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倶楽部サピオセクシャル日記131:バウンダリーvs絶滅危惧種「おせっかい」。今夜は「侵襲する生き方」について語り合ってみる

昨日7月6日の倶楽部サピオセクシャル部屋のまとめをしていきたいと思う。

いま、東京スカイツリーの近くにあるフリースペースに向かっている。
地下鉄に揺られながらスマホのメモ帳にフリック入力してる。

アナログボードゲームのテストプレイ会で、私が作ろうとしている対話を目的にしたカードを試してもらうのが今日の目的だ。

さて、昨日のサピオ部屋のタイトルは
バウンダリーvs絶滅危惧種「おせっかい」。今夜は「侵襲する生き方」について語り合ってみる。

「侵襲」という単語は聞き慣れないが、医療分野で使われる言葉で、侵入し襲うこと、相手の領域に入り込んでいくこと、という意味のようだ。

昨夜の語り合いのなかで、専門家と素人が話す際には、そこに「情報の非対称性」が生まれる、という話をした。これは社会福祉士の資格取得を目指して勉強する中で出会った言葉だ。

情報の非対称性は、情報が不均衡、つまり取引において、一方が他方よりも情報を持っていて「情報格差」のある状態を指す。

人に何かを説明する際、情報の非対称性を意識して、相手が自分の言っていることをどのくらい理解しているかをこまめに確認しながら話を進めることが求められる。

ちなみに、私はそういう話の進め方が出来る人になりたい。
そうでないと、気づかぬうちに他者を傷つけてしまうこともあるからだ。

また、「わがまま」と「あるがまま」の違いについても話した。

禅の世界で、あるがままとは、自分の枠や思いをなくした上で見えてくる自然な状態を指す。

それは自分が無意識に行っている「べき思考」を捨てることを意味する。
「べき思考」を捨てて、自然体の自分でものを考え、人と接するということだろう。

あるがままでいられる人は自分に素直で無理をしない生き方をしている人、と言い替えてもよさそうだ。
 
あるがままは、自分のことを受け入れられている状態のこと。
弱い自分も、苦手なことの多い自分も含めて、ありのままの自分を受け入れること。

一方の「わがまま」は、他人の都合を考えずに、自分勝手に振る舞ったり発言したりすることを指す。

みなさんと話すなかで、私は改めてあるがままの自分でいることを意識して暮らしたいと思った。

また、「日本人がどんどん意地悪になってきてないか?」という話が出た。
興味深かったので、これについて調べてみた。
すると、自分が損をしてでも他人の足を引っ張ろうとする「スパイト行動」が日本人には顕著である、とのこと。

これって、妬みが発端となってスパイト行動が生まれるのだろうか?

足の引っ張り合いが日本人は好きということ?

など、疑問が湧いてくる。

これらの疑問については、またの機会に調べてみたい。
こうして調べたいことが生まれるのは有り難いこと。

一つの好奇心が、新しい好奇心につながっていく感覚だ。

「おせっかいを嫌いにならないで下さい」
この言葉が突然、私の頭に降ってきた。

それで、調べてみた。
すると、こんな本に出会った。

『幸せを呼ぶおせっかいのススメ』高橋恵著

なぜ、おせっかいを嫌わないで欲しい、おせっかいを人に勧めたい気持ちが私に降ってきたのだろう。

私はよかれと思って人に親切にすることもあれば、台風の翌朝、道端に落ちている木の枝を片づける自分もいる。

そういう誰からも頼まれていないことをやることが私の私らしさのような気がする。

また、そのように行動すると、メリットがある気もするから、おせっかいっていいもんですよ、と言いたいのだろう。

おせっかいか親切かを決めるのは受け手、という話もあった。

世話を焼くことがかえって相手の負担になる場合がある。

親切とは、相手の立場になって考えることが出来ていることが条件。
その上で何かをすることが大事。

言うのは簡単だが行うのは意外と難しい。

ひとつ言えることは、相手の気持ちをわかったつもりにならず、分かっていないかもしれないと思う必要があるということ。

おせっかいとは、出しゃばって世話を焼くこと。不必要に人の事に立ち入ること。

今回、ご自身が過去におせっかいされた思い出話をしてくれる人がいた。

自分はあまりおせっかいを感じたことがないと思っていたが、その方が過去のおせっかい体験を話すのを聞いていたら私も思い出した。

そういえば、二十代の頃ニュージーランドにワーキングホリデーに行っていた際、働いた牧場のおかみさんから「タバコはやめたほうがいい」と言われたことを思い出した。

あの時は、大きなお世話だと思った。
自分の大好きなタバコを否定してきやがって!と。

でも、彼女はしつこかった。

「タバコは体に悪い」と何度も言ってくる。

そんなことは分かってる。

「私はあなたならタバコをやめられると思っている。アイビリーブユー!」

何度も「あなたを信じてる」と俺の目を見つめながら言ってきた。

うるさいなあ。
俺だってやめたいけど、やめられないんだよ!

でも、あまりにしつこいので、この人の言うことを俺も信じてみようか。

そんなにあんたが私を信じるなら、私もあんたを信じてみようかな。

そんな心境になり、試しにタバコをやめてみた。
そうしたら、なんと!なんと!

本当にやめられたのだ!

これには誰よりも当事者である私がビックリした。

そう。
言葉のチカラというのは非常に大きい場合があるのだ。

「信じる」という言葉に力を、勇気をもらって私は挑戦したのだ。

今では本当に彼女に感謝している。
あのとき、私にやめたほうがいいと何度も辛抱強く言ってくれてほんとうにありがとう!

そう。
この事例を思い出して、そうか!お節介はされた時は迷惑でも、のちのち有り難かったと振り返ることがあるのだ!
と実感を伴って感じることが出来た。
それは大きな気づきと収穫であった。

これだから、サピオセクシャル部屋はやめられないのだ。

もちろん、終わることもあるかもしれないけれど。

って、これも書いておかないと自分が息苦しくなるので、蛇足だけれど、書いておく。


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