けさのまにえふしふ83

思ひ出(で)て哭(ね)には泣くともいちしろく人の知るべく嘆かすなゆめ(11-2604)

 念出而 哭者雖泣 灼然 人之可知 嘆為勿謹

けさのまにえふ。「私を思い出して涙にくれることはあっても、はっきり人にわかるようにはお嘆きになりませんように」

正述心緒。なかなか、ポエジーじゃないよね(笑)。現代的な読みだと、関係のあとの、身勝手なキツい歌に読める。

正述心緒って、つまり「本音トーク」のコーナーだったかもしれない。そういうコーナーを設けないと、言わない民族。身に覚えある。

で、これはキツい身勝手な奴だなー、という感想と、いるいる、そうやって関係をバラす奴、みたいに分かれたりしたんだろうか。

万葉時代の婚姻制度について、詳しくはないが、おおむね、貴族は男系一夫多妻、庶民はおおざっぱに東−男系、西−女系分布の、その初期的形態の双方婚だったと予想される。

だから、男は複数に通うことは可能だが、女は原則的(実際は「不明」)に複数を受け入れなくて、女は垂乳根の母に告げると"家"が婚姻に動き出す、というシステムだったろう。

実際は「不明」だが、夜這いにも多分猶予があって、男女ともに互いの相性を確認する何日かがあったろう。で、その時期の歌のような気がする。つまり、そのー、たぶん、うまく行ってないよね。

照屋へんかん。

鍋の湯気でめがねが曇るわたくしを笑ってくれてああこの人だ(照屋conv.)

(20161125)


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