けさのまにえふしふ38

あしひきの木(こ)の間(ま)立ち潜(く)く霍公鳥(ほととぎす)かく聞きそめて後(のち)恋ひむかも(8-1495大伴家持)

 足引乃 許乃間立八十一 霍公鳥 如此聞始而 後将戀可聞

けさのまにえふ。「木の間をくぐっては鳴く霍公鳥よ。このように快く聞きはじめても、後にはかえって恋しくて苦しく思うだろうか」

夏の雑歌。万葉の夏はこの鳥の鳴き声からはじまりますね。ホトトギスともカッコウとも言われてますが、四月のはじめに正確に鳴くので、春告鳥ならぬ夏告鳥的な位置づけでしょう。

この歌の謎は「後恋ひむかも」で、なんで霍公鳥の鳴き声を、あとで恋しがるのか。

初夏を惜しむ歌なのか。それとも個人的な物語があるのか。「後(のち)」は、どのくらいののちなのか。

家持「まあ、歌は作者のもとを離れた時点で、読者のものなんで、自注はひかえます」

勿体ぶった素人か! 自分から話す必要はないけど訊かれたら答えようぜ!

家持「死人に口はないからなぁ」

そりゃそうだ。

テルヤは、この「後」は直後のことかと思いますがどうでしょうか。鳴き終わったあと、またすぐ聴きたくなる、そういうことじゃないかなと。

家持さんはたぶん個人的に霍公鳥が好きで、歌数も数十作ってるし、この人の嗜好で万葉時代は理解(誤解?)されてるところもあるだろう。テルヤも鳥好きなんよね。飼うのも食べるのも。

あと、「立ち潜(く)く」の「くく」が相変わらず「八十一」と書かれているのもいいね。

照屋へんかん。

伝達の役目のために声と羽根と何かを握って丸めたら「鳥」(照屋conv.)

(20160909)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?