けさのまにえふしふ90

天地(あめつち)の寄り合ひの極(きはみ)玉の緒(を)の絶えじと思ふ妹があたり見つ(11-2787)

 天地之 依相極 玉緒之 不絶常念 妹之當見津

けさのまにえふ。「天地が接する果てまで、玉の緒のように仲が絶えまいと思う妻の家のあたりを、私は見た」

これ、「君んちの方を見た」というだけの歌なんだよね。でも情報が多くて、面白い歌だ。

まず「天地の寄り合ひの極」、これいわゆるhorizonのことだけど、地平線っていうほどこの国は平らじゃないので、まあ峠の向こうくらいの意味だろう。万葉の宇宙観は、天地が果てで繋がってる世界観であることがここでもわかる。

で、「玉の緒」。この歌は玉の緒の7首並ぶ歌の最初なんだけど、玉は飾りであるとともに、魂(たま)でもあるのよね。古代の人は、魂にも尻尾があると考えていて、ここでは、玉飾りの糸だけでなく、魂のつながりも示す、宗教性も含まれている。

この玉の緒だが、朝鮮のかつての土葬などを見ると、丸く持った土にちょろんと尻尾をつけていたり、出雲地方にかつてあった両墓性(埋め墓と参り墓と二つ作るシステム)のウメバカの方に尾があったと記憶している。

魂の尻尾の着想は、テルヤは二つ考えていて、一つはへその緒。もう一つは、魂→玉→勾玉→牙→獣の尻尾、という逆連想ゲーム。関係を「結ぶ」のも、運命の赤い「糸」も、このあたりに端を発しているのだろう。

こうして、妻の家を見るだけの行為を、宗教的な行為に変容することが、うたう、という行為と自覚されている感じがあるね。

照屋へんかん。

思い切ってあやまればぼくは泣いていてあなたも鼻を垂らして泣いて(照屋conv.)

あ、両墓制だ。あと、両墓制のメインの地域は、近畿だったかも。 

(20161206)

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