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奇想ノ四「八岐大蛇殺人事件 凶器の天羽々斬剣を追え」

八岐大蛇の退治物語をご存知でしょうか。記紀神話にも描かれている素戔嗚命が活躍する物語です。怪物を退治して美女を手に入れるという、古今東西の神話で語られる、英雄譚のプロトタイプといってよいでしょう。しかしそれはあくまで素戔嗚側から見た物語で、八岐大蛇側(あるいはその一族)から見たらどうなるでしょうか。これは立派な通り魔殺人事件です。今回はその視点から奇想してみましょう。

容疑者スサノオ、被害者ヤマタノオロチ、殺人現場出雲国

 素戔嗚命による八岐大蛇退治物語を、日本書紀をベースに見てみましょう。

 高天原で暴れ、姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)に追放処分された素戔男命(すさのおのみこと)。出雲国肥の河上流の鳥髪に降 ってきました。この時、箸 が河を流れてきました。素戔男命はその河上 に人が居ると思い上ってゆくと、おじいさん とおばあさんが美しい娘 を中に置いて泣いていました。

「あなた達は誰か?」と問うと、おじいさんは「私は国の神。大山津見神の子で名前を足名椎(あしなつち)、妻の名は手名椎(てなつち)、娘の名は奇稲田姫(くしなだひめ)といいます」と答えました。
「どうして泣いているのか?」と訳を聞くと、足名椎は「私には八人の娘がいましたが、高志 (越の国) の八岐大蛇(やまたのおろち)が毎年来て、一人ずつ喰ってしまいました。今年ももう来る時なので、悲しくて泣いています」といいました。

「どのような形をしているのか?」と尋ねると「その目は、あかかがち (ほおずき) ように真っ赤で、一つの身に八つの頭と八つの尾があり、体には苔 や檜 や椙 が生え、その長さは八つの峡谷と八つの尾根に渡っています。その腹を見ると、いつも血でただれています」と足名椎は答えました。

「八岐大蛇を退治するから娘を私の妻にくれないか」足名椎に問うと「恐れ多いことですが、あなたの御名を存じません」と答えました。
「私は、天照大御神の弟だ。いま高天原から降 ってきたところだ」
「それは恐れ多いことを申しました。娘をさし上げます」と申し奉 りました。

 素戔嗚命はすぐに奇稲田姫を隠すために、櫛に変えて自分の角髪 (みずら) に刺しました。
 そして足名椎と手名椎に「何度も醸した、八鹽折 (やしほおり) の強い酒を造り、垣根をめぐらし、垣根に八つの門を作り、門毎に八つの桟敷 を作りなさい。その桟敷毎に酒船を置き、船ごとに八鹽折の酒を盛って待て」と命じました。

 命ぜられたように備えをして待っていると、八岐大蛇が本当に現われ来て、八つの頭を酒船ごとに垂らし入れ、その酒を飲み干すと、強い酒に酔いが回り死んだように伏して寝てしまったのです。
 すかさず素戔嗚命は、十拳剣 (とつかのつるぎ) を抜いて「大蛇」を切り散らすと、肥の河は「血の河」に変わり流れ下りました。

 その八岐大蛇の尾を切った時刀の刃が欠けたので、怪しいと思い刀で刺し割って見ると、都牟刈大刀 (つむがりのたち) がありました。
 この異物 (不思議) な大刀を、姉の天照大御神に献上しました。この大刀が、天叢雲剣 (あめのむらくものつるぎ) です。

 こうして素戔嗚命は、宮作りの地を出雲国に求めて須賀の地に着くと「この地に来て我が心はすがすがしくなった」と申され宮を作られました。それでこの地を今でも須賀 (すが) といっています。

 素戔嗚命が、初めて須賀の宮を作られたときその地より雲が立ち騰ぼりました。そこで歌をつくられました。その歌は、

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を

 足名椎を呼び「我が宮の首 (おびと) 」に任じ「稲田宮主須賀之八耳神」と名付けました。
 素戔嗚命は、奇稲田姫と共に暮らし出雲国の基礎をつくり、子孫の「大國主命 (おおくにぬしのみこと) 」が大八州国を平定し治めました。

事件調書「八岐大蛇殺人事件」

 ではこの神話から、八岐大蛇を被害者とする殺人事件の調書を作ってみましょう。
被害者)八岐大蛇
 住所不定ながら、越国から出雲国に潜伏していた模様。広域に活動する非合法組織の構成員の可能性あり。出雲国において強度の支配権を有していた模様。

容疑者)素戔嗚命
 住所不定、元高天原の住人との供述あり。被害者との面識はこれまでになし。通り魔殺人としての容疑で調べる。親族に姉、天照大神がいるが事件との関わりにつては黙秘。

共犯者)足名椎、手名椎(夫婦)
 出雲国住人。出自は「大山津見神」の子と自称する。八鹽折の酒で被害者を酩酊させ、容疑者の犯行を手助けした疑いがある。なお事件後に娘と容疑者の婚姻を認める。後に容疑者宅の管理人となる。共犯の疑いが濃厚。
関係者)奇稲田姫
 出雲国住人。共犯容疑の足名椎、手名椎の娘。婚姻を条件に、容疑者に被害者殺害の嘱託をした疑いあり。なお被害者より深刻な脅迫があった模様。殺人教唆行為か、正当防衛行為か議論の余地あり。事件後に容疑者と婚姻し、被害者の支配権益を容疑者とともに略奪した疑いあり。
奪取財物)天叢雲剣
 被害者が所有していたと思われる剣。価値未定ながら、高価値と予想される。事件後に容疑者姉である天照大神に譲渡したとの証言あり。(写真下、レプリカ)

凶器)十拳剣(後に「天羽々斬剣」と呼称)
 出所不明。十拳剣は拳十個分の長さの剣という一般名詞で、日本書記中各所で使用されている(使用場面ごとに名称変更)。当事件の凶器としては「天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)」の呼称で統一する。なお、天叢雲剣取得時に欠けていることから、天叢雲剣の方が硬いと思われる。 
 事件後凶器は一時行方不明になるが、吉備国赤坂郡の石上布都霊神社で発見される。その後に第十代崇神天皇の命令で大和国石上神宮に移動させられた。
 追加調査:凶器十拳剣に犯罪歴ありと判明。元は容疑者父親の伊弉諾命(いざなぎのみこと)の所有。妻の伊奘冉命(いざなみのみこと)が火神・迦具土神(かぐつちのかみ)を産んだとき、その火で焼死させられる。伊弉諾命は十拳剣にて火神・迦具土神を斬首する。この時十拳剣は伊都之尾羽張剣(いつのおはばりのつるぎ)と呼ばれる。当事件で使用された「天羽々斬剣」と同一の剣とされる。この剣は古代世界の超兵器と思われる。

事件調書から浮かぶ三つの謎


 事件調書を読むとわからないところがあります。
謎1「足名椎一家は、どうして素戔嗚命を信用したのか」 
 足名椎一家は、八岐大蛇の深刻な脅迫(娘を生贄にする)に困窮してるとはいえ、なぜ突然出現した素戔嗚命の申し出を信じたのでしょうか。
 高天原の天照大神の弟という金看板?はあるにしても、ここ出雲では他国の神です。高天原の神々など知らなくて当たり前です。それを待っていたかのように、素戔嗚命の申し出を受けています。なにか不審な出来レース感を感じます。

 私の奇想では、実は足名椎一家は素戔嗚命を待っていたのではないのかと考えました。何の為かというと、この後行われる八岐大蛇殺害のためです。
 端的にいうと、足名椎一家は戔嗚命に先行して出雲に潜入していた、エージェント部隊(潜入スパイ)ではなかったのかと思いました。それは素戔嗚命に課せられた任務達成のための支援部隊です。

 証拠が一つあります。足名椎は自分を「大山津見神」の子と自己紹介しています。実は大山津見神は事件の凶器「天羽々斬剣(当時は伊都之尾羽張剣)」で伊弉諾命が火神・迦具土神を斬首したときに生まれた神なのです。つまり天羽々斬剣とともに生まれた一族といってもよい出自です。天羽々斬剣のサポート部隊としては打って付けです。

謎2「天叢雲剣はなぜ天照大神に献上されたのか」
 さて、素戔嗚命のは八岐大蛇の尾から発見した「天叢雲剣」を、最も容易く姉の天照大神に献上しています。この行為も不思議です。このとき素戔嗚命は高天原を姉の天照大神に追い出されているのです。献上する謂れはありません。戦利品は手元に置くのが普通です。
 もし、剣の献上により高天原への復帰が許されたのなら、献上の意味もあります。しかしこの後、素戔嗚命は出雲国の須佐に在続け、出雲の支配権さえ抑えます。剣の献上は全く素戔嗚命の為にはなっていません。

 これは素戔嗚命にとって、天叢雲剣献上が第一目的だったからではないでしょうか。神話では「八岐大蛇退治→偶然天叢雲剣発見」のようにありますが、実は「天叢雲剣奪取目的→八岐大蛇殺害」が本当の筋ではないでしょうか。立派な計画的強盗殺人事件です。計画達成のために足名椎一家は出雲に潜行していたのです。 
 そして第二の目的は出雲への居座りです。八岐大蛇殺害により支配権の空白地帯となった肥の河周辺の占領です。八岐大蛇殺害のサポート部隊の足名椎一家は、そのまま占領のための仕事に入ります。

 素戔嗚命は最初から「第一目標・天叢雲剣奪取」「第二目標・出雲肥の河地域占領」を使命とした、高天原の特命将軍だったのです。真の目的を隠すために一度高天原から出奔して、無縁になったように見せかけたのです。

謎3「天羽々斬剣はなぜ一度吉備国に隠され、大和に移動させられたのか」
 さて最後の謎です。凶器の天羽々斬剣はここで一度姿を消します。そして吉備国赤坂郡の石上布都霊神社に出現します。その後、崇神天皇により大和国の石上神宮に移動させられます。何かとても不思議な動きに見えます。
 素戔嗚命はすでに第一目的「天叢雲剣献上」、第二目的「出雲占領」を果たしています。ここで神話は終了しても良いはずですが、何か手がかりを残すように凶器の行方を日本書記は語ります。

 キーワードは吉備赤坂郡と石上神宮です。天羽々斬剣が再出現する吉備の石上布都霊神社(写真下)が、大和の石上神宮の関連施設というのは名前から容易に想像がつきます。そして石上布都霊神社は天羽々斬剣を祀るためだけに作られた社であると、神社縁起には記されています。つまり天羽々斬剣を一時置くために作られた基地なのです。本部は当然石上神宮です。


 なぜ石上神宮が天羽々斬剣の処遇に深く関わっているのかというと、それは石上神宮が「朝廷の武器庫」という役目があるからです。石上神宮は神社といいながらも多くの鉄剣を保有する軍事基地でもあるのです。多分、天羽々斬剣も元々石上神宮が保有する古代の超兵器の一つだったのだと思います。

 ではなぜ吉備国に隠されたのでしょうか。吉備と出雲の共通点は「鉄の産出国」という点です。飛鳥時代の記録には吉備国赤坂郡の租(税金)として「鉄の鍬」が納税されている記録があります。吉備には古墳時代の製鉄遺跡が30遺跡、製鉄炉跡は100基以上が発掘されています。
 天羽々斬剣は天叢雲剣との衝突で欠けています。吉備国赤坂郡には製鉄技術があったと考えられるので、天羽々斬剣の修理、または出雲が作り出した新兵器・天叢雲剣の解析のためだったのかもしれません(天羽々斬剣と天叢雲剣は同じルートで大和に運ばれたのではないでしょうか)。同じ製鉄技術の国として、出雲の新しい製鉄技術に無関心ではいられません。

 いえ、むしろ切実な問題だったかもしれません。古代において優秀な鉄器鉄剣を持った国は他国を滅ぼせるのです。中東のヒッタイト国はバビロニアを鉄器で滅ぼしています。吉備も大和もそれまでの超兵器・天羽々斬剣を欠けさせた天叢雲剣を作った新技術をなんとしても獲得したいでしょう。
 ですから素戔嗚命は出雲肥の河地域を占領したのです。この流域は製鉄遺跡が多数発掘されている場所です。素戔嗚命は単純な地域支配ではなく、新製鉄技術(および人材)の奪取が真の目的だったのではないでしょうか。(写真下、出雲荒神谷遺跡から出土した鉄剣)

「大和+吉備+出雲」古墳時代のヤマト王権

 さて天羽々斬剣は崇神天皇の命令で吉備より大和に運ばれます。だとしたらこの「八岐大蛇殺人事件」は崇神天皇の時代に起こった事件なのかもしれません。
 古代史に詳しい方々にはもう言わずもがなですが、崇神天皇は古墳時代初期の天皇です。初代神武天皇と続く八代の天皇は架空(欠史八代)とされ、第十代崇神天皇からヤマト王権は始まるといわれます。首都は大和の巻向(巻向遺跡で有名)です。
 この巻向遺跡(政庁)を中心に、箸墓古墳、三輪神社(大神神社)、石上神宮、また崇神天皇陵、景行天皇陵などがあるヤマト王権初期の中心地(地図下)です。


 崇神天皇の頃のヤマト王権は一種の連合政権と考えられています。
大和(北部九州からの侵入勢力)と吉備と出雲の連合です。三世紀に突如出現した巨大前方後円墳の箸墓古墳がそれを証明しています。箸墓古墳は北部九州の銅鏡文化、吉備の特殊器台(円筒埴輪の前身)、出雲の葺石装飾で築造されています。
 また巻向にはこの三勢力の拠点があります。出雲勢力の代表大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る三輪神社(上写真)、吉備勢力の代表饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀る石上神宮(中写真)、崇神天皇の巻向政庁(下写真)です。この三拠点が巻向中心施設で、これらを結ぶ日本最初の官道が「山之辺の道」なのです。

 石上神宮の基地が吉備に作られたのも、元々石上神宮に祀られる饒速日命が吉備勢力の代表者だからです。石上神宮の武器群も吉備製の鉄剣が主かもしれません。
 実はこの初期ヤマト王権は「鉄の王権」といってもいいのです。吉備と出雲の産鉄、そして大和の天皇勢力が抑える北部九州は朝鮮半島からの鉄の輸入窓口です。
 弥生から古墳時代、日本は鉄の生産量がまだ少なく、朝鮮半島からの鉄輸入に頼っていました。それを支配していたのが天皇(北部九州)勢力です。

 天羽々斬剣には異名がありました。「蛇之韓鋤(をろちのからさひ)」です。「韓鋤」とはメイドイン韓の刀という意味です。また天羽々斬剣の前名「伊都之尾羽張剣」は輸入元・伊都国(北部九州の国、魏志倭人伝で邪馬台国の記述に出てきます)という意味に読めます。石上神宮の超兵器も輸入品だったのです。
 こうして鉄の生産と流通を支配することで、急速に日本各地の首長たちを従え(または同盟し)たのです。鉄の供給により、同盟の証である前方後円墳築造を全国に拡大できたのでしょう。

出雲離反の暗喩「百襲姫猟奇殺人事件」

 さて、そんなペレストロイカ体制のヤマト王権のバランスが崩れる事件が起こります。それは「百襲姫猟奇殺人事件」です。出雲の代表者の大物主神の妻であった倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと、以降・百襲姫と表記)が不審死を遂げたのです。

 百襲姫は大物主神の妻でしたが、大物主神は夜にしかやって来ず、昼に姿は見せませんでした。百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に黒蛇の姿で現れました。百襲姫が驚き叫んだため、大物主神は恥じて三輪山に登ってしまいました。百襲姫が驚きと後悔で腰を落としたとき、床に立っていた箸が陰部を突いたため、百襲姫は死んでしまいます。そして大市に葬られました。それが箸墓古墳(写真下)なのです。

 不思議で猟奇的な死亡事件です。
 百襲姫は第七代孝霊天皇皇女といわれますし、墓が箸墓古墳という伝説(箸墓古墳の被葬者は判明しておらず、卑弥呼の墓、崇神天皇の墓という説も有力です)があるので、やはり崇神天皇と同時代の事件と思えます。

この事件は示唆に富んでいます。
1)大物主神が蛇体であること(大物主神=大蛇の可能性)
2)大和の皇女が出雲の代表者と結婚(同盟)したが、後に不審死をした(出雲の同盟離反)
3)箸で陰部を突き殺すという異常事態の出現(突発的政治状況の変化)
4)大物主神が三輪山に登り帰ってこなかった(籠城戦の勃発と大物主神殺害)

 ここまで書いてくれば、皆さんにも私の奇想が判ってきたのではないでしょうか。そうです、私は大和で起こった猟奇殺人事件を元として、素戔嗚命の神話が書かれたのではないのかと、奇想しています。
 つまり「八岐大蛇殺人事件」は実は「大物主神誅殺事件」だったのです。

「八岐大蛇殺人事件」の真相は大物主神との戦闘と出雲排斥

 長い神話の旅が、やっと終わろうとしています。私の奇想の全貌を記します。
 「八岐大蛇退治神話」は、実は鉄の権益をめぐる出雲VS大和+吉備による戦闘を含んだ政争の神話だったのではないのかと思います。神話解明の要点は5つです。
 1.八岐大蛇=大物主神
 2.素戔嗚命=崇神天皇
 3.鉄の技術の争奪戦(天叢雲剣VS天羽々斬剣)による出雲の同盟離反
 4.戦闘現場は出雲ではなく大和三輪山周辺で、しかも大物主神殺害という結末
 5.大和での大物主神との局地戦だけではなく、実際に出雲本国への軍事行動もあったのでしょう。それにより出雲の開発した鉄の新技術も大和、吉備連合は奪取したのです。その検証基地として吉備に石上布都霊神社を作っているのです。

 そして最も重要な奇想は、巻向に突如出現した巨大前方後円墳「箸墓古墳」は、八岐大蛇として退治された出雲の大物主神の墓ではないのでしょうか。
 考古学や歴史文献学から導き出された推論ではありません。私の奇想が見せた幻と思っていただいて良いのです。ただこの後も、出雲と大和、吉備との関係は続きます。ヤマト王権から離脱しようとした出雲も矛を納めるのです。
 そしてヤマト王権への出雲復帰の証としてか、はたまた無念のうちに死んだ大物主神の祟りを防ぐためか、大物主神は実に丁寧に葬られたのだと思います。証拠は箸墓古墳の巨大さです。

 箸墓古墳は墳丘長278m、高さ30m、3世紀中頃築造です。箸墓に先行する古墳群は100m以下の大きさですから、桁違いの巨大さです。例えば後年の崇神天皇陵(行燈山古墳)は墳丘長242m、高さ31m、4世紀前半築造。景行天皇陵(渋谷向山古墳)は墳丘長300m、高さ25m、4世紀後半築造です。崇神や景行よりも1世紀も早いのにほぼ同じ大きさの古墳なのです。当時最大の巨大古墳でしょう。
 これだけ巨大な墓に葬るのはそれだけ重要人物か、内外に祀っていることを示す必要がある人物です。大王(天皇)かそれ以上に。

 箸墓古墳は、大和と吉備と、出雲が再び連合を結んだ証として作られた巨大古墳なのだと思います。そこには大和と吉備と出雲の全ての技術を投入し、和平の象徴として造られたのではないのでしょうか。八岐大蛇として殺された大物主神を安らかな眠りにつかせるために。
 箸墓古墳からは三輪山が実に美しく眺められます。その美しさは、きっとそこに眠る大物主神の心をも慰さめたことでしょう。

【後記】この長々とした奇想を読んだ我が友が一言いいました。
「なるほど、ヤマタノオロチはヤマトノオロチだった訳だ」
お後がよろしいようで。

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