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『あの光景があったから』

街の樹達は葉を落とし、その流麗な枝ぶりをあらわにしています。月桃の花は散り、閑散とした街並みを眺めていると、どことなくタルコフスキー映画のようです。関東でも冬が始まりを見せているのですね。パウルクレーのあの色彩のように。

その文章の先に続く手紙を書き終えポストに投函するとしばらくたったある日、家のポストを開けるとその青い洋封筒に入った一通の手紙がそこに入っていたのだった。ささやかな(いや、正直に言えば飛び上がるほどの)喜びと共にそれを手にするとそこには簡単な絵が描かれていた。簡潔な線で描かれた海の波、その上に揺られるヨット。空には太陽が浮かび、そこから何かが始まる予兆のような期待が心のそこから湧き上がってくるのだった。その女性と手紙のやり取りをすることになったのも今から振り返ればあの出来事があったからなのかもなと思うことがある。このような出だしで何かを語り始めると、そうかこれは小説なのかとあなたは思うかもしれません。しかし初めに申し上げておきましょう。これは小説でもなければエッセイでもありません。それでは一体なんなのか?そうですね、それでは仮にこの一連の話そのものを「白昼夢のための散文」と名づけることにしましょう。なぜならばこれからお話しすることは全て白昼夢で見たただの光景に過ぎないのですから。

あの日、あらゆる車両のタイヤは線路上の節々で気持ちのいい音を鳴らし、赤子を揺らすように乗客を揺さぶりました。僕も含めておそらく多くの方が眠っていたように思います。もちろん確認したわけではありませんが、うとうとと眠りたくなるほど、気持ちのよい季節だったのは変わりありません。右側の窓の景色からは青い空が広がっていました。太陽はちょうど真上からやや西に下ったところにあり、シャツ一枚で十分心地よく感じる気温でした。その景色にはただごくごくふつうの夏の空が広がっていた、ただそれだけでした。その通路を挟んだ右側の窓からの景色を眺めていたのですが(市内がよく見えたので)ふと左側の窓を見た時にその出来事は起こったのです。僕はその時ここちよい気温の中で少し意識がまどろんでいました。そのような中、その光景を目にしたのですからそれは現実なのか夢の中の出来事なのかがいまいちその境界線はあやふやになってしまっていたのです。そしてどうやらその光景を見ることになってしまってからでしょう。あのいくつかの出来事が持ち上がってきたおそらくのその原因は。

僕たちは岡山県のある庭園を散歩することになりました。たまたまお互いその庭園を散歩しており、屋台などがあったので、人の距離感はどことなく近くなるような空気感があたりにはただよっていたのです。だからでしょう。もしよかったらご飯でも食べながら少しお話しでもしましょう。そういうことになったのです。僕は岡山城を見上げていました。その時たまたま横を見るとある女性がその城を眺めていました。ご旅行か何かですかと尋ねると、最初は怪訝そうな顔をしていたのですが、そうだ地中美術館にモネの絵を見に来たのだと言いました。僕は驚きました。その日ちょうどそのモネの絵を見た後だったからです。そのことを伝えると、そうですか、それでは少しなら時間があるのでお話しましょう。そういうことになったのです。

その日なぜか手紙でやりとりしましょう。そういうことになりました。その日僕たちは屋台でいくつかの食べ物を買い、お茶を飲みました。ただそれだけです。彼女がペットボトルの蓋を閉めるその一連の流れはものすごく独特な所作でした。彼女の一枚の薄いブラウスの首元からは白い肌がうっすらと闇世の中に浮かび上がっていました。後から知ったことですがどうやらお茶をされていたようでした。それから僕たちは文通を始めることになったのです。長い長い手紙を何通も書いたのを思い起こします。

そのような手紙を書いているある日のこと、たまたま僕が愛聴しているラジオの恋愛相談に僕のお便りが読み上げられた時はその時飲んでいたビールを吹き出しそうになりました。どうやらこういうことも人生には起こるようです。とてもすてきなラジオパーソナリティの方でしたのでとてもうれしかったのを覚えています。ラブレターの書き方、それにはどうもコツがあるようです。僕はその方にラブレターの書き方を教えて欲しいとお尋ねしました。すると彼はこう言いました。ラブレターのコツ。それは楽しいな、おもしろいなと思うこと、それをきちんと書き溜めておくことですよ、と。それから最後の方にちょこっと好きだよと伝えたらいいと。僕は驚きました。なんだ、あたりまえのふつうのことじゃないかと。でも今思い返すとそのあたりまえのふつうのことを積み重ねてきたからその方は有名になることが出来たのだろうと。

その電車の左の窓の外を見上げると、銀色に光り輝く物体がそこにピタリと静止していたのです。急の出来事に僕は驚きました。心臓がどくんどくんと脈打つ音が聞こえてきたのをよく覚えています。するとその物体は3秒後、垂直にゆっくりと上がりシュッとどこかに消えてしまったのです。ろうそくの灯りに息をそっと吹き込んだ時と同じように。あたりまえですが僕は唖然としていました。その後しばらくそのしんとした空を眺めていると飛行機が右側から左へ飛んできました。あたりまえですが飛行機は左の方へゆっくりと並行に飛んでいました。急に垂直に上がることもなく平凡に。その飛行機が空に描く飛行機雲を眺めていると僕は先ほどのことはもうずいぶん遠いむかしに起こった出来事のように記憶が霞んできていました。その時の僕にはまだ何も分かっていなかったのです。その日の夜にまさか同じ絵画を見ることになる女性と会うことになるということも。あの有名なラジオパーソナリティに恋愛相談が出来ることになるのだということも。そしてその女性とは結局はうまくいかなくなるのだということも。その時の僕にはまだ何も分かってはいなかったのです。

そして今から思うとあの白昼夢で見たあの光景があったからこそこれらの出来事はもしかすると起こったのかもしれないなと、そう思わせられるのです。けれどそれは結局のところ先ほどの光景の後、空に引かれていたあの飛行機雲と同じようにあっけなく空に消えていったのです。しかしそれはそれでよかったのでしょう。なぜならそうでなければこうしてこの文章を書くこともなかったのでしょうから。そういう意味ではこの文章はある意味では宛先のないお手紙のようなものです。しかしあなたは読んでくれた。それでおそらく僕は救われるのでしょう。そしてこの文章を読んだあなたの人生にもおそらくはこれから何かが起こり始めるのでしょう。あの夏の日を境にいくつかの出来事が僕の人生に持ち上がった時と同じように。


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