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つのまいささんの死

もしかしたら、たまたまぶっ飛んでサイコロを振って死んでしまっただけなのかもしれない。
俺はライブには行った事があるが、話したこともなく何も個人的な交流はない。
いわゆるただのファンだった。
ただ、日本人であり同世代であり、音楽をしているという枠組みで捉えると、自分がメインで歌わず曲を書いているコンポーザー、ギタリストという枠組みで捉えると、同じ種類の人間であったと思える。

てめぇごときが同一視してんじゃねぇよと自分で思うと同時に、彼女の死がとても大きく自分にのしかかる。

他人への自己同一化が過ぎる故に後追いしてしまう熱狂的なファン心理もわかる。

そして、それをバカなことだ、弱い人だと罵る人の気持ちもわかる。

だだ、俺は自分の一部が傷つけられて、もがれたような感覚を感じる。

家族やメンバーなど、彼女に近しい人の悲しみはとてつもなく大きなものがあるので、外野の俺が騒ぐのはしょうもない事だとして。


話は変わるが、俺の世代は、新しい価値観と旧い日本の価値観がアップデートされる狭間のような世代だと思う。

それは、インターネット、IT技術の革新によってもたらされたと思う。

インターネットは個人を自由にすると同時に、個人を束縛し、生かしも殺しもする。
ナイフであり、核エネルギーのようなものだ。
ナイフやエネルギーの使い方が上手い人が優れてることもないし、下手な人が劣ってることなんて、絶対にない。

飛躍したが、
才能とユーモアと、他者への慈愛のような優しさを持ち合わせ、第一線で商業音楽と本物の創造性の狭間で戦っていた津野米咲さんの死を、心から悼む。 
同時に、残された人が上手に生きれたら良いなと思う。自分も含めて。

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