居酒屋 どりーむ③

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 6月も中盤になり、埼玉では早くも日差しが強まり、私は嫌でも本格的な夏の到来を認めざるをえなかった。

 大学に入学するまでの18年間、新潟に住んでいた私からしたら、6月で、うわー夏だなー、なんて思うことは快晴になったときくらい。もはや新潟では快晴が少ないので、6月で埼玉同様の夏を感じることはほぼなかったと言える。新潟での夏と埼玉での夏を一緒の「夏」という字でまとめてはいけない気がする。夏生まれの私でも、夏の埼玉は生きづらい。

 どりーむで働き始めてから初めてのゲロ処理で、ゲロに触れたと勘違いしてしまい、心臓が跳ね上がり、錯乱状態に陥った私は、竹内の服で必死に自分の手を拭いていた。竹内に鎮められ、驚きと罪悪感が涙になって溢れ出た。

 そんなゲロ事件があって以降、1度だけゲロ処理の機会が巡ってきたので、今度は私が1人で処理した。仕事に慣れて、同期の竹内に指図しているくせに、ゲロごときで泣いていては、情けないと自分を鼓舞し、感情と嗅覚を殺し処理した。

 2ヶ月も働くと居酒屋の酔っぱらい客の洗礼というものは、大抵は受け、乗り越えたつもりだ。
 ただ、今でも慣れないのは女性客の酔っぱらい。男性客に、「かわいいねー、女優のあの子に似てるね!」なんて絡まれて、「よく言われますー」と、私がノリよく返したら、男性の連れの女性客に、「全然似てないでしょ」と、私と男性のノリの会話に全力で否定してくるようなことがたまにある。

 嫉妬からか、私の見た目や、化粧についてまで、ダメ出しをしてくる人もいる。年上の同性であるがゆえの遠慮のなさと、的を射た指摘が余計に腹が立つ。

 私は化粧が薄い。敏感肌であるのと、化粧に横着しているのが原因だが、別にそれで私自身不自由ないので構わないと思っている。薄化粧でも、同年代から父親と変わらない年代の男性にまで、社交辞令でも、「かわいい」と言われてりゃ、薄化粧でいいやと思える。なんせ男はナチュラルメイクが好きと聞くし……、本当は、スッピンでも綺麗なポテンシャルを持つ女性が好きという意味だろうけど。

 とはいえ、実際に薄化粧の私を否定されると、その度に思い悩んで、それを彼氏に、「化粧濃いほうがいいのかな」なんて、相談すると、「涼は化粧しなくてもいいよ」と、的はずれな答えが返ってくるのだが、彼がいいならこれでいい、という結論に毎回落ち着く。実に単純。

 今日だって、バイトに遅刻しそうになっていつも以上に雑な化粧でも、どりーむにいる男どもは、何も気づいていないはず。それどころか、実際私が出勤しても、坂本さんと竹内はバスケの話で盛り上がっていて、黒子さんは作業台を必死に磨いており、私の顔など見向きもせずに、「おざまーす」と適当に挨拶された。

 接客業であるから化粧をしないわけにはいかないのだが、たとえ私が化粧をしてなくても、黒子さんは分からないが、坂本さんと竹内には気づかれない気がした。
彼らの顔も悪くはないが、もう少し化粧のしがいがある爽やかなイケメンの店員はいないものかとも思う。常連のイケメンのお客さんでもいい。ダンクシュートができる、できないなんてことをひたすら語っている運動バカと、ロボットのように働く人間しかここにはいない。まぁ楽しく楽に働けているから、いいんだけど。
私が着替えを終えて、厨房に入ると竹内が焼き場の方から、「山下ってバスケやってた?」と、何かを期待するような目で聞いてきた。

「体育でしかしたことないよ」私は竹内の期待を踏みにじるように、冷たく答えた。
「なんだー」
 竹内は冷蔵庫に両手をついて、面白くなさそうにしている。
 勝手に期待されて、勝手に不貞腐れてもこっちが困る、迷惑な話だ。
「いやー、僕が昔バスケしてて、ダンクできたんだって話をしてたんだよ」坂本さんが、竹内の肩に触れながら、事の経緯を説明した。

 私はいつも16時頃に出勤するが、そのときに仕込みが終わっていることが、たまにある。なんでも、坂本さんと黒子さんの気まぐれで、早いうちに仕込みをしている時があるからだそうだ。仕込みが早めに終わった日は、掃除をするか、ダラダラと準備をするのだが、今日はそれすらせずに坂本さんと竹内は雑談していたようだ。喋らない黒子さんは掃除に専念しているというのに。

「坂本さん背高いですもんね」最初会った時から思っていたことを、やっと口にできる。「身長いくつなんですか?」
「185だったかな、縮んでるかもしれないけど」坂本さんは頭の上に手を当て、自分の頭の上を見ようとしている。

 185、そう聞いて、自分の身長が20センチ以上もあるその数値にいまいちピンとこない。一つ頭が抜けているというのはまさにこのこと、自分の頭がもう一つ高ければ、見える世界も変わるだろうし、生き方までも変わりそうだ。それこそ、私が185センチあれば、バスケをしていたかもしれない。していなくても、してそうだと勝手に思われても仕方がない。

「竹内さんダンクできるんだって」竹内が嬉しそうに教えてきた。
「ごめん、さっき聞こえた」とは言わずに、私はバスケットのリングを想像した。
いや、届きそうにない。屈強な外国人のバスケット選手が軽々とダンクシュートを決める姿は容易に想像出来るが、自分が同じことをしている想像は、空を飛ぶくらいの無理があった。

「ダンクってすごい跳んでるのは分かるんですけど、あの、バスケットのリングの高さっていくつなんですか?」坂本さんの身長が判明したところで、今度はバスケットのゴールリングの高さが気になった。
「3m5㎝だね。ダンクするとなると、その上の3m30以上は跳んでることになるね」
「私には想像がつかない高さですね……」私の想像してた以上の高さに開いた口が塞がらないでいた。「いやー意味がわからない」と、竹内も私と同じ表情をしていた。いや、あんたは少し理解できるだろうと思った。言わないけど。

「いやー」と、まだ竹内は何か想像しながら口にする。「俺もサッカーしてて、跳ぶことは多いんですけど、リングに届くのかなー?って思って」
「竹内くんも身長高いから、練習すれば届くと思うよ」坂本さんが、竹内の頭に手をやる。
「そうなんですかねー?」とか言いながら竹内は嬉しそうだ。「そもそも、よくあんな小さいリングにボール入れられますね」

 私は、確かに、と竹内の言うことに珍しく共感した。バスケのボールとなんらサイズが変わらないゴールに、よくスリーポイントシュートなんて決められるなと思う。私なんて、ほぼ真下の位置からボールを放っても、思わぬ所に跳んでいくか、リングに弾かれる。ボードに当ててリングを通すなんて訳が分からない。ボードにボールを当てたところで、ゴールが決まった記憶がない。そもそも私は運動が得意じゃない。

「まぁバスケはそういうもんだから、やってたら、案外できるよ」坂本さんはバスケのシュートの動作をした。「でも、サッカーはサッカーで、ゴールにキーパーがいるから、どこにシュート打ったらいいか分かんないな」
「まぁキーパーは邪魔をする存在ですし」竹内がチラとこちらを見る。「山下ってサッカーは――」
「体育でしかない」私は竹内が言い終わる前に言い切った。
 むしろ体育で少しだけでもサッカーをやったことがあるだけマシなんじゃないかと、言ってから思った。それに、サッカーですら広いゴールではあるが、キーパーを欺(あざむ)いてゴールを決めるのも、私からすれば手を叩いて尊敬するほどのことだ。彼らにとっては遊びで出来るのかもしれないが、私はそんな彼らに死にものぐるいで、ついていくのが限界だろう。

「その身長だけでも、モテたんじゃないですか?」竹内が今度は坂本さんに期待を込めて聞いていた。
「まぁ当時はそこそこモテたよね。うちのバスケ部でも高い方ではあったから」坂本さんは得意げに胸を張った。そう言う坂本さんはタオルをはちまきして頭に巻いているのではなく、ヘッドバンドをしている。居酒屋の大将の風貌というより、バスケットの選手の風貌に近い。今まで、なんでヘッドバンドなんだろうと不思議に思っていたが、今日やっと謎が解けた。

「いいなー、俺も180の壁を超えたかったな」竹内は歯を食いしばっている。
「でも今は、店だと焼き場にいないと邪魔なんだよね。この身長と体格だと」今の身長がちょうどいいと思うよ、と声をかけるように、坂本さんは苦笑いで竹内の背中をポンポンと叩いた。
「坂本さんて体格もいいですよね」私は坂本さんの厚い胸板を見て言った。
 坂本さんの胸筋はそれこそ、貧乳女子に匹敵するほどありそうだ。私は……まだ勝っているはず。私は大抵の女子にはない、鍛えられ盛り上がった筋肉というものに憧れる。

「まぁ暇な時は、筋トレしかすることがないからさ」坂本さんは力こぶを作ってみせた。丸太のように太い腕ではなく、肩から肘までの筋肉の一つ一つが繊細に浮かび上がっている。その筋肉をつなぎ合わせるように青白い血管も浮かび上がっていた。私の筋肉一つ浮かび上がらない貧相な腕と同じ文字の腕とは思えなかった。

「そういや焼き場にいる時、坂本さんって焼鳥から目離さないすよね」竹内は焼き場のコンロをいじりながら話を変えた。
「そら、焼いてんだから、目離さないだろうよ」坂本さんは竹内の問に、真顔で答える。
「いや、焼き場にいる時だけは帰るお客さんにすら、チラ見もしないじゃないすか」コンロの火をつけたり消したりして、竹内はニヤついている。
「いやーそんなことはないとおもうけどな」坂本さんは腕を組んで首を傾げた。
「たしかに、大きい声で、ありがとうございました! とは言ってるけど、目線は手元の焼鳥をずっと見てる気がする」私が竹内に同意すると、坂本さんは、「えーそうなのかなー」と大きな上半身を揺らしながら、焼き場にいる時の自分の姿を想像していた。

「カウンターの人と話す時も、目線は手元しか見てないですよ」竹内は焼鳥を焼いている坂本さんの真似をした。
「まぁ常連の人なら、顔見て離さないことも多いかな。焦がすわけにもいかないし、仕事中だし」
「いやー誰にでもですよ」「いや、誰に対してもですよ」と、竹内と私のツッコミが被った。それでも竹内さんは、「そーなんかねー」と納得はしていなかった。 

           
 夕方に彼らがバスケトークで盛り上がっていたのと、本当に同じ今日の出来事なのかと疑うほど、今日は忙しかった。冷房が聞いた店内でも、走り回っていた私は、汗が止まらなかった。こんな日々が続くと、痩せそうだなんて思った。

 休憩でチキン南蛮丼を平らげ、厨房に戻ると、忙しかったのが嘘のように思えるほど、店内は落ち着いていた。

 ただ、常連の武田(たけだ)さんはいつも以上に酔っ払って、カウンターで連れの男性に肩を組みながら、昨今の野球事情について語っている。
 武田さんは1人で飲んでる時は、カウンターの向こうで焼鳥を焼いている坂本さんに絡み酒をしている。その時に、坂本さんは一切武田さんを見ることなく、淡々と焼鳥を焼き続けている姿が、坂本さんが焼鳥から目を離さない印象を植え付けたんだなと、同じことを繰り返して言っている武田さんを見て納得した。

「オレは昔センターで、すごい肩が強くてね。イチロー顔負けのレーザービームで、よく刺したよ」
 私が会計をした時に、武田さんに自慢のような発言をされたが、よく分からなかった。
 肩が強くて、レーザービーム? よく刺した? ビームなのに? ライトセーバーか何かなの? センターは野球のポジションなんだろうなとは想像はついたが、むしろ、その野球というワードが私を余計に苦しめる。

 言っている意味をとてもじゃないけど理解することはできなかったので、「すごいですねー、見たかったですー、レーザービーム」と適当に言っておいた。酔っぱらいの言うことに、いちいち耳を傾けてられない。
酔うと大風呂敷を広げ、とんでもないことを言い出すお客さんは少なくない。過去にも、俺3億持ってるから今度遊ぼうよ、なんて言ってきたおじさんがいたが、よく聞くと、単位が円じゃなくて、ルピアだったことがある。3億ルピアは日本円で200万前後。

「おう、見せてやるよ~」と、宣言しながら武田さんは連れの男性に肩を貸してもらい、店を後にした。
レーザービームとやらで、火事でも起こさなきゃいいな、なんて冗談半分の心配をしながら、レジに代金を入れ終わった時だ。
 店の外から、「あー!」と武田さんと思われる男性の叫び声が壁越しに小さく聞こえた。

 まさか、本当にレーザービームが! と、冗談を思い浮かべていた自分はどこへやら、私は店の入口の引き戸を音を立てて開けて、外に飛び出した。
 外に出ると、隣のラーメン屋の前で、武田さんと連れの男性が2人共、口を開けて同じ角度で何やら見上げていた。
 私も2人の目線の先を眺めると、ラーメン屋の雨よけの屋根の軒先に、さっき会計した時に見た武田さんの財布が乗っているのが見えた。
 レーザービームじゃないのかと、内心思ってしまったが、地面よりもラーメン屋の二階の窓からの方が近い高さの屋根に、財布が乗っているのは間違いない。なんで、そんなところに乗ってしまったのか、はたまたレーザービームとなんの関係があるかなんて、今度こそ理解できなかった。

「もー財布を上に投げるから、こんなことになるんですよ……」連れの男性が嘆いた。
「レーザービームをしようとして……」
 武田さんは、この状況でもレーザービームと言っている。レーザービームは財布を宙に投げると起こせるのかなんて、私は少し信じてしまった。恐らく酔っぱらいの不可解で常識はずれな行動なのに。
ラーメン屋の店主に言って、二階の窓から、棒か何かでつついて、落としてもらおうと思ったが、本日は日曜日、ラーメン屋は定休日だった。それに二階の窓は暗い。

 私は店に脚立か何かあるだろうと思い、店に戻ろうと踵を返すと、坂本さんと竹内が店から出てきた。
 私が血相変えて店から出たからか、彼らは顔に動揺を滲ませて出てきていた。竹内は動揺が体にも出ているようで、空のジョッキを片手に持って出てきていた。

「武田さんの財布が屋根に乗っちゃって」私は屋根の上を指差した。
「あーあ、あんなところになんで……」坂本さんは顔をしかめながら、屋根の上を見つめる。
「武田さんがレーザービームを出そうとして……」私も動揺からか、武田さんの言ったことをそのまま伝えてしまった。
「は? レーザービーム失敗すると、財布が屋根の上に乗るの?」
 言わなくていいことを言ったばかりに、竹内は混乱を極めている。あんたは大人しく店に戻ってくれ。

「うち、脚立無いからなー」坂本さんは頭の後ろを掻いた。
 脚立がないというより、坂本さんの身長なら必要なかったんだろうなと、この状況でどうでもいいことを納得した。
「坂本さんのジャンプ力ならいけるんじゃないですか? ダンクできたジャンプ力!」竹内が目を輝かせながら、坂本さんを見上げた。
「できたといっても、20年以上前の話だぞ」そう言いながらも、坂本さんはラーメン屋の方に歩いて行く。
 財布が乗った真下の位置に着くと、坂本さんは膝を軽く曲げ、長い両腕を後ろに引いた。両腕を勢いよく前に振ったと思えば、坂本さんの膝が伸び、足は地面から離れ、屋根に向かって腕を伸ばしたまま、坂本さんの巨躯(きょく)が浮かび上がった。

 指先が軒先まで、あと10センチ程の所に到達すると、坂本さんは重力に引かれるように下がっていった。
「くそっ。無駄に高い屋根だわ」坂本さんは何の罪もない屋根に文句を吐き捨てた。
 その後も何回も坂本さんは挑戦するのも届かなかった。助走を付けてもダメだった。今日のダンクができたという話は、すでに過去の栄光というものになっていた。

 坂本さんが膝に手をついて、息を切らしていると、「すまんね、大将。オレのために」と、武田さんが坂本さんの背中を擦った。
「常連の武田さんのためなら、これくらい」
 坂本さんはそう言ったが、その声には余裕がなかった。夜とは言えど、アスファルトには日中の熱気が残っており、坂本さんの顔には疲労に比例した汗が吹き出していた。

 この現場全員が、坂本さんの体力の限界を感じて、静まり、坂本さんの荒い呼吸が目立っていた時だ。

「これ持ってて」竹内が持っていたジョッキを私に押し付けるようにして渡してきた。
「は?」私は竹内が無駄に持ってきたジョッキをなんで持たにゃいかんのだと、不満を口にした。
「いいから、いいから」
 何がいいのか、さっぱり分からなかったが、なくなくジョッキを受け取った。

 竹内は、坂本さん同様の位置に立つと、坂本さん同様のジャンプの姿勢に入った。そして早速跳んだと思えば、坂本さんが跳んだ半分以下の高さだったので、なぜ挑戦しようとしたのかと、私は問い詰めたくなった。

 着地をしてもなお、竹内はその場所から動かず、力を抜いて両腕を前後に振りながら、タイミングを確認するように膝を曲げている。
1回目で想像以上の低さだったので、周りは呆然と眺めていた。そして、全員が期待をしていなかったはず。
 竹内は力を抜いて揺らしていた腕を思い切り後ろに振りかぶり、腕に力が入ったと思えば、瞬く間に竹内の体は宙に舞った。
 1回目のジャンプは一体なんだったと、再び思わせられた。今度はさっきとは真逆の印象。
 
 指先が、どんどん上昇していく。そして、みるみるうちに上に昇り、その手は屋根の高さを超え、見事財布を掴んだ。
 財布を掴んでからも、竹内が降りてくるまでの時間が長く感じた。
 宇宙船からゆっくりと舞い降りる宇宙人。飛行石を持ったシータのように、竹内は静かに地面に戻ってきた。

「おぉ! ありがとう!」片手で財布を持ち上げている竹内に、武田さんが崇めるように手を合わせた。
 私に見えたのは竹内の後ろ姿だったが、その姿は逞しく映った。さっきまで、とんちんかんな言動をしていた同一人物とは思えない。まるでアクション映画、少年漫画の主人公が敵を倒して、夕陽をバックに拳を天に突き上げるシーンの様に見えてしまった。それくらいのインパクトがあった。

 武田さんは、竹内から受け取った財布から千円を取り出し、竹内に握らせて、「ありがとう、ありがとう」と当分必要のないくらいの量の「ありがとう」を竹内に言うと、皆に謝って、駅に向かって歩いていった。

「いやー、竹内くんすごいね。サッカー部なのに」坂本さんは腰に手を当てながら感心した。
「いやー、自分サッカー部ですけど、キーパーでして。キーパーってジャンプ力が重要なんで、鍛えてたんですよね」
 竹内は両腕を上に伸ばして、笑った。
 私は彼らを運動バカと心の中で呼んでいたのが申し訳なくなった。もう少し、運動バカな彼らを優しい目で見ようと思う。運動バカは世界を救うとまではいかないが、世の役に立つ。

「やっぱ、現役には勝てないな」坂本さんは膝を撫でながら悔しがると、店に戻ろうと歩き始めた。
「あっ」
 竹内がそう言うと、坂本さんは振り返り、坂本さんと一緒に店に戻ろうとした私も振り返って、竹内を見た。

「あのー、さっき言ってたレーザービームってなんなんですか?」
 竹内は頭の後ろで手を組みながら言った。それは私も知りたい。
「サッカー部だったら分からないんだな」坂本さんは目を細めた。「野球で外野の選手が、フライを取って、すぐにボールを投げる場面があるんだけど、その時の返球の弾道が低くて、凄く速いと、ボールの弾道がレーザービームのように見えるから、レーザービームって言うんだよ」

 坂本さんは丁寧に教えてくれたが、実際に見たことのない私は、よく分からなかった。竹内も、目をパチクリさせていたので、よく分かってなさそうだった。
「それじゃあ、武田さんの財布が屋根に乗ったのは?」竹内は大きく目を開いたまま言った。
「あー、多分武田さんは、財布をボールに見立てて、フライのように、財布を1回上に投げてから、キャッチして全力で前に投げようとしたんじゃないかな。それで、上に投げた財布が屋根に乗っちゃったとかじゃないの?」坂本さんは簡単な仮設を立てた。恐らく、この説で間違いないと、私は根拠はなかったが確信した。

「あー、なるほど。それじゃあ、もし財布をキャッチできてたら、レーザービームのように、投げれたんですかね?」竹内はボールを投げるふりをして、恐らく彼も見たことのないレーザービームを想像している。
「酔っぱらいのおじさんの奇行でしょ。できるわけがないよ」坂本さんは笑いながら、店に戻った。
「まぁそうだよなー」竹内もそう言いながら、歩き始めた。

 少しでもレーザービームとやらを信じた自分が馬鹿らしくなった。やはり酔っ払いの言うことは、話半分で聞いておくのが丁度いい。

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