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エジプト美術、青いカバについて覚え書き。

以前仕事の関係でとある学芸員の方に
展覧会を案内していただくことになった。
彼女はアートに愛と情熱を持った方で
曾我蕭白の絵や、白洲正子旧蔵の
信楽壺の前、尾形乾山の陶器、桃山時代の
織部の陶器等の前で語っていただくと
延々と話せるくらいの知識量に僕は完全に
打ちのめされてしまったのを覚えている。

ただ事実を話すのでは無く、その作品の
ストーリー(物語)を語られるのだから
ずっと聞いていて、とても楽しかった。
何よりもその方から感じたのは並ならぬ
アートに対する情熱そのものである。

そういう方に質問をぶつけ、名画の前で
熱く語り合えることは幸せ以外の何もの
でもなかった。その時はちょうど、
曾我蕭白の『「富岳図屏風」と
日本美術の愉悦  』という2015年の
特別展が滋賀のミホミュージアムという場所で
展示されていた。その時ちょうど、美術家の
辻惟雄さんが館長を務められていた時期で
その特別展に運良くバーネットニューマン
の『十字架の道行き』がワシントンD.C.から日本に
来てもいたのでかなり見応えがあった。

その方と帰りの車でお話させていただく
機会があり、そこで印象深い話があった。

僕は館内の中で、エジプト美術の
「カバの置物」が一番好きなんですよ。
と伝えた。すると、「なるほどあの子ですね」
とニヤリとほほえんで言う。続けて尋ねた。

あれってニューヨークのメトロポリタン
美術館の「ウィリアム君」と同じ種類に
なるんですか?と尋ねると、ええ、
そうです。同じですと言うことらしい。

ちなみに・・・と彼女は続けた。
ウィリアム君には足があるのになぜウチの
かばの置物には足が無くなっているのか
分かりますか?とつぜんそう聞かれ、
ことばに詰まってしまった。なぜなのか?
経年劣化で削れただけじゃないのか?
その劣化の具体的な経緯は・・・???

お手上げだった。僕の困った表情を見て
彼女は笑いながら答えた。いや実はですね
当時のエジプト人は死後の世界を信じていました。
なので死後、凶暴なカバに襲われないようにと、
足を切り落としたカバの置物を副葬品としてミイラと
埋葬する習慣があったんですよ。

なので発掘品としてカバが出てきても、
メトロポリタンの「ウィリアム君」みたいに
完品で出てくることはほぼありません。
足が切り落とされたのが出てくるのが
ほとんどです・・・でもですね、、あの
ウチのコも足がないけどなかなかすてき
でしょう。ウィリアム君にはない魅力がある
そう思いませんか? 

たしかにそうだった。
前足も後ろ足も欠けているけれど、
ウィリアム君が陽であれば、このコには
月のような翳りあるうつくしさが
そこはかとなく漂っている。またそこには
西洋と東洋の美の見出し方の対比があって
とてもおもしろい。そのような感想を
伝えた。いくら話しても話は尽きない。

最近美術館に行けてないなあと思った時に、
なぜかふと満面の笑みで絵画の前で手を
大きく広げて語る彼女の表情を思い出した
のであった。




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