第二話 緻密な計算、僅かな報酬
何の変哲もない一日。
……かどうかを決められるほど、まだ時間も経っていない朝七時台。
「あ、タ~君おはよ~」
「陽花梨? 相変わらず早いな」
わたしたちの家の最寄り駅。
朝のラッシュで賑わいを見せる一番ホームの三号車前から二番目のホームドアに、我が幼なじみの姿はあった。
「いえいえ、同じ時間の電車に乗ろうとしてるタ~君に言われてもね~」
「でも、陽花梨の方が全然近いじゃん。あと三〇分は遅くてもいいだろ」
こいつ……ううん、彼の言う通り、本来のわたしは、こんな早い電車に乗る必要なんかない。
だって、ここからたったの二駅、乗車時間五分の電車旅を経て、さらに駅から学校まで徒歩五分の短い道のり。
それに引き換え彼は、ここから一〇駅以上先の駅で降りて、さらに急な坂を一五分も上る田舎……ううん、ちょっとだけ自然豊かな学校に通ってる。
だから普段はわたしたちが家を出る時間は結構ずれてるんだけど、たまに……ううん、だいたい週に一日くらいは、こうして駅で“偶然”顔を合わせる日がある。
「実は今日、朝イチで小テストあってさ、始業前に友達のノート見せてもらう約束なんだよね~」
「中学の時は勉強なんてしなくてもトップクラスだったのに、随分と堕落したもんだ」
「うっさい」
はい、小テストなんてもちろん嘘ですごめんなさい。
そもそも一五分くらい前にはとっくに駅に着いてて、彼が改札をくぐるのを柱の陰でやり過ごし、巧妙に後ろに回って声をかけた曲者とは何を隠そうわたしです。
え? 『わざわざ駅で待たなくたって、家を出たところで声をかけるとか、家まで迎えに行けばいいじゃんお隣なんだから』とか言う?
ええと、確かにおっしゃることはごもっともなんですけど……
でも、そんなことしたら、わたしの気持ち完全にバレちゃうじゃない?
今までずっと意識しないでお互い過ごしてきたのに、なんか急に気まずい雰囲気になって、気軽に家にも行けなくなったりしたらだれが責任取ってくれるの? わたし嫌だよ?
けれど、だからってこの嘘をやめてしまうのも、それはそれで嫌。
だってほら、一日の始めに好きな男の子と逢えないなんて、話もできないなんて、その日一日のテンションにめちゃくちゃ影響出るでしょう?
だからこうして、週イチ程度のはかりごとくらいは大目に見て欲しい。
……まぁ、とはいえそろそろ言い訳のネタも尽きてきた。
二年になってからだいたい毎週、日直とか体育祭の練習とかごまかし続けてきたけれど、そんなに頻繁に生徒の貴重な朝の時間を侵食する学校行事が頻繁にある学校なんてわたしは通いたくもない……とかそういうこと言いたいんじゃなかった。
え~と、じゃあ何の話だったっけ?
……まぁいいや。
…………
…………
「相変わらず混んでんな~」
「ま、ラッシュ時だしね~」
平日の朝の車内は、いつも通り、すし詰めだった。
そんな中、わたしは周囲の人波にのまれつつも、いつものポジション……三号車前から二番目のドアの右横にもたれる。
こうすれば、背中の方は人に触れられないし、そして目の前には……
「ちょっとタ~君、スマホ弄るのやめてよ。狭いんだから~」
「えぇ? まだログボ取ってないのに……」
他の乗客から、わたしを守るべく、真正面に立ちはだかってくれる彼。
……いや、はい、だいぶ妄想入ってるのは認めます。
けれどこの位置は、いつも彼が取るポジションだから、そこを先に奪ってしまえば、彼は仕方なくわたしの目の前に立たざるを得ない。
だからほら、傍から見たら『他の男どもの魔の手から最愛の彼女を守ろうとする勇敢な男の子』の完成でしょ?
たとえ彼が、わたしのことをただの幼なじみとしてしか意識していなくても、朝の挨拶を交わして同じ車両に乗り込んだその幼なじみと距離を置いたり、背中を向けたりするような真似はしない。というかする理由がない。
だからわたしは、彼のその優しさ(というか、意識しなさ)を逆手に取り、こうして互いの息もかかるくらいの至近距離を勝ち取る。
「……ん~」
「なんだよ? 陽花梨」
「タ~君の顔、特に大きく変わったところはないなぁって思って」
「それ今どうしても確認するとこ?」
ちょっと眠たげで、だいたいどの学年の時も、中の上から上の下くらいの総合評価で。
すっごい人気がある訳じゃないけど、クラスに一人か二人くらいは常にファンがいる。
至近距離から、わたしが今一番気になっている男の子の顔を見上げても、それほどでもなかった数か月前の彼との差は、やっぱりよくわからない。
「あ、でも背は伸びたかな?」
「へへん、この一年で五センチな」
確かに、見上げる角度は変わったよ?
今までより、少しだけ首が疲れるし。
でも、それ以外は、十年も大して変わらず見飽きていた、あの顔なんだけど。
なのに、なんなんだろう。
どうして、いつまでも見ていられるようになったんだろう。
飽きないけど、落ち着かない。
ちょっとの緊張と、ちょっとの興奮と、ちょっとの安心が入り混じる、いい目覚ましになる風景。
そして……
「着いたぞ? 陽花梨の駅」
「……うん」
そして、二駅じゃ、物足りない、風景。
…………
…………
「行ってきま~す」
「おう、またウチでな~」
あれだけの計算と、あれだけの打算をつぎ込んで手に入れた朝のボーナスタイムは、今日もきっかり五分で終了した。
彼は普通に手を振って。
わたしは“表面上だけ”普通に返して。
「じゃあ……ね」
そして発車ベルとともに、二人の間に電車の扉とホームドアの二重の仕切りが降りる。
それから警笛と、電車の駆動音と、線路の軋む音が続き、彼の姿が視界から消えていく。
……まぁ、彼の方の視界は、ドアが閉じたときに、とっくにこっちじゃなくてスマホを向いてたんだけれど。
でも、ここまでくれば安心だ。
物理的にもう、彼に見られないとなれば心配ない。
「はぁぁぁぁぁぁぁ~っ」
今なら思いっきり、不満げな顔ができる。
残念なため息が漏らせる。
寂しいよ、もっと話がしたいよ、夜まで待てないよって、全身で表現できる。
いつの間にか、ホームにたたずむわたしの後ろに列ができている。
ほんのちょっとだけ横にずれてから回れ右して、改札へと歩き始める。
さて今からは、夢から覚めて現実に戻る……ってほどでもない。
別に灰色でもなんでもない、そこそこ楽しい時間の始まりだ。
今日は始まったばかりだし、やることはまだまだたくさんある。
友達ととりとめのないお喋りをして、ちゃんと勉強だってして、それ以外にも、なんだかんだでいろんな経験をして。
そして、その楽しかった出来事を、学校から帰ってきた彼にぶつけよう。
いつも通り、何でもないような態度で、何でもない一日のことを、ぽつぽつと話そう。
マンガを読みながら。スマホを弄りながら。食卓を囲んで。テレビを見ながら。
玄関口で。道端で。わたしんちの玄関前で。
そうして、今の寂しさどころじゃない、今日一日の別れに打ち震えよう。
“明日はどうやって話しかけようか”と、一晩かけて考えながら。
…………
…………
白坂陽花梨、一六歳……
今さらですが、深慮遠謀の女になってしまいました。
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