アイドルオタクが『推し、燃ゆ』を読んで

作者と共通の友人が多くてインスタのストーリーでかなり宣伝を見た、かつ私自身がアイドルオタクなのですごく気になっていた『推し、燃ゆ』を読みました。
物凄く久しぶりに小説を読んだので感想でも書いてみようと。

結論からいうとよく分からなかった、思っていたのと違ったという内容なのでごめんなさい。先に断っておきます。


まず、内容について。

『推し、燃ゆ』というタイトルからオタク活動が中心のお話だと期待して読んだんだけど、あまり社会生活に馴染めなくて推しを人生の拠り所にしている女の子の葛藤の物語でした。タイトルで勝手に期待して勝手に失望してって、完全に私が悪いんだけど。まあ冷静に考えれば、オタ活の話で芥川賞は取れないよね、笑

普段は小説に共感を求めないけれど、アイドルオタクとして共感したくてこの本を選んだから、主人公の境遇にも彼女の推しの行動にも何も共感できなくてフラストレーション溜まりまくり。主人公が一生アイドルに逃げて何もせず高校中退、就職もせず親の脛齧り続けている状況に終始は??って思っていたし、彼女の推しもアイドルとしてのプロ意識底辺なアイドルで全然依存する意味が理解できなかった。完璧じゃなく葛藤しながらもアイドルとしてキラキラと生きている姿に共感しているのは分かるんだけど、まあそれぞれの価値観の問題で解釈違い。よくファンが近況を知らせてくれるけど知らない人だし、、とか普通言う??って私は思っちゃう。

SNS時代を表したとか帯にいっぱい書いてあるから、私は推しが炎上した事に対するSNSとか世間の動きとそのファンの感情や対応、世間とファンの意見の解離やファン内での意見の対立みたいな、所謂私が毎日見ているような事を物語ベースで風刺チックに描いたものだと思っていたんだけど、結局推しが炎上したことは本当に10%とかしか占めていなくて、このタイトルは合っているのだろうか、と思ってしまった。「アイドルに逃げる」とかの方がいいよ(センス皆無)


もう一点は、表現に関して。

中高時代図書委員を努めていたぐらい昔は本を読んでいたけど、当時からあまり日本の小説は読まなくて、海外の小説ばかり読んでいたからなのか全体的に違和感を覚える作品でした。何が言いたいのか分からない。風景描写が冗長すぎて、多分必要な部分だけ抽出したら短編小説になると思う。風景描写で話の半分は占めている気がする。

その情景描写が冗長な事によって、同じ時間を生きているような感覚にはなるけれど、場面の切替が分かりづらすぎて、次の日ぐらいのテンションで読んでいたら一年後の話じゃん、え?みたいな事が多かった。今が回顧なのか一年後の話なのか、場面が切り替わってだいぶ経ってから話が繋がらなくて違和感を覚えてやっと気づくという。

これは私が情景に浸る感性を持ち合わせていないだけかもしれないとは思うけれども、帯に「ドストエフスキーの初期作品のハチャメチャさとも重なる」と書いてあるのはまだ表現が荒削りって意味なのかなとも思う。

表現に関してもう一点、

彼女の推しがまさかのドームクラスだった事。
Twitterでリプをくれるだとか、子役上がりとか、男女混合グループだとか、定期公演を開催していそうなところ、推しのプロ意識の皆無な言動、全てが正直現状のドームクラスのアイドルにはいない感じだったから勝手に地下まではいかないけど、、みたいなアイドルだと思っていたのに、最後のコンサートの場面でドーム中に歓声が〜って描写が出てきて、思っていたのと違いすぎてもう一回ちゃんとした解釈で読み直したくなった。

これは表現というより設定なのかな、

オタクじゃないと絶対にこの題材は扱わないと思うから作者もオタクなんだろうけど、どこのオタクかが非常に気になる。


帯に書いてある「全ての推す人たちにとって救いの書である」って部分は全く理解できなかったな。私のオタクレベルがまだまだなのか、と意味わからない方向に考えさせられた本でした。

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