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暇人のポエム、あるいは生きやすさの話


大学時代から社会人なりたてくらいまではよく自分のための文章を書いていた。永らくそういう文章とは距離を取ってきたが、久しぶりに一人でゆっくり過ごす時間ができたので思いつくままに書いていく。

男の自分語りという最も需要のないジャンルだが、人は暇になるとポエムが書きたくなるものだから仕方ない。






ずいぶん長く思春期を引きずったのか、学生時代は内省的な日々を過ごしていた。
それなりに活発だった学生生活とは裏腹に、一人であれこれ考えては自分の存在に価値を見出したり見失ったりとなんとも青臭い自己愛に満ちていたように思う。

生きづらかった。
というより(多くの若年層がそうであるように)大げさで独りよがりな生きづらさを勝手に感じていた。
そして、その生きづらさの中にアイデンティティを見出していた。





社会人、仕事に集中することは生きやすさをもたらした。

価値を出せているという感覚。
社会的な承認。
そして何より、オフに余計なことを考えないでよいくらいには適度に時間と脳内リソースを削ってくれた。


特別仕事が好きと思ったことはないが向いてるとは思っていた。
仕事中は頭がしっかり回る感覚があるし、仕事を終えた後もやりたいことが自然と浮かんでくる。
コトに向かう時間が増えるにつれ、必然的に自分についてグルグル考えることもなくなっていった。

子どもが生まれ転職し、それは更に加速した。
目の前には100%の力で取り組む仕事があり、そこに子育てと家事も加わる。
日々真正面から対峙する以外の選択肢はなく、余計な思考は不要になる。






ある時期から思うようになった、生きやすい。

日々余計なことは考えずに目の前のことに取り組む、それを365日続けて、何年も続ける。気づくと遠くまで来ている。
幸福になるコツ、というより不幸を最小化するコツは考えすぎないことだ。


自分は幸いにも社会にフィットしやすかったようだ。
というより現代社会において価値が認められやすい特性と自分の特性がたまたまフィットしていた。

ただ、得意なことと価値を感じることは必ずしも一致しない。
仕事も社会生活もきっとそれなりに上手くやれるが、たまに得意なことに逃げているような感覚になる。






So what? (突如登場する概念コンサル)

ここまでつらつら書いておいて嘘でしょ?ってなるけどほんとに意味なくかつ中途半端に終わる文章を書いてしまった。

終わり終わり。

よく分からない自己満&ナイーブをポエムで一度爆発させ、
明日からまたコトに向かう。

読んで頂きありがとうございました!