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hero suits

ファンとして率直な気持ちを綴っておこう…すこしは感傷的になることを悲しまないでね…という記事を書いてから1ヶ月…経って…いない

現実はどうか。
「感傷的になっている暇どこ行った」
である。
特にこの数日は風速50mの世界で暮らしていたような気さえする。
何もかもが怒涛であった。

BSで鎌倉殿を見たあとどんよりとした気持ちで開いたTwitterにこれが出ていて

メディアで告知されずいきなりこの動画だけが流れてきていたら「AIがフェイク映像作ってきた」くらい世の中を疑ったことだろう。メディアを通して知らせてくれてありがとう。

羽生さんといえば公式サイトもなければSNSにもアカウントを持っていない。持っていないのにTwitterで何か話題になったらだいたいいち早く知ってて全部把握してる。庶民を装う水戸黄門様程度にはどこに潜んでいるのかわからない。わからないけど彼は確かにここにいる。そういう存在だった人がSNSのアカウントを持つということで羽生ファンは沸きに沸いた。沸きに沸いて「何を投稿するんだろう」という妄想で三日三晩過ごすつもりだった。

妄想の時間はわずか一日で終わった

告知の翌日にも配信、当日のライブ配信はウォーミングアップからリンクでの練習を含めてまるまる2時間。これを怒涛と言わずしてなんと言おうか。

正直なところ、選手でいれば競技会があるごとにメディアで取り上げられる機会があるけど、プロになると少なくともスケートの部分での露出は減らざるを得ないかなと思っていた。これまで他の選手の例を思うとほぼそういう流れだったので(それが悪いという話ではなく、今までそうだったという自分の固定観念)。
それが「プロになったらアマチュア時代と比較にならん量で来た」のだからおみそれしましたというかなんというか。私の中のオーサーが「ハニュウを見くびるなよ!」って笑っています。



大勢のメディアに囲まれて練習。
それは「見られている」んじゃなくて「見せている」ものに思えた。
表に出ていく時「羽生結弦」のスイッチを入れていくように思えた。
スイッチを入れたらその先は全てが舞台で、囲むメディアや関係者は時に観客であり時に同じ舞台に上がっている役者達。そんなふうに思えた。
だから練習の配信と言いながら、2時間のドキュメンタリーフィルムを見ているような気持ちになった。

狭い場所で大勢のメディアがひしめく中から、リンクに入っていく姿は自由な大海原に解き放たれたような、自分のあるべき場所に存在するような、そんな爽快感。
羽生結弦を、見る。

「羽生結弦」は重い存在だという。
「職業・羽生結弦」と野村萬斎さんもおっしゃっていた
でもたぶん間違いなく彼にしか遂げられず演じられない。
それをご自身もよくわかっているのだと思う。
けれどそれは職業だからといって自分自身の全部を晒すというわけでは全くなくて、言えば「羽生結弦というヒーロースーツ」を身に着けている時の自分はどこからでも、どこまでも見てください、というふうに見える一方で、動画に日常を投稿する予定はないと言っていたように、スーツの中の人、彼の「素の日常」はそっとされたいんだよな、そりゃそうだよなヒーロースーツの中の人を無理やり覗き込むようなこと、普通されたくないよなって思って。

私達自身も日々何かしらの役を演じている。
羽生さんほど重いスーツでは全然ないけど。足元にも及ばないけど。
それぞれの人生でそれぞれの役割を演じるように生きている。
本当の自分ってなんだろう、と時々悩んだりしながら。
そうした小さな迷いを蔑ろにはされたくないから、人のそれも蔑ろにしない。って思った。相手が著名人であってもなくても。

昨日練習を見てぼんやり感じたことを、高木さんのインタビュー記事に触発されてどうにか形にしたいとちょっと書いてみました。
何か報知の回し者みたいな記事紹介ばかりになっていますが実際好きです高木さん矢口さん(完全に唐突な愛の告白)



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