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「疑う力」

脱・工業化教室


「枯」という漢字、6年生で習います。この字って、木と古という簡単な二つの漢字の組み合わせですよね。
音読みは「コ」、訓読みは「か(れる)」。部首は(きへん)
そして書き順は・・・まあ小学生の9割以上は言われなくても分かるのではないでしょうか。

ここで考えたいことは「主体的に学習に取り組む態度」と「疑う力」との関係です。

Aさんは、字がとても綺麗で、正しく書くこともできます。それに対してBさんは、Aさんほどではないにしろ、それなりに綺麗な字を正しく書くことができています。

さて、実はこのクラスでは新出漢字を学習する際には「書き順を5回確認する」というルールがあります。Aさんは素直に枯を指書きで5回練習しました。それに対してBさんは「これは木と古だから書き順は大丈夫と、ルールを破って、いきなりドリルに書き始めました。


このシーンを見て、多くの場合は

「Aさんは素直で一生懸命だ」

「Bさんはサボりがちなやつだ」

と評価されるのではないでしょうか。


でもちょっと待った。本当にそれでいいのでしょうか。
実は新学習指導要領解説における『「主体的に学習に取り組む態度」の評価イメージ』に照らし合わせると、Aさんが△、Bさんが◎となる可能性が高いと考えます。


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横軸は①粘り強い強い取組を行おうとする側面
縦軸は②自らの学習を調整しようとする側面

となっています。
要するにBさんは主体的に判断し、自らの学習を調整し、書き順の確認は不要と判断したのです。

さて、ではAさんが悪いのか。そんな訳はありません。ルール通りやっていたのですから。
ここに潜む大きな問題は「ルール」にあります。

規格化し、少し意地悪な言い方をすれば工業化された教室を作ってしまえば、教師は楽かもしれません。しかし、それと同時に子どもの「思考停止」を生んでしまう危険性を大いに孕んでいます。


「素直」=「思考停止」という価値づけをしてしまうことで、より思考停止な方へと子どもたちをミスリードしてしまうことにつながるのではないでしょうか。

ここで大切なことは「子どもの自己調整を認めることを前提としたルール作りをする」と、教員側がマインドセットを変えることなのです。


だから、子どもたちが漢字ドリルに向かっている場面では、教員は子どもたちが自己調整を適切に機能させながら学習に臨んでいるかを見取り、できていない場合には対話することが大切なのではないでしょうか。

「疑う力」が、ネットフリックスを生んだ


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ちょっと学校の話に前のめりになってしまったので、ビジネスの世界と繋いでいきましょう。

今まで何度も述べていますが、世界の多くの問題は解決されてきています。より早く、より多く、より安くモノを作るため、人類は諸々の問題を解決してきました。

そうなると、現状に「疑い」を持ち、「そもそもこれは違うんじゃないか・・・」という問いを持って検証し、新たな価値を生み出す営みが大切になってきます。

Netflixの創業者のリード・ヘイスティングスは、レンタルビデオの延滞料に腹を立て、このシステムに疑いを持ち、現在のサブスクリプションによる動画サービスを確立させました。皮肉なことに、それによってアメリカの店舗型のレンタルサービスは現在窮地に陥っています。

要するに、「疑う力」を子どもたちの中に育てることは、これからの社会で武器になる訳です。しかし、現状、この疑う力は、学校においては忌避される場合が多いようにも思えます。子どもの「疑う力」を認めるには、こちらが常に正しい価値観を有しておくという覚悟が必要ですからね。

「素直さ」と「疑う力」は相反するものではありません。教員が時代性に合った「素直さ」の定義をアップデートし続けることが大切なのです。