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整理しながら聞いて論理的に話す。10歳で身についたコミュニケーションのキホン。 -ニンゲンあり方研究所 #1-

みなさん、はじめまして。

この春から東京で新社会人になった佐々木祥太です。

私は今、ソフィアという企業のインナーブランディングやインターナルコミュニケーションを中心に組織の課題をお客様と一緒に解決する会社で働いています。

日々仕事の中でたくさん刺激的なインプットを得るものの、なかなかアウトプットする機会がないな~と思ってたころにちょうどnoteを見つけたのではじめてみました。

もちろん、まわりの人と話す機会もあるのですが、せっかくだから考えたことや感じたことを文章でアウトプットしていって、それに少しでも共感してくれる人がいたら嬉しいな~と思っています。

初回の投稿は自己紹介もかねて”人の話を聞く/自分の考えを話す”という切り口で私の幼少期について書こうと思います。

なお、日記も三日と続いたことのない私ですが、人のあり方について考えたことを発信するシリーズ -ニンゲンあり方研究所- と題して初回から一丁前にお送りします。(御察しの通り、何事も形から入るタイプです。笑)

少々長くなるかもしれませんが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。


大人の話を盗み聞きするのが趣味の保育園児

私は愛知県の日進市という名古屋市と豊田市に挟まれた愛知のスーパーベッドタウンで4人家族の長男として生まれました。

両親は共働きで忙しく、保育園のお迎えも祖父母や親せきのおじさんおばさん、友達のお母さんなど、多くの大人によく面倒を見てもらっていたのを覚えています。

そんなときは、幼いながらも長男としてしっかりしなければ親に恥をかかせてしまうと思っていたのか、特に初めてお世話になる大人には礼儀正しく、丁寧に接していました。

そのせいかおかげか、大人の会話が常に気になるようになったのもこのころからで。

他の大人が親に私の礼儀正しい態度を褒めているのを、知らん顔しながら盗み聞きして心の中でほくそ笑むような、ちょっぴり性格の悪い子でした。笑

今でも同じ空間で自分の話をされていると嫌でもすぐに気づいてしまう地獄耳だと自負しております。

今考えるとこの頃から良くも悪くも人の話を聞くということに対する関心は高かったのかもしれません。

両親との会話で身についた”じっくり整理しながら聞くこと”

忙しかった両親ですが、それでも夕食の後や休みの日などは学校であったことや、不思議に思ったこと、将来の夢など、私の目を見てじっくり聞いてくれました。

だから、大人の話に聞き耳たてつつも、そこまでひんまがらずに育ったのかなとも思います。笑

そして、両親の姿勢を見習うように私も自分が話したことに対する両親の言葉をじっくり目を見て聞く姿勢が身に付きました。

長いときは2時間くらいずっとダイニングテーブルを囲んで一つのテーマについて話すこともありました。

話が長く続くと、頭の中で「これはつまりこういうことを言ってるのか」と話を大きなトピックごとに分けて聞くようになりました。

私の素朴な疑問から特に科学や政治など世の中で起こっているテーマが多かったため、そうした聞き方でないと理解ができないという必然性もあったのでしょう。

こうして私は小学生で人の話をじっくり整理しながら聞くことを自然と身につけていったのです。


父の考えさせる問いが育てた”論理的に話すこと”

特に父親は私と話すときも非常に論理的でした。

それに加えて、私の素朴な疑問対してすぐに答えは与えず、ぶっきらぼうに「ググれ」とも言わず、常に「なぜそうなるのか」という本質的な方向へ考えさせる問いを投げかけてきたのです。

幼なかった私は知識のない頭で必死にそのとき導き出せる最適解を考え、順序立てて父親に伝わるように説明をするのでした。

こうした「答えを与えるのではなく、問いを投げかける」というのは、教育法として当たり前といえば当たり前かもれません。

ですが、これを習慣的に毎晩、毎週やっていたので、基本的な物事の考え方である「なぜそうなのか」という論理的な思考と話し方が10歳ごろで身についたんだと思います。

今だからこそ感じるありがたさ

幼い頃は無意識で、それが自分の特徴だとも思っていませんでした。

しかし、大学でコミュニティデザイン学科に入って、地域の人たちの話を聞いたり、同じ学生の仲間と対話しながらプロジェクトをすすめていったり、社会人になってからも仕事をしたりする中で、その頃身についた姿勢が今になって自分を助けてくれていると感じることが多くなってきました。

どんなに自信がなくなっても、壁にぶち当たっても、この「整理しながら聞いて、論理的に話す」というスタンスが自分を正しい道へと導いてくれたのです。

両親がどこまで教育方針として意識していたかはわかりませんが、幼い頃の私に、コミュニケーションのキホンを教えてくれたことには本当に感謝しています。

おわりに

ここまで読むと、「そんな小さいころから論理的だなんてさぞ合理主義で気難しい人なんだ」とお思いになる方もいらっしゃるでしょう。

ところが、残念ながら(?)この論理的なスタンスは常に発動してるわけではなく、あくまで私の一面に過ぎません。

プロジェクトにおけるコミュニケーションなどのごく限られたシチュエーションにのみスイッチが切り替わる感覚で発動し、普段はむしろ何も考えていないことの方が多いくらいで、マネジメントなんかも全然できません。笑
(これについてはまた今度書こうと思いますが、これはこれで非常に困っていますw)

そして、保険をかける訳ではないのですが、話す内容も時に辻褄合わせに陥り、本質的には論理破綻してしまうこともしばしば。

全体としては「こんなかんじだよね〜」と感覚的にとりとめもなく妄想を膨らますのが何より好きで、気がついたら何時間でもおしゃべりしてしまうただの寂しがり屋なのです。

なので、論理的に話を整理してほしい、とにかく話を聞いてほしいなどなんでもいいので、私をおしゃべりに誘ってください。喜んで飛んでいきます。笑

最後に、ここまで読んでくれた方、興味を持ってくれた方、ありがとうございます。

次がいつになるかはわかりませんが、気が向いたらまた書こうと思います。

おわり

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