もどきなら捨てろ

なんか久しぶりに自己啓発本に出てくる文言みたいなのを書いてしまった。

決して誰かに向けて言っているわけではない。自分に向けて言っている。

色んなスキルを身につけて、既存の良いものが更に良くなるかもしれない。身につけようとしたスキルが身につかなくても、既存のものがより一層磨きかかるかもしれない。色々なものが潰れるかもしれない。でもその時に残ったもの。根気強くて、しつこいもの。それが個性だと思う。

そんな可能性に蓋をしないための一言でした。

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