けさのまにえふしふ87
玉藻刈る井堤(ゐで)のしがらみ薄(うす)みかも恋(こひ)の淀めるわが心かも(11-2721)
玉藻苅 井提乃四賀良美 薄可毛 戀乃余杼女留 吾情可聞
けさのまにえふ。「美しい藻を刈る柵が水をせきとめるように、恋をせきとめるものが薄いから心がかえって燃えないで恋しさが淀んでしまった私の心か」
寄物陳思。寄物陳思は観察ではない、みたいなことを以前書いたっけ。もしこれが観察による歌ならすごいことだと思う。たぶん違う。
なんというか「障害があるから恋は燃え上がる」というプロットがこの時代にすでにあるってことだよね。すでにあって、その上で「スムーズに叶っちゃうからいまいち盛り上がらないよね」という歌なわけだ。
恋と障害のプロットって、曽根崎心中や、ロミオとジュリエットや、ギリシャ悲劇にもありそうだけど、万葉時代で、しかも「ドラマチックにならないなあ」という逆のつぶやきの歌って、おいマジかよ、と思う。
この「井堤のしがらみ」って、最初は一般名詞なのが、京都の井手を指す名所になっているらしい。やっぱりこの歌、インパクトがあったのかね。しがらみを「四賀良美」と仮名するのは、ちょっとかっこいいけどね。
照屋へんかん。
「フェチ」の語の出回る前からフェチだったあいつはメガネフェチと名乗らず(照屋conv.)
(20161201)
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