見出し画像

明治5年の12月は2日しかなかった!

3年前のブログより

日本が西暦を使うようになったのが明治時代と言うことは知っていました。
今朝のドラマで、12月が2日しかなかった時代は明治5年だと言っていたので、早速調べてみました。
 
西暦(グレゴリオ暦)になるまでの日本は天保暦(太陽陰陽暦)でした。
 
明治5年(西暦1872年)12月3日を以って、明治6年(西暦1873年)1月1日となりました。
明治5年の12月は2日しかなかったんですね。
 
明治政府は明治5年11月9日(西暦1872年12月9日)に改暦詔書を出して時刻も
従来の1日十二辰刻制から1日24時間の定刻制に替えることを政府が知らせたのです。

布告から施行までわずか23日というスピード実施であり、しかも12月(師走)が
わずか2日で終わってしまったそうです。
 
今から144年前、当時の国民は大変だっただろうなと思いました。

勝手に暦も変える明治の政府。
維新の混乱から約5年で暦で混乱。

日本人には、やはり太陰太陽暦があっているような気がする。
あまり、大きな声では言えませんが
自分自身、西暦で読み取る数秘はピンとこなかったのです。

ハ・オール数秘術®️を作る時、マスターに相談したらユダヤ暦を使えば良いと言われて自分のYakhid(ライフパス)を出した時しっくり来ると思いました。

西暦で出す数とは、同じ人もいるけどユダヤ暦で出す数は違ってきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?