見出し画像

マッドフラッド探訪記 旧岡崎銀行本店はこちらです


旧岡崎銀行本店

大正6年(1917)に建てられた建物。
建築家辰野金吾氏を師と仰ぐ、鈴木禎次氏によって建設された。
建物の外観には、禎次氏のイニシャルである『T』の意匠がちりばめられているという・・・
(心の声 タルタリアのTでは?)

「T」の意匠?

周囲の風景から浮き上がってくるほどの異色の建築物です。
絶対タルタリアっぽいよね!と思って見に行ったけど、残念ながらパッと見、建物は埋まってませんでした。

以下、外構を撮影した写真です



この建物は令和3年にリニューアルオープンされました。
地下に免震化工事を行っています、建物を浮かせて免震用の資材を入れ、外観を損なわずに安全性を確保することができる補強方法です。
「免震レトロフィット工法」というらしい・・・鹿島建設。
免震した部分が見えるように、床の一部をガラスばりにして免震構造を見せてくれてます。

私が行った時は、徳川家の子孫で現当主の徳川恒孝(つねなり)、幸子さんの絵画展が行われていました。
徳川幸子さんは、細川護煕元首相と従兄弟だそうです。細川家はもともと三河武士なのだそうな。どうりで「細川」っていう地名が市内にあるわけだ。今回初めて知りました。

遠景から見た旧岡崎銀行本店の様子。
建物の前には石垣のある駐車場がある。
ここにはかつて朝鮮通信使をもてなすための「ごちそう屋敷」があったのだという。
そしてこの上記写真を撮影している左横にはNTTがあり、アンテナが立っています。

なんとなく直観ですが、タルタリア建築の近くにNTTがあるのは、両者の間に何か関係あるんじゃないかと思っています。

旧岡崎銀行本店はアメリカの空襲により被災

多くの日本の都市と同じく、太平洋戦争中に岡崎はアメリカにより空襲を受け大量虐殺されています。

岡崎空襲慰霊碑

1945年7月20日未明、B29が岡崎来襲。
死者280名。
その時に、この岡崎銀行も被災。
屋根が焼け落ち、内部も破壊されたが、奇跡的に外郭だけは残る。
その後廃墟同然となっていた建物を、岡崎商工会議所が買取補修して会議所会館として使用することになった。
昭和25年に起工式がありました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?