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消えることのない憧れ~『レオニード様』(オルフェウスの窓)

 スカイステージで1983年の星組公演「オルフェウスの窓・イザーク編」が放送された。脚本・演出は植田紳爾氏、イザーク役は瀬戸内美八さん、ユリウス役が峰さを理さん、クラウスは榛名由梨さんが演じておられた。原作の第一部と第二部の冒頭、それと完結編を合わせた流れ。懐かしくなって、最終巻を読み返したり、ネットでブログ様を検索したり、久々に「オルフェウスの窓」絶賛思い返し期である。
 しかし、ここで書こうとする「憧れ」の対象は、このお芝居に出てくる人物ではない。原作の第三部・ロシア編に登場する軍人、レオニード・ユスーポフ侯爵である。またしても長くなりそうな予感しかないが、この作品との出会いから書いてみたいと思う。


 ツイッターにもつらつらと書いたが、1982年のお正月、もらったばかりのお年玉をもって、まだ近隣では珍しかったローソンへ出かけ、雑誌コーナーに置いてあったマンガ本に目が留まった。池田理代子氏の「オルフェウスの窓」18巻と、萩尾望都氏の「ポーの一族」2巻だった。

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 ベルサイユのばらはもう好きで好きで堪らず、文字通り手垢が滲むほど読み返し、アニメコミックまで買ってもらったほど。その作者・池田理代子先生のまだ読んだことのない本なら買うしかない! 萩尾先生のお名前は存じなかったのだが、イラストがとても素敵で、これも買うしかない! と、即決で購入した。こちらも素晴らしい作品で、その後、萩尾先生の作品も大好きになった。本当にあのローソンには感謝しかない。

 さて、このとき購入した「オルフェウスの窓」は完結編の18巻だったので、ユリウスやクラウスの最期などもいきなり知ってしまうことになったが、それまでにどんな物語が展開されたのだろうかとドキドキして、貯めていたお年玉を崩して、1巻からずっと買って読み進めていった。
 11巻まで買ったあたりで小学校の卒業式を迎え、長い春休みに入り、ゆっくりマンガが読めるぞと思ったものの、最寄りの本屋さんにはオルフェウスの窓12巻と13巻が欠品していた。取り寄せを頼むという知恵も勇気もないし、第三部に入ったばかりのところなので続きは気になる。どうしようかなあと思いつつの帰り道、古本屋さんの前を通った。古本屋さんで買い物したことはなかったが、もしかしたらここにあるかもしれない、と思い切って入ってみた。おじさんがカウンターに座っている、昔ながらの古本屋さん。忘れもしないが、カウンターの横あたりにまだ整理されてないマンガ本の山があり、そこに「オルフェウスの窓」も、12巻と13巻を含め、何冊か入っていた。初めて入った古本屋さん……。そこに探していた本があって、本当に夢みたいだ、と思った。(ちなみに、ほかは自分が持っている巻だけだった)

 そんなに早く続きが読みたかったのは、ヒロインのユリウスが保護されていたロシア貴族軍人の邸宅から脱出を図るという、実にハラハラするところで11巻が終わっていたからだった。ユリウスはどうなるんだろう、あの目つきの怖い軍人さんの屋敷から脱出できるんだろうか……。
 結局、ユリウスはいろいろあってその屋敷に留まらざるを得なくなり、そこからは「怖い軍人さん」レオニード・ユスーポフ侯爵のエピソードが続いていく。有能な軍人にして忠実な皇帝の臣下、皇帝の姪を妻に迎えるほど信任が厚く、皇帝を公然と操る怪僧ラスプーチンには義憤を感じて対立しつつある。そのさしがねで反乱軍の鎮圧を命じられ、シベリア近いウファへ赴くことになる。
 読み進めるうちに、最初は怖いおじさんに見えていた侯爵なのに、だんだんと応援したくなってきた。曲がったことが嫌いなんだな、皇帝陛下のために一生懸命に尽くす人なんだな……。そして、「ほんものの兵隊さんがみたかったんだもの」とこっそりついてきた幼い弟に見せる、人間味あふれる素顔。何があってもクールに沈着に構えている頼もしさもいいなあと思った。

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 17巻「ユスーポフ侯の最期」を購入したのは、中学校の入学式の帰りだった。アーケード街の書店から出て、ほかの店へ行く母に「ここで待ってるから」と言ってベンチに座り、ドキドキしながら本を開いた。16巻では、侯爵が「ロシア帝室隠し財産の相続人であるユリウスを暗殺せよ!」と皇帝の密命を受けて苦悩し、また、革命臨時政府に協力することで皇帝を守ろうとするところだった。
    サブタイトルは「ユスーポフ侯の最期」だから、やはり、ユスーポフ侯爵は亡くなるのだろうか……。先を知りたい気持ちと、ユスーポフ侯爵やクラウスの死を見たくない気持ちに揺らぎながら、ページを繰った。ユスーポフ侯は時代の流れに抗えずに、ピストル自決して果てる。12歳の読解力では、政治的なところ、難しいところまでは分からないが、侯爵もクラウスも一生懸命に力を尽くしたのに、報われないまま、その生涯を終えてしまったのだということは伝わってきて、切ない気持ちになった。読み終わって、しばらくぼんやりとベンチに座っていたのを今でも覚えている。

 それから何度もこの物語を読み返した。キャラクターも多く、学園ものの要素、推理小説的な要素、いろいろな側面があるので、そのときどきで面白さがあって読み飽きなかった。
 その翌年の夏だった。また何気なく「オルフェウスの窓」を手に取った。池田理代子先生の「女帝エカテリーナ」をきっかけにロシア史に関心を持って、いろんな本を読み漁っていたころでもあり、第三部のロシア編を読み返そうと思った。ちょうど12巻、ユスーポフ侯爵が反乱軍鎮圧のため、ウファに駐留するあたりだ。
 わずか一年半ほどしか経っていなかったが、12歳と14歳では、理解力も感受性もかなり成長するのだろう。初見のときは、物語を追って流れを理解するので手一杯な感じだったけれど、このときはもっといろいろなことが腑に落ちるというか、スッと胸にしみてくる感じがした。 
    そして、恋するという気持ちが、自分の心の中で芽をふき始める年齢でもある。
 ラスプーチンの嫌がらせで武器や弾薬の補給も足りない中、「世界最強とうたわれた我がロシア陸軍の底力を思い知るがいい!」と熱く決意するシーン。じっくりと反乱軍追撃の時機を待ちながら、「では、まだしばらく待つことになるな……」というシーン、軍帽で目元は隠れているが、はっとするほど端正で、胸がときめいた。
 さまざまな事件を通じて、ユスーポフ侯爵が動揺したり、苦悩したり、保護していたユリウスに惹かれていったり、人間的な心の動きが描かれている部分を読みながら、恋のような想いを掻き立てられつつ、ますます惹きつけられていった。この過程を書こうとするととんでもなく長くなるので省略するが、心の中での呼び名が「レオニード様」に変わったことで御推察頂きたい。
 そしてまた、レオニード様の最期のシーンが近づいてくる。
 レオニード様は、ご本人が最期に独白するように、皇帝や祖国への思いとユリウスへの想いを抱えて人間らしく苦悩し、精一杯に行動し、時代の流れに抗えずに敗れ、自決という形で、自らの人生に終止符を打った。そのことが、今回はずしんと胸に迫ってきた。
 妹ヴェーラが言うように、常に沈着冷静、一見冷たい人に見えるようでも、心の内側は愛情深く、誠実で一途な人。「私もお前(妹)も、結局は不器用な人間だったようだな」と苦笑していたけれど、不器用なほど一途な人生を見事に貫いた最期だったと思う。
 

   その後、いろいろなマンガや小説を読んだけれども、男性キャラクターであれほど惹かれ、憧れた人物はいなかった。(20代後半の頃、某・大人気バスケットボールマンガで夢中になる人物が現れるが、それはまた違った角度からの惹かれ方である)
 大学時代、文芸部の雑記帳に載せた「私の憧れの人」という短文の原稿を保管していたはず、と思い出し、古いファイルを探してみた。のちにワープロで清書して保管していたはずだったけれど、長年の間に1枚目は紛失しており、感熱紙のままだった2枚目、3枚目は文字が薄れてしまい、かろうじて何とか読める状態だった。

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 日付は1991年7月6日となっている。
 紛失してしまった1枚目には、「オルフェウスの窓」を知らないほかの部員に伝わるよう、物語の背景やレオニード様の概略を記し、ほかのキャラクターにはそこまで惹かれなかった旨を書いていたと思う。
 以下、拙いながら、残っている2ページから引用してみることにする。『…………興味を惹かれなかった。判官びいきか、単に私がアマノジャクなだけかもしれないが。
 しかし、理想と現実に心揺らがせつつも、黙して多くを語らず、淡々と、やむにやまれぬ想いを貫いたレオニードが、やはり一番好きである。
 「玉の輿より、貧乏してもいいからああいう人について行きたい!」と熱に浮かされた様に言い言いしていた。
 小娘の戯言ではあるが、本気で、こういう人に巡り会えたら幸せだろうな、と思ったものである。(まだ中学生の時なので、友人はこぞって「オジサン趣味!」とからかったが……。)
 その後、さしたる恋に恵まれないままなのは、14歳にしてあまりにシブイ理想像に出会ってしまったせいではなかろうか……。
 さすがに今では、「レオニード様じゃなきゃ嫌!」などという贅沢は言わない(言えない?)が、「ちょっとだけレオニード様」な人を捜すのはやめていない。
 それは、いかなる人物かというと、筋の通った生き方をしている人、苦労を表に出さない精神力のある人etc.である。該当者はあちこちで見つかるのだが、相手にも好みがある訳で、それがなかなか難しいところである。
 さて、蛇足ではあるが、この素敵なレオニード様のモデル、フェリックス・ユスーポフ侯爵の写真を見たことがある。
 7年経った今も、はっきりと思い出せる。
 図書館の本でその写真を見つけた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
 ひょろりと背が高く、やや馬面で目が大きい。金色らしい眉は、モノクロ写真のため、あって無きがごとしの写り方で、やけにおでこが広く見えた。微笑んだ口もとは少々しまりにかけるものの、いかにもお坊ちゃまらしい期の良さそうな顔つきではあった。
 が、ぴっちりと撫でつけた髪のせいだろうか。軍服姿の写真だったのに、「馬面のサラリーマン」というイメージしか浮かばなかった。
 (ラスプーチンの)暗殺の時も、いくら刺しても息絶えぬ怪僧に驚き、自邸に逃げ帰ったとか。
 愛しのお方とのギャップに、しばらく苦しんだものだ。
 それから、最近読んだロシア史の本によると、このモデル氏、軍人になっても、友人を驚かすため、しばしば女装して舞踏会に出る趣味がぬけなかった、ということを、最後に付け加えておこう。』

 一生懸命に書いてはいただろうが、二十歳そこそこの学生の文章、ツッコミどころの方が多いけれど、どうかお許し願いたいと思います……。
 また、後半に書いている「モデルとなった人の写真」については、当時思い出しながらの記述なので、実際の写真と比べると異なる部分が多いかもしれない。それにしても、モデルとなった方には申し訳ないくらい、ひどいことを並べているものである。そのくらい、レオニード様は憧れの御方であったのだ、ということで、こちらもお許し願いたいと思います……。

 「オルフェウスの窓」は大事な大事な愛読書で、今も本棚に愛蔵しているが、本当にここ数年、読み返す機会がないままになっていた。今回、スカイステージでの「イザーク編」の放送を機に、絶賛思い出し期になったわけだけれども、我ながら、まさしく「脳裏に焼き付いている」ような記憶に驚いた。
 本当に大好きだと思ったこと、素敵だと憧れたこと、素晴らしいと思ったこと……その思いは年月という風雪を経ても消えることがない、薄れることがないのだなあと……。そして、「心の中で鮮やかに生き続ける」という言葉が、決して単なる比喩ではないのだと、改めて知った気がする。
 


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