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W杯ジャンプ札幌大会:時代の風にも飄々と

1月の国スポフィギュアスケート、カーリング日本選手権、それから毎年恒例のスキージャンプW杯と今年は冬季競技生観戦3種、我ながらとても冬を楽しんでいる。
前ふたつは屋内競技でジャンプは屋外。今季はなんとか雪不足に悩まされることがなかったけど、大会の翌日には2月の札幌としては異例な高温になった。この先も屋外の冬季競技を安定的に楽しむことができるのだろうか、とはどうしても思ってしまうこの頃のお天気。

16時から競技開始の夕暮れナイターは、天気がよければ刻一刻と変わっていく空の色とジャンプ台のコラボを楽しめる。太陽が出たら暖かさを感じる昼間の試合と違って、夜は日暮れとともに寒さが増してくるけど、その雰囲気は格別。

ビニールハウスのような採暖室にはこうして競技を中継するモニターも設置されている。寒ければここで観戦することも可能だけど、現地にいながらビニール越しに競技を見るのはさすがに勿体ない。けど現地にいながら寒さを気にせずビールを飲みながら臨場感を楽しむことが出来るともいう。
90年代はこうした設備はなくて、更には今のようにゲートファクターやウインドファクターなんてなかったから風のコンディション次第で何度も競技が止まる、生で観戦するにはもっとも過酷な競技なのではと当時ジャンプファン仲間とよく話をしてた。

この日は前日の予選を突破した葛西紀明が51歳にしてW杯本戦を飛ぶ。試合に出ればそのまますべての最年長記録を更新する選手。今季国内の大会で若手選手を抑えて実力で勝ち取った舞台。

W杯ポイントのない選手はスタート番号が若い。4番スタートの葛西。50人の選手が飛ぶ中で2本目に進めるのは30人。20人は1本目で所謂足切りとなる。シーズンのランキング逆順に飛ぶわけだから、早い番号の選手が30人以内に残るのは当然のことながら簡単なことではない。

そんな中で葛西の1本目は90.6ポイント。後続の選手達がその数字を超えていく。超えていくけど、90点に及ばない選手もおなじぐらいいた。それほど風が難しいコンデションでもあった。掲揚台の各国国旗は風を全く受けずに垂れ下がっている。

その流れから見て、葛西が2本目に進めるかどうかはかなり瀬戸際の予感。
「葛西さん残れるだろうか」
「なんかギリギリ31位とかありそう」
「それやだ」
一緒に行った友達と固唾をのむ。

葛西にQがつくまであと一人というところまで来た。
90.6p以下の選手が一人でも出たら2本目進出。けれど残りは11人、ランキング上位の選手達しかいない。そのうちひとりが90.2ポイントに終わったとき、場内DJが興奮した声で葛西の2本目進出を伝えた。そして今年も当然のように期待されていた小林陵侑は1本目1位。1本目28位の選手と1本目1位の選手に、それぞれ意味は違えども同じように喝采が送られていた。

今年のW杯はここ近年の中でも人の入りが多かったようだった。人と人の隙間が狭かった。
長野五輪の翌年はブームで大倉山に一万人からの観客が集まっていた(と記憶している)。ただ以降は緩やかに下降線で、それでも近年はブレーキングトラックに近いエリアの席を新設したり、スタジアムDJを導入したりと時代に合わせた変化も見受けられていた。
その日の場内DJは「僕が担当をするようになってから一番人が入ってる」と上気した声で更に場を盛り上げようとしていた。場内に設けられたスポーツバーでは参加国のビールを販売していて、そのビールが用意した分売り切れてしまったという。近年にない反応だったのだろう。

ジャンプ観戦については古い人間なので、個人的には今の大音響の音楽のDJスタイルに馴染めているとはなかなか言えない。けれどそんな個人的な好みも、こうして新しいスタイルを楽しんで人々が集まってくる光景に勝るものではない。選手だってたくさんの観客の中で試合をしたいだろう。

時代が変わり周囲が変わっていく中で、90年代からずっと応援を続けているノイズチームの皆さん方は今も同じ場所で昔と変わらないスタイルでいる。下川町の応援団のみなさんもずっと変わらずオレンジのポンチョで集まっている。採暖室に女子の伊藤有希が挨拶に現れ、応援団を含め周囲の人達から拍手を送られていた。変わるものと変わらないものがここでは自然に融合してるように、思えた。

2本目の葛西は力が入ったのか1本目に及ばない飛距離で最終的に30位で終える。小林陵侑もまた今季ここまで総合1位のクラフトに既のところで逆転を許し2位。それでも最後まで盛り上がった、それぞれの力を見せつけたいい試合だった。日本の若い選手たちも坂野がW杯地元出場を果たし、二階堂は翌日の試合で7位。いずれも親世代の現役時代を覚えている選手達だ。

世代は変わり、一方で変わらない選手もいる。続ける限りは終わらない。年齢でもキャリアでもない。葛西のみならず長野五輪金の船木も未だ現役だ。時代が遠く過ぎていっても、人々の記憶の旬を過ぎていっても、彼等は終わっていない。いまも日本の第一線で戦い続けている。

時代を担った選手達は、そのキャリアが「終盤と見做されると」過去に追いやろうとする逆風とも戦うことになる。若い世代、次世代の輝きに私達は簡単に目を奪われる。「もう衰えたよね」「次の若い子たちが」、そうした世代交代、年相応という尤もらしい常識は、けれど選手達の常識ではなくて。第三者が押し付けるべきものでもなくて。

過ぎる時代の向かい風にも飄々と、ジャンプを飛ぶ時と同じようにむしろ有利に操って飛んでいく姿を見たこの大会。それは若い選手達には出すことの出来ない輝きだった。

(文中敬称略)


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