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ベーシックインカムはなぜ潰されてきたのか?そして未来は?

ヨーロッパの今

先日、スイスのベーシックインカムの国民投票をやったエノ・シュミット氏とオンラインで久しぶりに話した。シュミット氏は、現在フライブルク大学に設立されたベーシックインカムの研究機関の運営にあたっている。
この9月からEUではベーシックインカムのECI(European Citizen Initiative)が開始された。ECIという制度はスイスと違って、署名によって法的拘束力のある国民投票が義務付けられているわけではないが、18ヶ月で100万筆の署名が集まったらEUの政府である欧州委員会は市民の提案に対する対応を表明しなければならない。数年前にも同様の試みがなされたが、福祉政策は各国政府が対応すべきこととして署名活動が認められなかった。今回は、それに比べれば前進している。署名は現時点でおよそ10万筆集まっている。そもそも人口5億のEUで100万の署名というハードルは高くない。この制度は、EUの成立過程でダイレクトデモクラシーを志向する市民たちのはたらきかけで実現した。この制度と同様に「一定数の署名(人口の1%程度)による国会審議の義務付け」という決まりがある国は少なくない。日本は、いくら署名を集めても行政や議会の一存で無視されて終わることがほとんどで、主権者の署名がこんなに軽んじられる国をデモクラシーの国とはとても言えない。少なくとも、日本のあり方は世界の常識じゃない。

シュミット氏によると今回のECIの懸念事項は、財源に関する提案がないことだ。たとえ100万の署名が集まっても、財源問題を理由にできないと回答されて終わる可能性が高い。また、スイスでも、もう一度ベーシックインカムの国民投票をすべく署名集めが開始されたが、メディアはほとんど採り上げず、あまり盛り上がっていないようだ。

コロナのお陰で、ベーシックインカムを求める声は大きくなった。でも、結果として、財源が手当できないということでうやむやにされるだろうというのは、私の当初からの予想だ。打開策が本当に必要だ。

ブレグマンは、『隷属なき道』の中で過去ベーシックインカムが頓挫してきた様子を伝えている。過去にあったのは、すべての人に社会生活ができる金額を支給するユニバーサル・ベーシックインカムではなく、所得の最低水準を政府が保証するものだ。こうした経緯をほとんどの人が知らないが、実はとても興味深いことが行われていた。それを私見を加えながら紹介したい。ベーシックインカムは竹中平蔵のアイデアだと思っている日本人は少なくないかもしれないが、決してそうじゃないし、彼が言ってるから邪なものではない。

60年代のアメリカ

ケネディが暗殺されてから2ヶ月もたたない1964年1月、副大統領から昇格したジョンソンは、年頭の一般教書でアメリカの全世帯の5分の1が、生活に必要な所得がないことを明らかにして、貧困に対して全面戦争を布告した。こんな戦争だったら涙がでるほど大歓迎だが、60年代のアメリカでは、貧困の撲滅は、月に行くのと同じくらい国の一大目標だった。

第2次世界大戦に勝利してから、かつてない繁栄を誇ったアメリカで貧困問題がクローズアップされたきっかけは、経済学の巨人ガルブレイスが著書『ゆたかな社会(The Affluent Society』の中で、この問題を指摘しことだ。さらに1962年、マイケル・ハリントンが『もう一つのアメリカ(The Other America)』で詳しく伝えることで、社会問題として広くみとめられるようになった。

しかし、ジョンソン政権がやった政策は、貧困層への職業訓練や進学機会の拡大、青少年の非行対策、スラムの環境改善のボランティア活動などで、抜本的な解決には程遠いものだった。こうした取り組みは今でもスタンダードで、貧困の撲滅を最重要課題として掲げるSDG’sだって同じようなもの、お茶を濁している程度だ。本当に実現しようとしていない。

そして1968年、MLキングが所得保障を要求してワシントンで一大キャンペーンをやろうという矢先に暗殺される。


興味深いのは、この時代、工場のオートメーション化で多くの仕事が失われるという危機意識があったことだ。もう条件の良い賃金労働は増やせない、だから所得を保障するしかないとキングは考えていた。テクノロジーが仕事を奪うというのは、こんな時代からあった話で、最近AIのお陰で突然降って湧いたことじゃない。今、これほどクソどうでもいい仕事に溢れた社会で、まだジョブ・ギャランティーとか言ってる経済学者は大丈夫だろうか?ケインズがいったように、公共事業で失業者に穴掘らせて、そこにカネ埋めて、それを掘りかえすとか、うってつけかもしれない。こんな、人間が発狂しそうな仕事は、マクロにみると少なくないけど、細分化されて人がうけるストレスが薄められているから、なんとか社会が成り立っている。

さらに、この年ガルブレイスからハイエク、フリードマン、トービン、サミュエルソンら総勢1200人を超える学者が連名でアメリカ議会に対して所得保障の導入を提言した。右派左派を超えてほとんどすべての主要な経済学者が現金給付を支持した時代があったのだ。この頃、新自由主義の祖であるミルトン・フリードマンは、貧困とはカネのないことに過ぎず、所得を得る権利は確かにあると言っていた。そして、高額所得の大部分が所得税として徴収されたこの時代、フリードマンは、低所得者にはマイナスの所得税、つまり給付をすべきだと主張した。アメリカも日本も経済が一番よかった時代には、所得税率の累進性がとても高かった。所得税減税の経済効果なんて、いったい何のことだろう?ブレグマンのダヴォス会議でのスピーチは世界中で喝采を浴びたが、彼がいったのは、
「1500台ものプライベートジェットでここに集結して、フィランソロフィーの話してどうするんだ?話すべきは、増税と、タックスヘイブンの話だろ?」

60年代をみると、社会のリーダーたちが本気で貧困を撲滅しようとしていたのがわかる。リーダーたちが、ちゃんと社会課題が何かを理解してそれを解決しようとしていた。今、格差が極限まで拡大しても、リーダーたちは知らぬふり、メディアも金持ちにゴマすってもち上げてばかりなのとはずいぶん違う。
そもそも人間とか、世の中ってそんなもんだよと思いがちだが、そうじゃない。自分は恵まれた環境で生まれ育っても、命をかけて身を賭して弱いもののために闘うリーダーがいた時代があった。それが本来の人間の姿だろうが、今は人の一番大事なところがすっかり麻痺してしまっている。確実にヒューマニティが低下している。

この1968年に行われた大統領選挙の最中、最有力候補だったロバート・ケネディもキングの後を追うように暗殺される。そしてニクソンが大統領になった。

こんな経緯から、1969年の夏、ニクソンは、すべての貧困家庭に無条件に収入を保障する法律を成立させようとした。家族4人の貧困家庭には、年1600ドル(現在の貨幣価値ではおよそ1万ドル)の収入を保障し、1300万人以上のアメリカ人が現金給付を受ける計画だった。所得保障が基本的人権になろうとしていたのだ。

ところがこれに補佐官のマーティン・アンダーソンが猛反対、ニクソンに6ページの報告書を渡した。これは、社会学者カール・ポランニーが1944年に書いた『大転換』からの引用が大半で、世界初の社会保障制度である19世紀のイギリスのスピーナムランド制度は、貧乏人を怠けさせて、生産性と賃金を大いに下げたとあった。

この時期、シアトルとデンバーで行なったベーシックインカムのパイロット・プロジェクトでは、受給者が怠惰になる兆候はなかったと報告されたが、ニクソンは、補佐官に影響されて、貧困を撲滅すると同時に、失業者の怠惰さと戦うといいだし、受給者に労働省に登録する義務を課すことにした。それによって「貧困層は怠け者」という俗説が強調されてしまい、結局、この法案は、下院は通過したものの、保守的な政治家たちがアメリカの福祉国家化に異を唱えて、上院で否決された。シアトルの実験で離婚率の急増が報告されたことも悪影響を与えたが、後にそれは計算上の誤りだったことが分かった。

この時、アメリカで所得保障が実現していたら、今の世界の状況はまったく違っていただろう。

以後、世論は大きく変わっていく。ジョージ・ギルダーは、『富と貧困』で貧困は怠惰と悪徳に根ざす道徳的問題だと主張し、チャールズ・マレーは『ルージング・グラウンド (Losing Ground)』で、スピーナムランドの失敗を持ち出し、公金での支援は、貧困層の性のモラルと労働倫理を弱めるだけだとした。

いつの間にか貧困の撲滅という国の目標はなくなり、貧困のない生活は権利ではなく、働いて手に入れるべきもというのが常識とモラルになり、自己責任、カネが必要なら働けの一点張りの社会になった。そして、「ある人の収入が一定の水準より少なくなると、周囲の人は当然のように、その人に説教し、その人のために祈るようになる」(ジョージ・オーウェル)

愚かな常識はこうやってうまれている。貧困に対する説教や祈りは、この構造的な社会問題に対して慰めにさえならない。キングの魂の叫びがある。
「みんな、フルタイムで働いてもパートタイムの収入にしかならずうんざりしている。そして、仕事を見つけられずうんざりしている」
私は付け加える。
「なんのために、人間を機械やコンピューターと生産性で比較するんだ?人間が生きているから需要が発生し、経済がうまれるんだろ?」

そう、今では経済環境がどうであろうと、失業はスキルや努力の問題になってしまった。そして公的支援、生活保護を受けるには自尊心をボロボロにして仕事ができないことを証明する必要がある。こんな条件を突きつけられると、人間は本当にダメになる。
そしてダメな人たちの管理に多大な税金が投入され、社会貢献の仮面を被った無益な職業訓練のビジネスが大手を振るう。

スピーナムランド

1830年の夏、イギリスの各地で暴動が起き、農民たちが地主の収穫機械を壊し、生きるための賃金を要求した。政府はこれを厳しく取り締まり、多くの人びとを逮捕、死刑にした。これを機に、王立委員会は貧困者への所得保障であるスピーナムランド制度の調査を行う。これは、史上初めて政府が政策決定のために行なった大規模な調査だった。報告書は1万3000ページにも及び、後々まで社会科学のモデルになった。

そして、その結論は、スピーナムランド制度は大失敗だったというものだった。この制度により、人口が激増し、モラルの低下を招き、労働者の質が下がり、賃金の低下ももたらした。この報告書によって40年近く続いた史上初の所得保障制度は廃止されたが、そのお陰で、貧困に陥った人たちは再び勤勉、倹約になって労働力への需要が増し賃金が上がったと追記された。

そもそも、古典主義の経済学者たち、マルサスは食糧生産は人口増加に追いつかないといったことで有名だが、彼はスピーナムランド制度は人口増加を加速させるからと言って反対した。また、自由貿易の理論的なバックボーンをつくったディビッド・リカードも、所得保障は勤労意欲を低下させ、食糧生産を減らし、結果、フランスのような革命につながると警告していた。マルクスも『資本論』で、この報告書をベースに所得保障制度を否定、貧困撲滅に必要なのは革命だと言った。その後も、ベンサム、トクヴィル、JSミル、ポランニー等が所得保障を批判した。そもそも「ただお金をあげると人は怠ける」と世界中でほとんどの人が根拠もなく思っている、そのルーツはこの報告書かもしれない。

そして、報告書が出されてから150年後、歴史家たちの見直しによってこれは捏造だったことが判明した。報告のほとんどはデータの収集前に書かれ、質問状への回答は10%しかなかった。質問は誘導的で、聞き取った人は、ほとんどが受益者ではなかった。大半が牧師などの地元の名士で、彼らは、この制度に好意的ではなかった。

実際はどうだったのか?

1795年5月、フランス革命で揺れるヨーロッパ、勃興するナポレオンにトゥーロンの戦いで敗れたイギリスは、凶作に悩まされても、食料の輸入もできない。そういう背景からバークシャー州スピーナムランド村で貧困支援が合意され、貧困家庭に対して所得保障をして現金給付した。生活困窮者は救われる権利をえて、餓えと困窮は減り、革命の気運はなくなった。この制度はすぐに近隣地域に広がり、首相のウィリアム・ピットは、それを国の法律にしようとした。

ケンブリッジ大学の歴史学者サイモン・シュレターは、この制度によってイギリスは世界の大国になったとさえ主張している。労働者の収入を保障し、流動性を高めることで、イギリスの農業産業を世界一効率の良いものにしたという。面白いのは、この時代、農業生産は増加したが、脱穀機の普及によって多くの人が仕事を失った。テクノロジーによって仕事がなくなっている。

もちろん、マルサスの説が間違いなことは歴史が証明済みで、現実は貧困がなくなれば子供をたくさん産まなくなり人口は抑制される。そして人口増加に食糧生産が追いつかなかったことはない。ちゃんと配分をしないから局部に不足が生じるだけだ。そして、1830年におこった暴動の原因は、労働意欲の低下による食料の減産ではなく、リカードが提案した金本位制への復帰だった。それで大きな信用収縮がおこって不況になったのは、日本を戦争に導いた昭和恐慌と同じだ。愚かな人間が歴史を繰り返すというより、実際は支配を強めるためにわざとやっている。私たちは、誰もが好景気を望んでいると錯覚しがちだが、富の集中に不況は必要だ。

今、世界のあちこちでベーシックインカムのパイロット・プロジェクトが行われているがその中心テーマはあいも変わらず「労働意欲が下がるかどうか?」だ。過去、下がった例は1つもなかったに違いない。自分はどうするかをよく考えて、そして他人も自分とあまり変わらないという事実に思いを馳せればいいだけだ。コロナのこんな状況でそんな検証をしてる場合じゃない。

さて、未来は?

スピーナムランド以前、エリザベス1世の時代の救貧法では、貧しい家族は、働けない人と働ける人に分けられ、高齢者や子供は救貧院に収容され、働ける人は、競売で地主に売られた。そして、1834年にこの所得保障が廃止されると、過酷な救貧法が復活した。報告書捏造の目的はそこにあって、つまるところ安い労働力を欲する人たちが捏造を仕掛け、イギリス政府がそれに加担した。もし、60年代のアメリカ同様、イギリスでも所得保障制度が人権として存続していたら、やはり今の社会はずいぶん変わっていただろう。

今、コロナによって経済構造が不可逆的に変わろうとしている。人の移動が急速に減って多くの仕事が成り立たなくなる。政府はそれに対して抜本的な対策をとるだろうか?

コロナのお陰でベーシックインカムに注目が一挙に集まった。これからの社会には不可欠だと感じている人も少なくないだろう。でも、じゃあどうしよう?となるとその原資として大増税も大借金も誰も言い出せないまま、結局、時間だけが過ぎて放置される可能性が一番高い。特に日本の役人や政治家は自分たちへの見返りが期待できない国民への直接給付をやりたがらない。社会保障という言葉は増税の言い訳に使われる単語にすぎず、人権意識が希薄な国から新しい人権政策が実現するというのは想像しにくい。

このままでは、私たちがたどり着く未来は、新しい救貧院が広がる社会・・・というのは、まったく絵空事ではない。最低限、寝る場所と食べ物だけが支給され、あてどなく日々を過ごすたくさんの人たち。アメリカの刑務所ビジネスのようになるかもしれない。傍観的な経済評論をしている場合じゃない。

コロナの死亡率が高くないのは初期段階でわかっていた。なぜ一大世界キャンペーンを展開したのか?ワクチンをつくる製薬会社の利益のためにこんな大それたことはしないだろう。もっと世界の富を集中させ、貧困を増やして、支配を徹底するためだろう。

いうまでもなく、過剰な生産力を手にした現代の人間社会に、貧困の必然性はまったくない。この社会にあるカネの総額もまたあきれるほど過剰だ。そして基本的にカネは通帳の印字に過ぎない。それでも、多くの人には人間らしく暮らせる印字が与えられない。それは、劣って役にたたないから仕方がないということにされている。これから、さらにそれが激増するだろう。

スピーナムランドから200年以上たった。過去、ベーシックインカムを人権にしようとする取り組みはあったが、潰されてきた。今の常識からは想像しにくいが、過去には違う常識があった。

今は、企業家ばかりがもてはやされるけど、天才がどんなに素晴らしい事業をやっても、人類の最大の課題である貧困はなくならない。テクノロジーがもっと進歩して、あらゆるものが自動化されても、人は幸せにはならないだろう。そんなことは、実は誰もが知っている。

人間は生来不平等を嫌い、常に他の人をミラーリングしながら同調する存在だということが科学的に明らかになっている。自分さえ良ければ幸せだと思えない存在なんだ。でも、社会のいたるところに張り巡らされた富と権力のピラミッドをのぼっていると、大事な本性が麻痺していく。あきらめながら、見て見ぬふりをするようになる。もちろんピラミッドは共同幻想に過ぎないが数字の印字と同じように強固に意識に刷り込まれている。奴隷制度はなくなったことになっているが、現実にはほとんどの人がみえないマネーの鎖に繋がれたままだ。自然は人間に無条件に生存環境を提供しているのに、なぜ人間界のルールに条件が付いているのか?

ユニバーサル・ベーシックインカムが実現すると、もちろん貧困は根絶される。そして何より、この世界で「支配」が作用できなくなる。誰もが自分の言動を誰かに強く干渉されることなく、自分で決められる。文明がはじまって以来の本当の革命と言えるだろう。ベッペ・グリッロは日本の講演で「何より大事なのはベーシックインカム。それであらゆるものが変わるから」と言っていた。
だから、共同幻想な社会のピラミッドの上の方から救貧院は降ってくることはあっても、ベーシックインカムは降ってこない

さて、人類の歴史の新しい扉をひらくには、どうしたらいいだろう?


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