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ああ、時給7ドル、職業の貴賤、そして、理想の会社組織

1.
日本の最低時給が7ドルなことを知ったら、きっと世界は驚くだろう。とても先進国と言える水準ではない。ほんとうに恥ずかしいことだと思う。決して、それは、急激に為替が変動したための、一時的な現象じゃない。

時給7ドルがどんな世界か、経験のない人にはオススメだ。本当は社会のリーダーとしての自覚と責任感がある人こそ、そういう経験が必須なはずだけど、実際のところ、誰も知らないだろう。日本社会も、基本的に、生まれた家庭環境でかなり断絶してしまっている。豊かな人たちにとっては、時給7ドルの世界になんのリアリティもない。そして、彼らが社会のリーダー層だから、時給7ドルが問題視されることもない。

まぁ、そういう世界に、いざ、足を踏み入れてみると、

7ドルの世界に楽な仕事はない。基本、一日中、立ちっぱなし、動きっぱなし。そもそも、ほとんど運動をしないデスクワーカーだったら、できっこない。3日ももたないどころか、半日ももたないのは確かなことだ。

7ドルの世界では、侮辱的な扱いを受けるのは日常だ。

ちょっとした不手際でも「だからお前は、いいトシして、こんな仕事にしかつけないんだ」とかね、ははは、コメカミがひきつる。
(そんな事言うやつに限って、素性がわかりだせば、手のひら返したようにこび売りだしたりする、マジクソ!)

当然、長時間働かないと生きていけないから、それ以外のことが何もできなくなる。たまの休みは疲れて寝るだけ。この環境から、抜け出しようがない・・・

そう、時給7ドルの現場の、人の入れ替わりの激しさに、驚く。辞めたって同じようなところしかないだろうに。私はいちいち悲しい気持ちになるが、どうしようもない。雇う側にとっては、どうせ他に行くところもないやつだろうと、パワハラも日常、それで、どんどん辞めても、次々と雇えばいいだけ、まさに、ベルトコンベアーだ。こういう過酷な環境の中で、あきれるほど辛抱強い人だけが残って、少しだけいい待遇が与えられ、ベルトコンベアーのお目付け役に昇進する。

さて、世界一のエリート校といえるイートン(首相が19人でてるとか・・・どういうこと?)の奨学生だったジョージ・オーウェルは、ロンドンでホームレスと一緒に放浪し、パリのスラムに住んで飲食店で皿洗いをする中で、「貧しい人は決して劣っていない!」と言った。外食チェーンの現場で私がみたのは、フルタイムでバイトかけ持ちして片親の面倒みて、ヘトヘトになるまで働く若者たち。彼らは、ブルシット・ジョブに勤しむ中途半端で脳天気なエリートより確かに優れていると思う。そもそも現場で機転をきかせるのは、素頭が良くないとできない。学校の科目の暗記とか、社会じゃクソの役にも立たないなんて、今さら言うまでもないことだ。そして、能天気なエリートたちは、こんな社会なのに、「もっと日本人は愛国心をもつべきだ」とか、言っちゃったりもする。めまいがする。お育ちのいい人たちは、およそいい人たちで、ハングリーな強欲とは程遠い。悪意はない。ただ、社会の問題を知らないし、知ろうともしない。恐らく、例え知っても、何も対策はとらないだろう。
ただ、組織の論理の中で、まるで良いことをしているかように平然と悪事をするのもまた、普通の善人たちだ。その現実は忘れちゃいけないことだと思う。組織の中で、その悪事を止めようとすると、およそ袋叩きにあって追放される。それでも昔よりは、ずいぶんと良くなっているはずだ。

2.
実は、とうてい暮らせない時給の仕事は、社会にとっては、欠かせない仕事であることが多い。その一方で、ベッペ・グリッロが言うように、今や、賃金労働の半分は、まったく誰の役にもたっていない。これからAIが人間の仕事を奪うんじゃなくて、もうとっくにほとんどないのに、カネで人が縛り付けられているんだ。デビット・グレーバーの指摘に基づいて調査会社が調べてみた結果、「自分の仕事は誰の役にもたっていない」という自覚がある人がそれほど多かったということだ。他ならぬ、やってる本人が自覚しているというのは、とても深刻なことだ。そして、多くの場合、そういう仕事ほど、収入が多い。

なんと倒錯した社会だろう。

そもそも、本当に「職業に貴賤はない」んだろうか?

誰の役にも立たない、ただカネのためだけの仕事は、私は、やはり卑しい仕事だと思う。反論は大歓迎だ。そもそも人は誰かの役にたちたい存在なのに、役に立たない仕事に人生の大半を費やすのは、自分自身を貶めているとしかいいようがない。

私も、他に方法がないと思っていた時には、確かにそういう仕事をしてきたと白状する。いろいろあるからここで細かくは書かないが(笑)、そういう仕事をしていて心の虚しさが消えることはなかった。秋田の山奥で育って、自然にまみれて黙々と汗を流し、で、結局貧しい人たちの中で育った私は、会社に勤めて、初めて東京のオフィスビルの中の現実を知って、大きな虚無感とやり場のない憤りを感じた。
「これが、仕事なのか・・・」
会社は今でも、学生の人気1番、給料もほぼ最高だ。あの頃よりはずいぶんマシになっていることを期待するばかりだ。
私がヨーロッパ線のビジネスクラスに乗ったのは23歳からだった。ファーストにアップグレードしてもらったこともあった。今は、あまりの長旅のときは、くたびれることもあるが(笑)、また乗りたいとは思わない。
本当は、優越感と幸福感は対局にある。バックパッカーのほうがはるかに楽しい。

「この仕事自体は誰の役に立たなくても、それで周りの人の生活を支えられるのは、人の役に立ってることなんだ」。
世の中には、そう、自分に言い聞かせて、自己暗示にかかったふりをしながら、そのブルシットジョブを続けている人は少なくない。しかし、人生の大半の時間がそれに費やされるんだ。当人は、本当のところ、勘弁して欲しいと思っているのは間違いない。

テクノロジーが驚異的に発達して、今の社会はすっかり生産過剰になっている。1人で100人分の食べ物が作れてしまう時代、いったい、残りの人は何をすればいいのか?
みんなの生活を変えるような、先端テクノロジーに関与してる人はごくごく僅かだ。そういう仕事を礼賛したって、浮かばれない。そして、テクノロジーがどんなに暮らしを便利にしようが、決して、人を幸せにすることもない。

完全に役に立たない仕事の他にも、およそ、なくても誰も困らないようなものをつくって、それをあたかもなくてはならないもののようにアピールして、手間もカネもたくさんかけて一生懸命それを売っている人は、少なくない。私は売り込みが苦手というより好きじゃないが、本当のところ、売り込みが好きな人なんてほとんどいないんじゃないか?

もちろん医者の数だけ病気は増えるし、弁護士の数だけ訴訟が増えるのは、言うまでもないことだ。

ふぅ・・・
とりあえず、だからこそ、ユニバーサル・ベーシックインカムは喫緊なんだよ。

3.
かつて「パートで25万円」といって失笑をかった総理がいたが(間違いなくそれは「能天気」に分類される)、世界最高であるジュネーブの最低賃金23フランで月160時間働けば60万円だ。そこそこいい給料もらってる水準はその倍だ。これが世界の現実だ。

「いいものを高く売らないと資本主義は成り立たない」松下幸之助さんに会った時にそう言われたんだというのが、私が昔少し席を置かせてもらったコンサルティング会社の創業者の口癖だった。当時、新自由主義にのっかって、ひどい価格競争に邁進する日本社会に警鐘をならしていたんだ。マトモだったと思う。

私は、スイスがずっと競争力で世界のトップにいるのは、単純に給料が高いからだと思う。そこから善循環がおこる。日本がなぜ、世界一高齢化して人口減少してるかって、その逆だからだ。人件費をとことん削った社会はそうなるってあきれるほど単純な話だろう。長いあいだ、日本だけ名目賃金が下がってきた。ほんと愚かなことだ。最大の原因は、もちろん派遣法だ。あんな愚かなことを無抵抗にやってしまった国は他にはないだろう。政党や労働組合がどれほど腐敗しているかってことだ。日本は世界のどこよりも新自由主義に邁進してしまった。人の再生産ができない賃金レベルまで。日本のリーダーたちの希薄な人権意識こそ、日本経済を駄目にした最大要因だといっていい。そもそも一体なんのための仕事なのか?本末転倒にもほどがある。
スイスの20代の若者が「スイスでは、金持ちは決してそんな素振りを見せない。そうしないとマトモな社会生活がおくれないから」と言ったのを聴いて、本当にビックリした。思い出すと、日本でも、一億総中流といわれた時代には確かに「金持ちぶってはいけない」という空気があった。あの時代がさほどいい時代だったとは思えないが・・・。
人件費削って利益出して、自分はあたかも有能な経営者だと得意げに派手な生活をひけらかしている日本の経営者はどれくらいいるだろう?そして、そんなのをちやほや、もてはやす人びと。目眩がする。あきれるほどひどい搾取が当然のこととして行われているのに誰も異を唱えない。みんな丸ごと恥を知るべきだ。ベトナムから出稼ぎに来た若者は「日本はイジメの国」って私に言った。賃金格差は、どんどん縮まっているのに、まだ彼らにもそんな扱いをしている。私は散々やったけど、結局、くそなパワハラをとめられなかった。経営者は放置し、悲鳴を無視し、加害者を守る。

起死回生の方法はあるのか?

日本は、国会議員の3人に1人が世襲という、世界に例のない国だ。異常と思わないのが異常だ。もちろん親から議員の序列まで引き継いでいるから、権力は、能天気な世襲議員たちが握っている。だから変革なんて不可能だ。因みに、世界で一番賃金が高いスイスの国会議員の給料は先進国で一番低い。とても先進国と言えない賃金の日本の国会議員の報酬は世界で一番高い。イタリアも、さすがに世襲の蔓延まではないだろうが、日本と似たような構造をもっている。因みに、スイスは国民の政治家に対する信頼度の高さも世界トップクラスだ。こっちに住む日本の人は「ここの政治家はみんな学識高い」と言っていた。比べるのが悲しい。

議員の質と報酬は反比例すると断言していい。かつて、一緒に海外を旅した議員の振る舞いを見て、卒倒しそうになったのは、私だけではないだろう。日本では、議員の中でも、かなりマトモと見なされている人たちだ。観光旅行しかできない。どっか訪問しても、通訳いても挨拶さえできない。しようとさえしない。ほんと、情けないんだ。
そして、なにか新しいことを学んでも、酒のんで一晩経てば、すっかり忘れて、何も変わらない日々を過ごすんだ(笑)。

これらはみんな、長い間の、国民の政治的無関心がまねいた状況だ。無関心な空気の中で、珍しくも政治に関わる人間は、権力欲の強い醜いやつとレッテルを貼られ、何となく白い目でみられがちだった。実際そういう人が多いのもまた事実だ。だが、結局、無関心のツケがどれほど大きかったのかということを、これから嫌というほど国民が味わうことになるだろう。

状況の改善の見込みはまったくない。
もちろん、英語力の問題も深刻だ。ほとんどの人がいまだに他国の人と直接まともに意思疎通ができない。若い世代は少しでも向上してるんだろうか?

総じて、絶望的という判断が正しい。

4.
スイスはおよそ10年ほど前、連邦で一律の最低賃金を制度化しようとする試みがあったが、国民投票で否決された。しかし、その後、いくつかの州でそれが導入されている。

最低賃金世界一のジュネーブは、ルソーが生まれた街だ。

民主主義の祖といわれるルソーは「人間は代表者をもったとたん人間じゃなくなる」といっている。
人間じゃなかったら何なんだろう?

日本に、従業員満足度世界一を目ざす飲食業の若手経営者がいて、現場の現状を肌で知ってるものとしては、とても嬉しくなった!

じゃ、世界一ってどんなだろう?
考えてみた。

理由も良くわからないまま、誰かが決めたことをおカネと交換でやる。
人生のほとんどの時間がそんなことで過ぎていく。
それって人間らしいのか?

モチベーションあがるはずがない。

会社組織の意思決定、経営に関わったことがある人は、はたらく人のどれくらいだろう?

本当は、みんなが経験したらいい。人の能力なんてほとんど差がない。
そもそも自分がやることを決めるのに、自分自身が参加できないなんて最悪だ。

機会がないから自分の力が発揮できないと感じている人、どれくらいいるんだろう?
わざわざ自分で起業しなきゃ発揮できないのか?

でも、一方で、現場の人手こそ、欠かせない、エッセンシャルな仕事だ。みんなが起業したらいいということには決してならない。

フレデリック・ラルーによると、世界の先進的な組織では、誰でも、やることの提案ができて、現場で話し合って決められる。断然、そっちが人間的だ。ピラミッドは、トンチンカンな意思決定になりがちで、結局、クソ仕事の巣窟になっているだろう。意思決定を一部にに集中するから問題だらけなんじゃないの?

オンラインのプラットフォームで、経営情報をオープンにして、誰もが自由に意見を言って話し合ったらいいと思う。五つ星運動は15万人でそれやってて、ちゃんと機能して政権とった。(今はどうなんだろう?とりあえず、照会中で、今度会った時に詳しく聞いてみる)。
それによって、多くの人にとって、違った視野が開けて、貴重な経験が積み重なるはずだ。

そして、給料で、人と仕事をランク付けするのはやめたらいい。職業に貴賎がないというなら、そもそもそうするべきじゃないか?
ランクづけしたら上になるのはいつも少数だ。モチベーションは、上がるより下がる人のほうが多い。そして、報酬を動機にしたとたん、人は、仕事への本質的な興味関心を失うってことは社会心理学的に分かっていることだ。

そう、ドイツには、報酬を全部同じにして、成功している会社だってあると、ラルーが紹介している。

社員の給料がみんな同じ会社で働く人は、幸福度が格段に高まるに違いない。それも、給料が世界一高いところで実現したら一番いい。

もちろん、仕事にブルシットジョブ感がないことも、とても大事だが、幸いにも飲食業にはそれがない。食べることは、人の生きる営みに直結している。美味しさは喜びに直結する。売り込みのへ理屈がいらないし、やっても通用しない。
パワハラなくて、いいコミュニケーションがあったら、最高な世界だ。
そして、確かに、日本食は世界のあちこちで人気だ。

かつて私は、起業しても、事業拡大の意義がどこにも見いだせなかった。決して悪い製品ではなかった。でも、根底にブルシットジョブ感があったからなのは確かだ。でも、今回は、事業を拡大することで、自分が眼の前で見てきた厳しい環境の人たちが一人でも多く開放されて、想定とはおよそ違う生き方ができるんだったら、それ以上素晴らしいことはない。

どうだろう?

歴史的には、ずっと戦争に巻き込まれ、政治的にも混乱が続いた中国では、多くの人が国外に逃げ出し、中華料理を武器に、コミュニティつくって助け合って、世界中に根を張ってたくましく生きてきた。
本当に長い間ぬるま湯に浸かり続けた日本人にそんなたくましさ、根性はない。
でも、私たちもそうした方がいい時代に入ったといえるんじゃないだろうか?
ガラパゴスに流行る病は、中にいるとただの常識だが、外にでて人と話すと、かなり深刻なことに気づく。そもそも、英語力が一向に向上しないという事こそ深刻な問題だが・・・。

私は、いつも現金はもっていないが、こないだ、ローマで、ひょんなことで珍しく小銭が手に入ったので、スーパーに行った時に、入口の脇に座ってる男の人の前の紙コップに少し入れた。
しばらくして、もう一回スーパーいったら、その人がまだいたから、あっと思い出して、手をふって、部屋においてきた残りの小銭を取りに戻って、残金2ユーロのコインを紙コップに入れた。今度は、にっこり笑いあって、彼とがっちりと握手した。
そして、スーパーで2ユーロのワインをカードで買って、戻った。

まぁ、飲めないことはない。

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