プライドとは怖くない、分かっている領域だ
プライドについて
僕はよくプライドが高いと言われる。そう、自信がないからだ。みんなは自信、あるだろうか。
僕はあらゆることに自信がない。そもそも自信がある、ないを考えている時点でその物事には自信がないのだ。自信があることについては自然すぎて、考える余地もないだろう。
でもそこまでの超人も中々いない。だからみんな壁を築き上げるのだ。プライドという名の壁を。僕もその中の1人だ。普通だ。ありふれている。
自分が怖いと感じるもの
いくつあるだろう。僕は特に自分の能力の無さが顕になる瞬間。これが怖い。
だから、なるべく自分が怖いと思う瞬間に遭遇しないように努めてしまう。自分の怖くない領域までで壁を作ってしまう。ウォールマリア。これがプライドっていうものだ。
恐れていない自分を守る、必死になる。それがプライドの高い状態だ。そんな壁を作らない、作ったとしても低くて脆いものなら、どんどん壊して前に進める。プライドとはそういうものだと思う。
怖いのは分からないから来る
怖い、恐怖。これは分からないから、来るものだ。例えば、何回も行ったことのあるラーメン屋で1000円払って美味しいものを食べることに恐怖はさほど感じないだろう。
しかし、初めてのラーメン屋にいったらどうだ。怖い、とまではいかなくとも「もしかしたらまずいかも」という思いはあるのではないか。
ちなみにだが、リスクとは不確実性の高さのことを言うらしい。危険度とかじゃなく。結果がプラスになるかマイナスになるか、その確実性が低いということだ。
多分、こう来たら怖くなるを事前に予測する
これが恐怖を和らげる方法だ。つまり、プライドの領域を広げて、壁を低くする方法だ。
例えば、自分はAの能力が低いからこのことについては言ってくるんだろうな〜とか、自分とは予想もしないところから指摘くるんだろうな〜とか。
完全には拭えないかもしれない。でも軽減はできる。
こうすることでプライドの領域を広く、そして壁を低くする。
自信がないのに、ではなく自信がないからプライドの壁が高くなる
僕はこれをかなり感じている。自信はないとプライドが高くなるのだ。
だって怖いし分からないのだから。そうなる可能性が高いと確実にプライドは高くなる。
とにかくこれは最悪を想定して、怖くなる、落ち込むことが前提で考えるしかない。前述した通りだ。
ネガティヴだけどポジティブ。みんな不完全だ。じゃないと面白くない。完全になってしまったらそれは人生のお終いだ。絶望を知りながらも前を向ける。それでいいじゃないか。
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