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戦争論から戦争論以後

1995年からゴー宣を読み始め、愛読者としてそれなりに影響を受けてきたと思う。

私がゴー宣を読み始めてすぐに週刊SPA!から小学館の「SAPIO」なる聞き馴染みのない雑誌に移籍し、連載第3話目が載っていたその雑誌を文房具屋で見て、連載再開している事実を知り、以後本屋で見かけたら立ち読みするようになった。
新ゴー宣になると誌面に合わせたのか急速に内容が右傾化し、すぐに慰安婦論争シリーズが始まって困惑したのを覚えている。
この困惑とは決して思想的な惑いではなく、単にマンガ作品として急激に退屈になり、明らかに絵が雑になり、漫☆画太郎もびっくりのコピー絵濫用(特に似顔絵部分)し、絵やコマ割りの展開で魅せるのではなく、ひたすら文章ですべて説明し、そのことを悪びれもせずに「世界一ネームの多いマンガ」と誇っていることにマンガ読みとしてはさすがにウンザリして、そろそろ読むのをやめようかと思ったりもしたものだ。
しかし社会問題に関心があるふりをしたいお年頃だったのか、マンガ表現としてまったく見るべきところがなくなったゴー宣を「時事問題を扱う社会派マンガ」というところだけをよすがにして読み続けてしまったわけだ。
今から思えば、あの時点で脱落しておくべきだったのかもしれないと悔やまれる。(まあ実際にはまったく後悔はないのだが…)

薬害エイズ運動の際に仲違いした学生たちへの恨みからの反動で一気に右サイドの運動に肩入れし、またそれが商売に繋がると気付いたのか、右派論壇の絵解きマンガを描き始め、そのスイが極まったのが「戦争論」であった。
小林は何故か否定しているが、慰安婦問題以降は右派論壇の主張を絵解きしていたことは紛れもない事実である。
その絵柄自体、「東大一直線」から「おぼっちゃまくん」の時までとは違い、非常に淡白なものとなり、特に作家性の感じさせないものに変化しており、それこそが絵解きマンガとしての読み易さを意識した戦略なのではとも思わせるものがあった。
それを本人が意識してやっているのかいないのかは分からないが、「戦争論」の絵柄を客観的に見て誰もが思うところなのではないだろうか。
これが私個人の偏見ではないのは、当時NHKで放映されたマンガ夜話という番組のスラムダンク回の時に役者の古田新太さんが小林の絵柄について、私の指摘と似た内容のことを語っていたのをよく覚えている。

小林は世間の大多数は自虐史観に冒されており、世の中は左翼言論に牛耳られており、右派こそが叛逆者であり、ロックであり、カッコイイしオシャレだと必死に喧伝していたが、新しい歴史教科書をつくる会の賛同者や協賛企業を見ると、あらゆるジャンルの権力者や大企業が名を連ねており、スポンサーの顔色を窺う立場に過ぎないメディア関係がリベラル寄りという社会状況であったのが真相だろう。
オウム事件の時もメディアのほとんどがオウム寄りであり、小林一人孤立無援で戦っていたかのようにマンガで描いていたが、それと同じパターンのミスリードである。
小林は未だにその手口で言論もどきをやり続けている。

「戦争論」以後、日本会議の前身である宗教団体やJC(青年会議所)やら神社本庁などの組織買いに支えられ、そっち系の絵解きマンガをスペシャル本の体裁で発表していた。
さすがに赤福の回とか唐突に一企業を持ち上げる話が差し込まれたりするのはどうかと思ったし、当時はその意図が理解出来ずに首を傾げたものだが、今ならばその理由も明瞭に分かるので、さもありなんと納得出来る。
とにかく他国をバッシングして日本スゴイを主張するだけを繰り返す攘夷論やら教育勅語を絶賛する修身論などが酷いのはその主張よりも単に過去作を切り貼りしただけの再録ばかりのものをさも新作スペシャル本として読者に買わせていたことだ。
予告の段階ではまったく新しい作品であるかのように宣伝しておいて、いざ購入して読んでみると旧作の切り貼りとか、ちょっとアコギすぎるだろう。
そのあたりから興醒め気分が始まっていたのかもしれない。
おそらくは組織買いに支えられていたので、そのような雑な商売をしていても、とりあえず右派に寄り添った主張さえしておけば一定の部数を売り上げることが保証されていたから出来る商法だ。

しかし、その後は薬害エイズ運動の時と同じで、自分を持ち上げてくれなくなったことに不満を抱き、自分を軽んじている相手についてマンガの中で悪魔化して描き、自らをさも受難者であるかのように描くという例のムーブ。
ハタから見ている分には「他人の揉め事」ほど面白いものはないので、それをすれば注目が集まるし、一定の支持を受け、人気が上がるのも事実だろう。
しかしその目先の人気の為にコミュニティを無闇に揺さぶることはのちに禍根だけを残し、信頼を失う結果をもたらす。

自分をチヤホヤしてくれなくなった右派論壇に強い恨みを抱き、嫌がらせのようにその逆張りをするというのは、リベラル寄りだった時に一気に右旋回したのと同じパターンである。
その結果として右派からの組織票を失ったわけで、それでもマンガ表現さえ磨き続けていればどのような主張をしていても多くの読者を獲得することは可能だっただろう。
しかし小林はそれを怠り、単なる絵解きという楽な手法で商売を続けてきたツケの返済をする晩年を迎えることになる。

戦争論以後、右派の組織買いに支えられていた当時は新刊が出ると本屋の新刊コーナーの目立つところに大量に平積みされており、本屋に行くとすぐに目につき楽に購入することが出来たものである。
これは私の記憶にしっかりと残っているが、天皇論あたりまでは発売日に新刊コーナーとマンガコーナーに大量に平積みされていたのに、反TPP論が出た時に大型書店コーチャンフォー美しが丘店に買いに行ったら、どこにも見当たらず、検索端末を使い探した結果、たった2冊だけしか入荷しておらず、しかも何だかよく分からない一角に捩じ込まれており、こんなのは俺でなきゃ見逃しちゃうねという感じであった。
沖縄論〜パール真論の商業的大失敗が響いたのだろう。以後、小林マンガは平積みされることはなく、新刊コーナーで見かけることはまずなく、その時々によって違うジャンルの棚の角にひっそりと置かれる状態におさまった。

小林自身、右派の組織票を失った自覚はあったのだろう。それでも自分は「言論人」としての影響力まで失ったわけではないと思い込みたかったのか、漫画の技術の向上を目指すのではなく、ゴー宣道場なるものを立ち上げることで政治的発言力を維持しようとしたわけだ。

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