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日本語をこじらせていた僕

落ち着く声ですね

このように、人の声に対して感想を伝えるということに何を感じるだろうか。

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何を感じるも何も、文字通りだと思う。

僕はあなたの声が落ち着くと、そう感じた。それ以上でも以下でもない。

日本語を日本語として受け取るとはそういうことだと思う。

例えば、声が落ち着きますね。だから、あなたのことが好きです。ということにはならないはず。どこの誰も言っていない。声が落ち着くと感じた、それだけの話し。

誤解による妄想展開

僕は妄想していることに気付けないという妄想をしていたらしい。

どうやら声が落ち着きますねとか、〇〇がキレイですねといった相手に対しての感想を伝えると距離を近づける発言=好意を伝えるような発言、だと頭の中で自動変換がなされていて日本語の扱いに不自由を感じていたことに気がついた。

この例に限らず、無意識に相手の発言から妄想が展開され、自分の発言にも同様の妄想を加えてしまったせいで伝えたいことを伝えられない時があった。

自らの領域展開が解かれた後、残された自分に気がついて虚しすぎる呪いの術中にいた。


妄想が現実とがほとんど噛み合うことはない上に、そこに残されているのは僕と僕の苦しみだけだ。

勘違いによる生得領域の苦悩が具現化

あの人に〇〇を言いたいのに言えない・・・

あの人に〇〇と言われたのに何も起こらない・・・

こうした苦悩は日本語を日本語として受け取れていない、もしくは発信できていないから起こるのではないだろうか。

いや、いつも相手の思考をコントロールしようとしながら、僕の思考が停止していただけで「言わない自分」の責任逃れではなかったか?

僕は「あなたの声落ち着きますね」という言葉を愛の告白として相手の脳内に響かせようとしていた。そして、僕自身もそういった意味として受け取っていた。

相手にしてみたら僕のただの感想でしかない。自分の感想で人をコントロールできたらこんなに悩むことはない。

僕じゃなくても

「優しいですね」という言葉を「それ以外取り柄がないですね」と受け取ってしまう人もいるかもしれない。

もしくは、「インドア派なんですね」という言葉を「お前は外に出てくんな」と受け取ってしまう人がいるかもしれない。

そういう人たちも僕も、もれなく日本語を日本語をとして受け取れていないのだと思う。

相手があいまいに言い放った日本語に、僕に対する殺生与奪の権を簡単に受け渡してはいけないのだ。相手の言葉をどう受け取ろうと自由であることを忘れてはいけない。忘れてしまっていた僕は、いつでもどこでも誰からも斬り刻まれていた。

そして、自分が発言するときには自分の妄想に切り刻まれていた。

相手のジャッジを受ける前から勝手に生贄気取りでいたということだ。

解釈を揃える必要があることは確認したらいい。

同じ解釈が求められていない友人関係においてはこっちが解釈を選べばいい。

勿論、それは日本語を日本語として受けとることが大前提である。

あくまで生殺与奪の権は僕らの手の中にある。

それでも妄想が止まらないあなたへ

それでも、相手の発言や自分がした発言に対して、ただただ妄想が無限に膨らむことがあるだろう。そうなったときは以下の方法を試してほしい。

①無限に膨らむ妄想を捉えるために紙に書き出すことで日本語として文字を捉える

②次に音読をする

③目で、耳で日本語を咀嚼する。

どうやらこの手順が大事らしい。脳にふわふわ浮いているものを紙に書き出して外に出してやるんだ。そうすると、、、なんと!!!!




大した日本語が書けないらしい。無限に膨張していた妄想を紙面に吐き出してみると、圧縮される以前に、形を成すことさえ難しい。

僕はたまたま試す機会がなくてこれに関しては身を持って体感していないが、自らの領域展開から抜け出せなくなったときや、生殺与奪の権を明け渡しそうになったときには必ずやりたい。

一言でいうと

妄想が膨らんで苦悩したら紙に書いて音読をしろ


ということだ。

相手からの発言で苦しんでいること、自分が言いたいのに言い出せないこと、あると思う。それは一度紙に書き出して日本語として捉え、音読してみると良い。

勝手に妄想してないか?言われたor言った以上の日本語が脳に浮いていないか?見つめ直すことができる。

そうすれば僕も、これを読んだみなさんもきっと、快適な日本語ライフを送れるはずだ。

まぁこうなる前に文字は文字通り、日本語は日本語通り受け取ろう。しかし、文面通りにしか受け取れないとア○ペ扱いされるのでくれぐれも注意したい。そして、自分の日本語に自信を持とう。それができたら僕の放つ日本語が相手に誤読にされようとも、ゆるぎない真実を宿す事ができるはずだ。

これまで、僕が話す日本語には相手の誤解を誘発するような迷いや期待や呪いが込められていた。相手の誤読に期待するよりも、誠実に伝えることだけに注力できたらきっともっと日本語とも仲良くなれる気がする。


すぺしゃるさんくす

共同編集者・EMさん

扇動されてこの文章を書きました。たくさんのご指導・ご鞭撻をいただきました。というかほとんど書いてくれたみたいなもんです。文章を書いていくうちに僕の苦悩の解像度が上がりました。ありがと

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