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ZOC FOR PRAYER TOUR 2021 SUMMER ①④才

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2021年6月10日(木) TSUTAYA O-EAST(東京)
OPEN 17:30 / START 18:30
ZOC FOR PRAYER TOUR 2021 SUMMER
https://eplus.jp/zoc-610-st/ (オンライン配信 6/16まで)

このご時世、遠征レポってしにくい状況だけど、新メンバー鎮目のどかを加えた新制ZOCのファーストライブはどうしてもこの目で観ておきたくて東京まで出向いてしまった。そして普通に良いライブだったくらいなら書かずに留め置くのだが、そういう次元ではない世界感をZOCはまたしても見せつけて来たので、書かずには居られなくなってしまった。まあ、ZOCは要所要所でずっとそういうグループであり続けて居るわけだけど🙊

とはいえ、ライブ全体をトータルに紹介するレポートは note.com などに上がってくるだろう投稿にお任せするとして、ここでは6月9日に発売されたファーストアルバム『PvP』最大の問題作「①④才」とそのライブパフォーマンスに絞った印象を書くことにする。

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もちろん楽曲の捉え方は人それぞれで、「①④才」を2月の武道館ライブで卒業した香椎かてぃと結びつけて聴いても結びつけずに聴いてもそこは自由だという前提には立っておきたい。しかし、Skream! のインタビューでの楽曲制作者・大森靖子のその曲についての言及部分を引用すると

-ミトさん(クラムボン)は「①④才」でも編曲をしていますよね。「CUTTING EDGE」とはだいぶ印象が違う、絶望的な、救いのない曲です。ミトさんに対照的な2曲で編曲をお願いした理由はどうしてですか?

大森:この2曲は対照的なんですけど、自分の中の希望と絶望の部分なんです。あんまり社会とか関係なく、自分がこうありたい、自分がこうだった、こういうことをわかってほしい、こういう経験をしたけど誰にも言えなかった――そういう部分を曲にして、ミトさんに作ってほしいなと思ったんです。久しぶりに14歳の感情みたいなものを思い出したし、そのうえで自分はそれに引きこもって生きていたくないし、だからと言って周りにそれをぶつけるようなこともしたくない気持ちがすごくあって。それを曲として残して、閉じ込めて、自分は先に行かせてもらうというので2曲作りました。裏づけとしては、瀧 廉太郎とか、夏目漱石とか、そのへんを意識して書きましたね。あったことをただ淡々と描くことって今までに1回もなかったくらいなんですけど、初めてそれをしました。"こういうのをやってしまった。でも、まぁいいや。14歳だし"と思って。

と「あったことをただ淡々と描く」という大森さんが「①④才」の歌詞で選んだ言葉には「煙草」「過去の仮定」「ブチアゲ」「けむり」とかてぃを思わせるキーワードがズラリと並び、「もや、薄煙」「いじめる」などのダブルミーニングをもつ「HAZE」が何度も繰り返され、「捨てたのはおまえじゃん」と言って曲を終える。

さらに「そのうえで自分はそれに引きこもって生きていたくないし、だからと言って周りにそれをぶつけるようなこともしたくない気持ちがすごくあって。それを曲として残して、閉じ込めて、自分は先に行かせてもらう」というこの意識がかてぃを通じた個人的なものでありながら、それが作品に落とし込まれることによって普遍化し、かてぃでない他の誰にでも通ずる話として、まずそれがアルバムで表明され、「ZOC FOR PRAYER TOUR 2021 SUMMER」ライブ初日において強烈な「儀式」として完遂された。

ZOCは一応「アイドル」というジャンルに属しているが、限りなくそのパフォーマンス自体が「アート」に近く、とはいえ、美大卒の大森さんならそう括られることに抵抗感を示すだろうことも想像できる。だから安易にコンセプチャルアートだなどと言ってしまうのはおそらく失礼で、では代わりになる言葉は何かと探したときに「儀式」というもっと古代からある原初的な人間の行動様式の一つに当てはめて捉えるのが適当ではないかと思った。

では、どのような儀式が行われたかというと、一つはオーディションで加入させた15歳の新メンバー・鎮目のどかをライブ冒頭「family name」の冒頭にアカペラで一人で歌わせるという、いきなりド緊張の窮地に追い込む無茶振りから始まったのだが、後から考えたらそれが最初の儀式だった。

鎮目のどかはメンバーたちに囲まれながらも一人だけのスポットライトを浴びて声をふるわせ、涙を流し、一瞬掠れ声になりながらも「クッソ生きてやるクッソ生きてやる」と全力で熱唱し、客席が緑色のペンライトで染まる。直後にピアノの音と共に「family name」のイントロが流れ、立ち上がった藍染カレンの頼り甲斐たっぷりの歌い出し、そして鎮目のどかの傍らで大森靖子がやさしく彼女の肩に手を置き「こんなのおかしいね なんで産んだの 手に届くもの全部投げ飛ばした」と歌った瞬間、鎮目のどかはZOC加入の割礼(イニシエーション)を終え、完全なメンバーになったのだと思った。

その後、歌えば歌うほどに、踊れば踊るほどに鎮目のどかの緊張は解け、巫まろとはまた違う質の高音ヴォイスを響かせ、少なくとも歌に関してはすでに戦力と言えるレベルを見せ、パフォーマンスはさすがに他の経験豊富なメンバーと見較べるとぎこちなさは感じたが、本人がMCで言っていたミスをミスとは感じさせないレベルにはすでに仕上げていて、このツアーを終える頃にはZOCの新たな個性として輝きを放っていることだろう。


そして問題の「①④才」は後半に差し掛かったあたりの「SHINEMAGIC」終わりで暗転し、機関銃やピストルの小道具を一旦片付ける間があってからの1:03:30あたりで始まる。

まず驚いたのがノイズエフェクタの入った歌い出しがCDで聴いたときは大森さんとばかり思っていたらカレンが歌っていたことだった。ZOCの歌い出しメンバーは特に固定されず、楽曲に合わせて最もその歌詞に適切なメンバーの歌割りになることが多いが、これまでの傾向として冒頭から内容きつめのメッセージ性の強い歌詞の場合、例えば「DON'T TRUST TEENAGER(ドントラ)」でも「猫は殺していない 殺せも言ってない」のパートは作詞した大森さん本人が担うことが多かった。

その意味でドントラ以上にメッセージ性の強い「①④才」を大森さんではなく、カレンが歌うこと自体驚きだったし、延いては大森さんのZOCメンバーへの信頼が増したことを現しているようにも思われた。冒頭の歌割りを歌詞と共に少しだけ拾うと

クサいんだよ 家族だとか青春だとか(カレン)
不真面目な奴等 息巻いて目障りだ(カレン)
クサいんだよ 煙草だって大丈夫とか(のどか)
合わせて生きても 馴染めない 仲間になれない(のどか)

溶かした夏 許さない(まろ)
タトゥーの花 許さない(大森)
許さない(カレン) 許さないまま忘れてあげるよ(のどか)
ディストラクション・シーズン(大森・カレン・まろ?)

HAZE お前はいらない子だって(西井・大森)
HAZE いつから当たり前だった(カレン・まろ・のどか)
抗って 抗って 抗っても意味はないトラウマ(大森・カレン・まろ)

と歌詞にハマるメンバーが歌う流れはいつものことなのだが、現地で自分は双眼鏡を持っていたので次第に最も苦しげに歌っているカレンとにっちやんの二人にばかり、歌割りでない時間も目を向けることになってゆく。

大森さんを除くと残り二人となってしまったオリジナルメンバーであるカレンとにっちやんにとって、かてぃと共に過ごし、共に闘ってきた時間の長さはまろとは比較にならず、いくら技術的にまろが一番歌唱レベルが高くても(+推しメンでも)、この時間、最も胸に訴え掛けてくるものがあったのはかつての仲間を葬り去る儀式に身を尽くしているカレンとにっちやんの二人に他ならなかった。

大森さん本人は自らそれが必要と感じて、云わば尊師としてポワしてるわけだから自意識的な所業になるわけだけど、カレンやにっちやんはまだ想うところもあるだろう仲間をポワすることをZOCが前に進むために必要と感じてやらざるを得ず、目を血走らせ、歯を食いしばって歌っている。

双眼鏡でこの二人を覗き込みながらちょっとばかし自分は一体何を見ているんだろうと思う瞬間がないでもなかったが、ZOCファンとしてはその場に居られたことが何か途轍もなく重要な時間を共有できたようにも思えていた(それが「共犯者」ということか?)。あとでオンライン配信映像で確認してもそのとき感じた異様な感覚は得られなかったし、カメラ割がカレンにっちやん中心にもなってないので、自分が高解像度の双眼鏡で観たあの光景が再現されることは二度とない。

また、ライブ後にメンバーであり振付師でもある雅雀り子がインライでこの曲の振付について話していたが、敢えてメンバーの動きを最小限にして歌うことに集中させ、自分だけが歌わずに踊っているという、そのり子ちゃんの踊りは自分の中ではこの絶望の淵を涯には落とさないギリギリの救いの装飾のように感じさせてくれるものがあった。それが本人の狙いなのかはわからないが‥‥。

いずれにしても、ZOCで一番人気で影響力を持っていた香椎かてぃに捨て(逃げ)られ、15歳の鎮目のどかを加えて心機一転、前に進んで行くためにはかてぃを葬り去るイニシエーションとも言える儀式がZOCには必要だったのだろう。自分はかてぃのインライの方は見逃してしまって、5ch情報程度しか知らないが、かてぃは「①④才」に触れ、相当ショックを受けてるようことを言っていたそうである。

それを素直に言葉にするかてぃには同情するし、ヘンな気を起こさないでくれと祈るばかりだが、ただ、自分の中では大森さんのこの作品は、大森さんのかてぃへの愛であるとか期待が裏返ってこのような形として現れたのであって、愛や期待がなければ出て来なかった作品だと思っている。あまり比較はしたくないが戦慄かなのに対してこのような作品は描かない/描けないのが大森靖子である。

そのことを時が経ってからでいいので、かてぃには気づいてほしい。

尚、「①④才」というタイトルに関して、14歳と言えばエヴァに乗れる子供と大人の境界域とされる中二病年齢で、Skream! インタビューでも「14歳」を大森さんは言い訳のように使っているのだが、ここで「14才」とせずに「14歳」と記事に記載させたことに大森さん側からの指示が入ったのかどうかはわからない。

ただ、自分の中では「①④才」という○数字に「才」を付けた意味に
ZOCコードナンバー #ZOC000:大森靖子 の
#ZOC001:藍染カレン と #ZOC004:西井万理那 への
「才」を信じるという意味が含まれているように思えてならない。

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