見出し画像

ミネソタナイス(FARGO 5)

こういうのをエスプリの利いたと言うのだろうか。
FARGOは僕のベスト海外ドラマで、
現在5作目が公開されている。

このドラマは一貫して人間を俯瞰的に眺めて面白がっている。
僕たちが日常生活を当たり前だと思って一生懸命生きている事を、いちいち注意して掘り下げ、ある時は無意味と感じ、ある時は宇宙の一部としての必然として面白がる、そんな作者の感性を一緒に楽しめる。

これまでの作品も、なぜにそうまでするかと言うほどに人間の性を描いて来た。シーズン5ではまた、日常にある不思議を詳細に描いて来た。

いつものようにこれは「fact」から始まる。笑

この監督はキャストの人選にえらく気を使っている。だから慣れてくると主役の表情でなんとなく話の成り行きが読める。この5でも、主役と思われる女性の表情がなんとも言えない。真矢みきのような浅野温子のような、松金よね子のような何とも不思議な表情をしている。それがこの5の主題。

真矢みきのように、考えているのか考えていないのか利口なのか馬鹿なのかどっちか分からないけど小さな事にはこだわらない、あるのかないのか分からない器の大きさ、浅野温子のようなシャープな聡明さと男気、松金よね子の顔でそれらの印象を全て無かった事にする平凡さ。

このドラマを見ていると頭がおかしくなりそうな気がする。
いや、おかしな人しか視ないのかもしれない。

このnoteのタイトルである「ミネソタナイス」とは詳細は調べていただくとして、端折って言えば「誰にも分け隔てなく接する」ことらしい。どこかで聞いたような言葉だなと思ったが、実は今回初めて知った。僕が聞いた事があるような気がしたのは「ミニスカポリス」でした。そんな事はどうでも良いのですが、とにかく人として素晴らしいものです。ですが。。。

監督はこの「ですが。。。」を表現したかったのでしょう。人の理想ではあるのですが、実際にはそんな人は珍しい。日本でも欽ちゃんや鶴瓶や出川哲朗のような有名人や美男美女が訪ねれば親切にもてなしますが、一般人のよそ者には厳しい。この作品に出てくるような、どこの馬の骨か分からないような人を家に上げるような事は絶対にしない。

実際にミネソタに数年住んでみれば分かるのでしょうが、観光や短期間お客さんとして行っても何も分からないでしょう。しかし「ミネソタナイス」と言う言葉がある以上、そのような事を良しとする風土があるのかもしれません。そんな「ミネソタナイス」の本性を明らかにしようとしたのかしないのか、すっとんきょうな話が続々と展開されます。

FARGOで笑い転げるような人がいたら、友達になりたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?