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かつて早熟だった自分へ

体の成長

人は成長する。心がではなくて単純に体がでかくなる。すごいよな。本当生きてるって感じ。

僕は自慢ではないが小学校6年生で身長が165cmあった。おそらく結構でかい部類に入ると思う。だってほとんどの人は下にいたし、列ではいつも後ろだった。

今見ると成長が早い方だったと思う。小学校5年生で声変わりが始まったし、その他の体の機能も、詳しくは書かないが立派になっていたはずだ。

こうなるとなにが起こるか。そう、フィジカルで圧倒できるのである。

僕はずっと野球をやっている。野球というスポーツは、僕の苦手な長距離走はあまり試合の中では使わない。むしろボールを遠くの飛ばしたり投げたり、そういったことが大事だ。小学生の時はとくに。それが少しすごいだけでエースで4番だった。

気持ちが良かった。だって飛ぶんだ。投げられるんだ。スキル的な意味では下手だった。でも家でも練習した。友達とも練習した。そしてエースで四番。誰が楽しくないんだろうか。

小学校のときにプレッシャーなんてことは中々感じ取れない。

そんなの知らずに、ただ勝つためにやってきた。

そして中学校へ

中学校は、小学校のときには君づけで呼んでいた先輩を「○○先輩」と呼ばなければならなかった。なんか気持ち悪い感じはあったがそんなもんだろうと、そのときは思っていた。

一番最初にビビっていた僕は敬語を普通に使っていたら一番敬語使えてるやつみたいに言われたことを覚えている。

問題の体型だが。おそらく小さい方ではなかった。ただデブだったが。今でもそれなりにか。まぁそれは置いておいて。

ただ中1と中3は相当な差があると感じた。全然違った。体のデカさもそうだが、乗り越えてきた練習が違うんだろうなと思ってみていた。

なんせうちの練習は長かった。終わり時間なんて書いてあるが、ないようなものだ。2,3時間伸びるのはザラだった。

さて、そんなこんなで中学校時代もそれなりに野球をやっていた。2個上の先輩が引退するまではまともに練習をさせてもらえなかった。今考えると典型的な野球部だよな。ウケる。とにかく一言でいうと下積みのような時代がかなり続いた。だからといって満足に練習できるようになったかと言われれば、そうではないが、マイナスからゼロになった感じなので嬉しかった。

そして1個上の先輩が引退するタイミングでは副主将に選んでもらえた。うちの中学校は主将1人と副主将は一個上の代が選ぶものだった。今考えてもこの制度は良いと思う。顧問では測れないところも部員は見ている。今現在となっては中学2年生なんてガキにしか見えないが、当時はとんでもなく上の人に見えていた。不思議だ。

バッシング

そういえば思い出した。主将は僕の同級生、そして副主将は僕と1個下二人の合計3人だった。

例年、副主将に1年生が選ばれることなんてないはずだった。それは不満が出る。ただ、それは当然だと思った。だって当時の僕の学年は主将と僕以外あまり努力していると思えなかった。選ばれなかった方の気持ちも考えろと言われたが、そんなの知らんと今でも思う。努力足りていないんだから。

でもそいつらとは今でも仲が良い。帰省したときには遊んでいる。それはそれ、これはこれだ。今では笑い話になるだろう。

とまぁこんな感じだった。1個下の一人が選んでくれてありがとうございますと言ったことを今でも覚えている。あぁ、僕は感謝の心全然ないわと反省した。

そして高校へ

そんなこんなで中学校生活も終わり、最後の大会も良い形で締めくくり、中学3年にして人生初の彼女ができていた僕は最高に乗っていたと思う。モチベーショングラフで言えば一番あがっていた時期だ。まぁモチベーションだから、それすなわち最高だというわけではない。常に今が一番最高だと本気で思っている。去年はそれが折れかけたけどなんとか終盤の巻き返してよかった。

とまぁ高校生の話でもするかな。と思ったけどそれはまた今度。

かつて早熟だった自分、頑張ってるよな。分かる。今では立場が逆転してしまったよ。精神も身体も。あれだけ見下ろしていた人はみんな自分より高い。

まだガキで中二病みたいなこと一生やっていたいって思うよ。所詮人生だ。これは自分の人生だ。熟す、熟さないそんなことどうでも良い。

自分なりの大切を見つけて今日も生きてるだけでえらい。おわり。

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