第六話 “アレ”から一週間……
何の変哲もない……ように見せかけた、ある平日の夕方。
「お、お邪魔しま~す……」
誰もいないとわかっている彼の部屋に、声をひそめて不法侵入……なんてことでは全然なくて、合法的に、家族の許可をいただいて、おそるおそる上がり込む。
ていうか、本当なら、部屋どころかお隣さんの家にすら上がる気はなかったんだけど。
ここ一週間ほど、学校から帰ってきても、ずっと高村家への訪問は避けて、自宅に夕食が用意されない日はコンビニ弁当でしのく生活を続けてた。
けれど、そんなイレギュラーな日々は長くは続かず、とうとう今日、こそこそと自分の家の玄関を開けるところを、お隣の、高村のおばさんに見つかってしまった。
「陽花梨ちゃん! 最近全然ウチに来ないけどどうしたの?」
「え? あ、いや~……ちょっと試験勉強とかで忙しくて~」
「今日もお母さん帰り遅いんでしょう? 今日こそウチで夕ご飯食べていきなさいよ」
「あ、で、でも……あんまり迷惑かけちゃうと悪いから」
「今さらなに言ってるのよ! 夕ももうすぐ帰ってくるから、とりあえずあのコのお部屋に上がってて!」
「い、いやそれは! 後で伺いますから、まずは家に帰らせて……」
「だ~め! ここ数日、ずっとそういってゴニョゴニョ言い訳ばっかり! ちゃんとしたご飯食べないと大きくなれないわよ!」
「あ、お、おばさん……っ」
そんな、まったく空気を読まない、そして、無条件に優しい高村のおばさんのお節介で、こうしてわたしは、二週間くらい前までは、当然のように通い詰めていたこの部屋を、久々に訪れた。
本当、なんていい人なんだ!
昔から、わたしと彼が喧嘩をした時だって、自分ちの子供をそっちのけで、わたしの肩を持ってくれてたっけ。
本当、素晴らしいお姑さ……じゃないな、まだ全然。
「と、まぁ、それはともかく……」
そんなふうに、ご近所さんの温かい人情に浸っていても、居心地の悪さは変わらない。
数日前までは、平気で寝転んでいた床も。
“あの日”以来、固く閉ざされた窓のカーテンも。
そしてなにより、“あの時”彼が横たわっていたベッドも……
「~~~っ」
今となっては、“年頃の男のコの部屋”という、白く濁ったフィルター……いやいや色と透明度は関係なくて!
とにかく、そういう、なんというか、これ以上は、わたしがいてもいいって思っちゃいけないんだろうかって、そんなイメージがついてしまって。
……とはいっても、どうしても、ベッドは目に入る。
というか、この六畳間にいて、部屋の三分の一くらいを占めるその物体を視界から外すなんて不可能だし。
この、ベッドで……
彼は、何を想像して……?
確か……何か、見ながら……
「……ないなぁ」
ベッドの下を覗き込むと、そこには清潔で虚無な空間が広がっているだけだった。
本や映像ソフトどころか、ホコリ一つない。
そう、不自然なほどに……
「って! 探してどうする!」
だいたい見つけたらどうしようっていうの?
彼の性癖や嗜好を知って一喜一憂するのは、ちょっとまだ今のわたしにはハードルが高すぎるでしょ!
いや無意識のうちにしてるかもしれないけど!
駄目だ、今“あの現場”にいると思うと、どうしても考えることがあらぬ方向に……
「……こっちも空っぽかぁ」
ゴミ箱の中も、チリ一つなく
……ってだからぁ!
「そういうとこだぞわたし!」
だいたい、自分の部屋で女子高生がこんな挙動不審なことしてたら、たとえ幼なじみとはいえ出禁になるって!
ううん、出禁くらいならともかく、もっと酷い拒絶反応をされるかも……
そう、例えば……
あまりの羞恥と屈辱のあまり……
怒りに任せて、わたしを、ベッドに、押し倒す、とか……
『ね、ねぇ、タ~君……』
『…………』
『冗談、だよね? からかって、るんだよね……?』
わたしは、がっちりした体に押さえ込まれ。
子供の頃みたいに、簡単に押しのけることができず。
『俺……もう、陽花梨に、これ以上幻滅されることなんか、ないから……」
『そ、そんなことないってば! タ~君はタ~君だから……』
『だから、お前にこれ以上、拒絶されることだって、怖くない……』
『そんな、わたしは……』
彼の目が、獣のそれに、なってる。
荒く吐く息も、ぎらついた瞳も、人間のそれとは思えなくて。
『覚悟……できてるんだろうな?』
『覚悟……って』
『俺の部屋で、そんな無防備にしやがって……』
『っ……』
それでもわたしは、彼の中に眠る、いつもの優しい心を信じて。
ううん、信じようが、信じまいが、どうでもいい。
だってわたしには、優しい彼も、激しい彼も、どっちだって……
「駄目だってそういう流れは~!」
そんな逆ギレみたいな挿……導入じゃ、わたしはともかく、彼は自分を許せないだろう。
そうなったら、わたしたちの関係、全部終わっちゃう……
そう、わたしたちの関係に、誤解とか衝動とか、そういう刹那的な展開はいらない。
ちゃんと理解しあって、わかりあって、お互いの気持ちを確かめあって……
二人が心から笑い合えるような、そんな、優しい朝を迎えたいじゃん。
……ていうか、そもそも発端が恥ずかしすぎる。
初体験のきっかけが相手のオ〇ニー見たからなんて、それなんてエロ漫画よ……
「……帰ろ」
まだ気持ちの整理がつかない。
こんなんで、彼に会ったって、まともに話ができるわけが……
って、わたしがベッドから身を起こしたその時……
階段の下が、なんだか騒がしくなった。
「ちょっと夕、陽花梨ちゃん来てるから、このお菓子と飲み物持っていって」
「え、えぇ……? 陽花梨来てるの? マジ……?」
「ひぃぃぃっ!?」
タ~君帰ってきたぁぁぁぁぁ~!
それも気持ちの整理がついてないってわかった瞬間に!
……なんて、こっちが慌てふためいている間にも、階段を上る足音は、徐々に、徐々に大きくなっていく。
わたしは慌てて立ち上がるも、もう逃げ場はない上に、ベッドの乱れを直す時間の余裕すらない。
これは、もう……
何一つ、言い逃れのできない、状況だ……
…………
…………
「……お、おぅ」
「あ~、タ~君おかえり~」
「陽花梨……?」
だからわたしは、言い逃れをやめた。
「遅かったね~、そろそろ読む漫画なくなってきたよ」
「って、お前、俺のベッド……」
「い~じゃん別に。わたし気にしないし」
「少しは気にしろよ……」
ベッドにうつぶせに寝転がり、完全リラックスモードに“変身”し、だらっだらの自分で、この部屋の主をお迎えする。
「今さら、だよ、タ~君」
「陽花梨……」
「わたしたち、お互い、な~んにも、隠すことなんかないんだよ」
まぁ、わたしは今、真っ赤になった顔を枕に押し当てて隠してますけど。
「恥ずかしいことも、見られたくないことも、秘密にしておきたいことも……」
ついでに、声の震えも枕に押し当てて無理やり抑えてますけど。
「わたしたちにとっては、全部、どうでもいいこと、だよ」
「そ……っか」
「そう、なの」
それでも、なんとかわたしの酷い動揺は、彼にはギリギリ届かす。
「そっかぁぁぁ~……」
彼は、一気に気が抜けたように、ぺたりと床に座り込む。
よかった。
本当に、よかった……
わたしは、わたしの力で……
わたしのいるべき場所を、ふたたび取り戻せたんだ。
白坂陽花梨、一六歳……
どうやら、何もかもが元通りに戻ったようです。
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