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脳のクリスタル たい焼きの端っこ

虫食い算みたいになった、禍々しい動物たちによる「COFFEE PLEASE」

すごく眠くて、でもなんというか「書くべき」といったような気持ちが起き上がってきたため、書こうかなという勢いを自分でつけている。ただあんまりガッツリ思案するような気持ちにもなれないので、息継ぎみたいな、ライトな気持ちで書くやつにしたい。まずは日記的な話から。

※すみません なんか長くなりました threadsの話と、祭りの話と、『暇と退屈の倫理学』の話をしています。好きなところをお読みに。

トゥイッターの代替SNS、Threadsが登場しましたね。SNSジャンキーでアーリーアダプターなあたくしはすぐにインストールいたしましたけれども、あれは全くTwitterの代わりにはなり得ませんね。もとよりそんな期待などしちゃいませんでしたが。仕組みが違いすぎる 正直そんなにライトユーザーの存在を気にしていない設計で、もとよりフォロワー数を獲得している人のためのSNSといった味が強い。TLに出るのはフォローしていないアカウントばかりで、フォローしているアカウントの投稿については、一度TLの更新をかけてしまえば見つけるのが困難になるという驚きの仕様。「内輪でジメジメやるのを許さんぜ」というような、外向きたれという「圧」を感じる。ただそのおかげでアクティブユーザーもそこまで多くないし、見知った人間しかフォロワーにいないし、すでに「出来上がっ」てしまった既存のTwitterアカウントからも自由なので、比較的気楽に投稿ができるのは助かるところではある。Twitterに投げないけど出力しておきたい部分というものも確かにあって、そのはけ口としてthreadsを利用していくという方向で現在運用中 ただほぼ俺だけがバカスカ投稿しており、他の人達のTLのお目汚しになっている可能性が非常に高いので、そちらについては本当にすみませんといったところ。すみません 「いいね」と思いましたらいいねのほど(あれthreadsでいいねって呼ぶんかな)よろしくお願いします。
写真と欲望とたい焼きを焼いたときの端の部分みたいな内容を投稿しています 見る側からしたらいらんすぎかも
リンクをさ、埋め込もうと思ったんですけど、なんか無理でした。アカウントがすでにある方はどうにかして私を見つけるか、まだ参入すらしていないという人はthreadsを始めて私という存在を観測してください。それに値するかはともかくとして。

祇園祭にひとりで行ったんですけど、暑くて人多くて全然進まなくて、あと見に行った儀礼もよく見えなかったので(これに関しては俺が悪い)、祭というものには本当に人と行くべきなのだなと感じました。ひとりで行くと「暑い」「人多い」「進まん」といった不快を誰ともその場で共有することが叶わず、ひとりで抱え込むことになるので、うまくマネジメントできなかった場合に最悪になってしまう。私は「このごみごみした雑踏と、喧騒をまさに『祭』として味わいに来たのだろうが」と自分に問いかけることで持ち直していました。実際そういった「祭らしさ」の部分を擬似的にでも味わうというところを目的の一つとして持ってはいたので、めちゃくちゃ無理をして言い聞かせていたわけではなく、楽しんではいた。ただもう後半は疲労がヤバすぎてヘロヘロだった ひとりだと内から湧き出る疲労を直視する羽目になり、余計に疲れてしまいます。総括して楽しくはありました 二回目はいいかな。
あとベビーカステラ ベビーカステラを食えばその祭は満点になるから これは本当 ベビーカステラを食うためだけにああいった場所に自らの身を投じている。考えてもみてほしい 露店で食べられるものティアランクが存在していたとして、ベビーカステラは間違いなく最上位に来るよ。焼きそば?たこ焼き?別のところでも食えるよ!!!!!!!!!フランクフルトも冷やしきゅうりも(冷やしきゅうりってマジで何なんだ ナメてるのか)、牛もつ煮込みもギリ他のところでも食べられるよ!!……でもベビーカステラはどうですか…??ホカホカモッツィモツィ(モチモチ よりも粘着感がある)のベビーカステラは、多分露店じゃなきゃ食べられないですよ 見たことがありますか?ベビーカステラ屋さんを祭りの屋台以外で。俺はない。つまるところその限定性や希少性の観点からも、ベビーカステラは購入優先度が高いのである あと単純にうまい 最高。本当は1000円払って25個入りとかにしたいけどちょっと足踏みしちゃって普通に500円の12個入りとか買ってしまう。己が憎い。
やべ、ベビーカステラ演説でめちゃくちゃ逸れてしまった 祭りは人と行きましょう。人と行くのが圧倒的大多数やとは思うけど。

最近読み終わった『暇と退屈の倫理学』の文庫版、増補されてる部分があって、そこが特に印象深かった。本文での道具立てに対してそのままに感動したんですけど、「サリエンシー」と「記憶の痛み」です。
まずサリエンシー。精神医学等で用いられる用語であるこれは、精神生活においての新しく強い刺激のことを指す。我々の生活においてはさまざまな「新しいこと」が存在しており、それを新しい刺激として受け取りながらも、しだいに慣れていく…ということを繰り返している。ではその「慣れ」はどのようにして起こるのか。こう説明がなされる

すると、繰り返し同じ現象を体験することでそれに慣れていく過程とは、その現象がもっている反復構造を発見し、それについての予測を立てることができるようになる、そのような過程であると考えられよう。サリエンシーに慣れるとは、すなわち、予測モデルを形成することである。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』p.481

おもしろ。つまるところ「こうしたらこうなる」の反復構造を発見し「予測可能になる」ことが慣れなのであり、そういった慣れによって我々は物事を自分の中に取り込み、新しい刺激に疲れ切らずに済んでいる。普通にバイトで仕事覚える~とかね。
そこから一気に主体の話になり(もともと設定されたテーマの都合上)、〈自己〉とはなにかという部分へと踏み込むんですけど、おもしろい。

すると、〈現象〉とそれを経験する〈自己〉という二項図式そのものを、予測モデルの再現性の度合いという考え方から再定義できることが分かる。
(中略)
おそらく、予測モデルが立てられる現象の中で、最も再現性の高い現象として経験され続けている何かが、自己の身体として立ち現れる。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』p.482

おもしろ!!!「予測モデルが立てられる現象の中で、最も再現性の高い現象として経験され続けている何か」、つまり「いちばん予測とその再現が容易・確実であり続けた何か」が自己の身体となる。この定義(定義といっていいのか)なら、感覚の欠如した、しかしながら本人と一体化している義肢を身体へと取り込んだり、あるいは「馴染む」ことによって高度な技術を発揮する職人の用いる道具なども身体として数えることができそうで、おもしろい。
なにより自己のあいまいさというかグラデーションの感覚をうまく拾えている感じがして個人的にとてもしっくり来た。パキッと〈自己〉と〈それ以外〉に分けることになんとなくの違和感をおぼえるというか、「そんなのは不可能では」と思っていたので、穏当というか包み込むというか、不鮮明な部分を不鮮明なままに取り込んでくれているこの定義の仕方はとても好きでした。

すみません 力尽きたので終わります。
「記憶の痛み」はざっくりいうと、慢性疼痛患者の例などを挙げながら記憶が大なり小なりの「痛み」として捉えられます。そして「慣れ」によって処理しきれないサリエンシー(刺激)による記憶の「痛み」が、退屈に際したときに蘇ってくる といったもので、外側からの新しい刺激としてのサリエンシーと、内側からの処理しきれない痛みとしてのサリエンシーの両方が存在しているといったものです。
この「痛み」が蘇るというのと、記憶を刺激によってつけられた「傷」として捉える考え方が結構好きでした。前者に関してはバイト中にあれこれと思案するときなど、たいていは過去の失敗や後悔などが立ち現れてくるので、実感として納得できる節があり、解像度の高い分析だと感じたため好きでした。一方の後者に関しては、記憶をある種ニュートラルな「傷」として捉えることで、良い記憶も悪い記憶も、人生の歩みの跡というか、轍として考えることができるようになると思い、好きになりました。記憶を重ねることで、脳を模したクリスタルのようなものにどんどん細かい傷がついていって、三者三様の傷の付き方をする みたいなのを想像する。そう思うと人生の連なりみたいなものも捉えやすくなるのではないかなと、ヒントを得たような気持ちになりました。あと、記憶ってなんだかきれいなもののイメージがあるけど、「傷」としてラベリングすることで、良くない記憶があったときにもきれいなイメージと葛藤することなく、「まあ傷だしな」となんとなくポジティブに捉えられるようになりそうなところがお気に入りポイントです。

以上が『暇と退屈の倫理学』での好きなところと感想でした

ちょっと書くだけのつもりが3500字も書いちゃった 書いてることはめちゃくちゃしょうもないのにな
もう3時半!!!!!!こんな生活はやめるべき。(いつもは1時くらいには寝てるよ)しかし夜にしか集中力がもたない難儀な性格も手伝って、書ききるまで寝られなかったや。早朝バイトしてるけど、多分恐らく絶対私は夜型の人間であり、つまるところアルバイトと生活リズムの相性はかなり悪い。4年近く続けて最近やっと気づいた。そろそろ別の食い扶持を見つけたいと思っています いいバイト先あったら教えてね。おやすみ

強く生きようぜ きょうだい。

やべ 4000字いっちゃった。

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