夢中になりたい

毎日、生きてる。起きて着替えて、洗濯して、買い物行って、掃除(はたまにしかできない)、洗濯物たたんで、ご飯作って片付けて。こうして書くとなんか、最低限?はしてる気がする。でもその中にやりたくてやってること、やる前やったあと達成感のあること、楽しいこと、人と関わること、が何もない。一応人と住んでるから最低限相手のためにやってるだけ。家政婦だってもう少しするんじゃないだろうか。アメリカの詩人、エミリーディキンソンは生涯の半分くらいを家に引きこもって家事だけして暮らしたらしい。彼女はその中でも豊かな詩を発表し続けた。批評してくれる人もいた。少なくとも彼女は引きこもっていても夢中になれるものがあった。私はない。何かを求めている。子供の頃から、ここじゃないどこか、今じゃない何か。未来の予定、誰かと知り合うこと、誰かが私の扉を開けてくれること。

子供の頃、何もない毎日をどう過ごしていたか。本を読んでいた。友達いない。習い事しない。家から出てはいけない。お小遣いない。TV見たらダメ。私に許されているのは、図書館にいって本を借りること。借りてきた本を読むこと。両親が許すのはそれだけだから。両親は多分今の基準で正式に精神科にいって治療を受けたらそれぞれに何かしらの病名がつくと思う。そういう精神状態の人たちだった。母親は子供の私に愚痴を垂れ流し、怒鳴ることで精神を発散させて、無添加無農薬な暮らしにハマって家族にそれを強制することで自分の世界を保っていた。父親は本。それだけ。家中の部屋に本棚があり、ありとあらゆる押入れ物入れに本があり、置き切れない本が床に積んであった。きょうだいが成長して、二階を勉強部屋につかうため父親の本を整理したことがあった。両親はそれをものすごい武勇伝のようにずっと後まで語っている。多分今でも話題にだしたら言うんじゃないかな。「お父さんはね!(母は自分に責任がないことをいうとき、そして相手にマウントが取れると思っている時はひたすら声を張る癖がある、うるさい)あんたたちのために!大切な本を!ほとんど!寄付しはったんやで!!(それはすごいことで)図書館からお礼状が来たんやから!!(←すごいことの根拠)(両親は自分の中に何一つ基準がなくてときに善悪まで人の価値観に左右される、〇〇さんが言ってはったから、世間の人がこういってはるんやで!というのは彼らにとってキリスト教の人にとっての聖書に書いてある言葉のように正しいのだ、誰かが何か言ってたって、それを正しいと思うかどうかは自分の中に基準があって自分で責任をもって判断するものだと思うけど彼らは責任を持たない代わりに〇〇さんが言ってる!ということのみを判断基準で私を翻弄した、他人が私を思いやっているわけもなければたいして責任を感じて何かをいってるわけでもない、なのにそれを両親がおかしく尊重し私はそれに振り回されるそんなことを幼児のころから繰り返してるうちにどんどん主体性のない人間になってしまった)こんな貴重な全集は古本屋でも手に入らない、それを全巻揃って寄付するなんて!すごいことなんやっ!!」そんなに本が大事ですか・・・。感想はそれだけだった。確かに父親は本が大事、コミュ障で仕事でも人間関係がうまくいかなくて、一時期入院してた。どもりで、自閉症みたいな父親。8時に家をでて、5時半に帰ってこれる楽な仕事で精一杯。こどものあいてが大嫌い。とくによく話すわたしのことはもっと嫌い。いつも話しかけて無視されていた。家に帰ったらすぐ、ご飯。TV読書。父親とちゃんと話したことは40年以上いきて一度もない。これからも、もうない。彼は私を見下してるから。私が彼の子供だと言うだけで。

それてきちゃった、とにかく主体性のない無理に閉じ込められたような日々を話の通じない精神障害者の両親に合わせながらただ本を読むだけで浪費しているうちに私はもう何もできない人間になってた。大人になってさぁ自由に生きて(お金も自分稼いでね)行ってくださいと言われた時本当に困った。もうそのときにはしたいこともないし、わからないし、動物園で虐待されてた動物が急にサファリにいや、サファリにもつれてかないな、道端で自由にされたみたいな感覚だった。それからずっと何かを見つけようと思ってできないまま。世の中には夢中な何かを見つけてキラキラしてる人がいる。私は俯いて道のはじっこを歩いている。目的もなくそうしてる昨日も今日も多分明日も。。。

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