やはり人は、勝った者が正義という話

 やっぱりこの世界には正当性や妥当性で物事を判断しようなどという異端児はほとんどいませんね。

 『勝てば官軍、負ければ賊軍』

 勝った方が正義であり、負けた方が悪であるという例のアレです。

 こんなことを言ってれば

「いやそんなことはない!"正しさ"が何よりも大切だ!」

という声が聞こえてきそうですが、それこそ勘違いしています。

 有史以来人類は、初めて科学が最も発達した時代に生きており、その科学が最も権威と、実学としての地位と力を持った時代に生きているわけです。科学は確かに、信仰の余地を許しません。経済学などの分野では、マルクス学閥などと呼ばれ、信仰的な域に入ってしまっている人達もいますが、それでも信仰の存在を許すべきでないと努めていることも事実でしょう。

 だからですよ。

 人は、今、現在、『科学が勝利した時代』を生きています。だから、その科学が主張する「正しさこそ大切」の論理を人切り包丁にしているだけなのです。

 科学が力を持ったのなんて、つい最近の話でしかありません。それこそ、ここ100~200年くらいの話です。

 例えば、宗教によって行われた『魔女狩り』。これがいつまで行われていたのかと言うと18世紀。つまり1700年代です。

 少し前に遡りますが、17世紀、リン・ホワイトはこんなことを言っています。

「近代的な西欧科学はキリスト教の母体のなかで鋳造された。」

Wikipedia-宗教と科学-キリスト教と近代科学 より

 1600年代までこの有り様です。「正しさこそが重要だ」なんて考え方は、人類史どころか、有史ですら最近で、さらにそれが力を帯びたのなんで、オッペンハイマーがロスアラモスで原子爆弾を作り上げたくらいからだと言えるわけです。

 科学が力を持つまでは、宗教が大きな力を持っていたというのは自明ですが、宗教では正しさよりも信仰の強さを重視します。信心深さがそのまは正しさなのであり、正しければ信心深いというわけではありませんでした。

 現に地動説を説いたジョルダーノ・ブルーノは処刑されています。

 まぁ観察実験による客観的な証明も難しい時代なので、宗教からすれば、異教徒が変なこと言ってるくらいに見えたのでしょう。

 兎にも角にも、『勝った方が正義』ってわけです。

 あれだけ原住民大量虐殺して大陸侵攻した挙げ句、奴隷貿易をしまくり、奴隷制撤廃で大揉めして、現在は、BLM推進や多様性推進により国家崩壊の危機に扮してるアメリカが、それでも漠然とした"正しさ"を有しているのは、勝ったからです。戦争で。

 さて、いつまでも歴史のお話をしていても、話したい話が出来ないので、この辺で次の話に移りますが、この世界では『親と子』の関係でも、勝った方が正義です。

 どういうことかと言えば、皆さんは基本的に『親は絶対に正しい』という前提認知で動いています。

 「え?そんなことはない?おかしな親もいる?法で裁かれてるって?」

 ナンセンスです。話になりません。

 あなた方が『おかしな親』と認識し出すのは、法に裁かれた後です。

 つまりそれは、法に敗北した人間ということです。敗北した人間だから間違いなのであり、間違っているから間違っているのだと言っているのではないのです。

 国家権力に取り押さえられる直前までの親の動向を、あなた達は、オドオドしながら白目向いてよだれ垂らしながらアホ面下げて

「あ、あれも教育。そ、それぞれの家庭に家庭のじ、事情がある。」

と言ってるだけで、例えば発達心理学や教育心理学の観点から、『正しい育児』を見出だし肯定しているわけではないのです。

 『親が勝ってるから親が正しい

 あなた方、人間と呼ばれる生き物なんて、まともに訓練も受けなければ、所詮その程度の認知力しかないことを自覚すべきです。

 実際、少し前まで子供よりも親の命の方が明確に尊いのだという認識が日本司法にはありました。

 親が子を殺害することを嬰児殺。
 子が親を殺害することを尊属殺。と言います。

 えー、さて、嬰児殺と尊属殺どっちが刑罰は重いでしょうか?

 答えは、尊属殺です。子供が親を殺す方が罪が重いのです。

 まぁ厳密には、昭和後半までの話で、その後刑法的には是正されたと言います。


 しかし日本司法では、昭和後半までは明確に、子殺しよりも親殺しの方が重い罪と捉えられ、普通の殺人罪よりも重く設定されていたと言います。

 当たり前ですね。だって

 『負ければ賊軍』『敗北者は悪

ですからね。

 暴力で勝つことが不可能で、尚且つ法で勝つことが不可能な子供の暴挙など、悪の暴走に他なりません。

 しかもこれ、現代でも判決としての名残があります。それが母親による子殺しです。

 母親による子殺しというのは、父親が子殺しを行った際よりも量刑が明確に軽くなります。さらには、そもそも検事側が『殺人』として立件することすらなく、過失致死だったり、保護者責任者遺棄致死罪だったりとして立件して、量刑を軽くするケースも多いです。

 先程、「尊属殺が刑法的には是正された」と私は言いましたが、「刑法的には」と言ったのはこれが理由です。立件したり判決を言い渡したりするのが人間である以上、それ関連の作業が是正されることはありません。

 昭和後期に尊属殺が是正されたのには理由があります。法律が科学に屈したからです。

 科学的に、尊属殺が通常の殺人罪よりも重く設定されている理由を説明できないという敗北理由です。科学に敗北していなければ、今頃はまだ尊属殺が通常の殺人罪よりも重く設定されていたはずです。

 今現在も、女性の権利が低いと言われるイスラム教国家などでは、宗教によって女性は露出を避けています。まぁこれムスリム達は、権利が低いという認識はなく、むしろ"美しいもの"を隠しているという認識らしいです。女性抑圧という認識ではないようです。

 嬰児殺より尊属殺の方が重いのと同じ思想ですね。

 ではなぜ、現在でも母親の子殺しがそんな量刑を軽くするかのような扱われ方をしているのかと言えば簡単です。

 『司法・国家が女性概念に敗北しているから

 敗北というのは何も、力勝負というわけではありません。例えば、親と子の例を先程は出しましたが、親が子に敗北するケースもあります。

 例えば、親が過保護だったケースです。過保護でバカ親。ハリー・ポッターのダドリー家両親のような感じです。モンスターペアレントと呼ばれるような親は、子に敗北しています。だからほとんど子供の言いなりだし、子供の方が強いのです。親の中では。

 それと同じ構造が国家と女性概念の間で起きているのです。

 世界は科学を発達させたと言いましたが、科学とは理科のことだけではなく、活字としての理論分野も含まれるので、理論も発達しました。

 宗教や思想に基づく法律が科学に敗北したというのは、理論に敗北したと言い換えてもいいわけです。

 ところが『世界人権宣言』のように、自分たちが作り上げた理論が足を引っ張って、科学的に腕力(Powerのこと)の弱かったり体調不良の多い女性は、それなりに補填やそれなりの対応が必要となります。

 そうすると、「女性は弱いから子殺ししても比較的しゃーない。」という認知が発生します。

 科学に敗北した人間が、科学が保障する女性概念に敗北した瞬間です。

 うーん素晴らしいですね人間社会。

 清く正しく健全だ。

 なんでしたっけ?正しさが大事なんでしたっけ?

 正しさに敗北したあなた方が、正しさを神輿に担いで社会的弱者に特権を与えた結果、あわや社会崩壊一歩手前まで行ってる欧米・欧州。うーん教育的だ。

 社会的弱者は今まで過去に不利益を被って来たのだからAA(アファーマティブ・アクション)によって、社会構造を破壊するのが大切だ!

 って言ってたら、社会は終わり向かったそうです。

 科学に敗北した人間が、科学が保障する社会的弱者に敗北した瞬間なわけです。

 人は結局、『勝てば官軍、負ければ賊軍』って話なんですよ。

 皆さんが、多様性推進に敗北してないように感じるのは、まだ皆さんが理解できていなからに他なりません。ただ理解できていないだけです。

 先程例に出した、過保護バカ親。あれだって端から見れば、親が勝利者なので正義のはずなんですが、親の当人は子供に負けたと自認しているので、親からすれば子供が正義なわけです。

 誰にとって誰が勝者で、誰が正義なのか、少しばかりテンポが早くて皆さんついていけてないだけなんですよ。

 だからテンポに追い付けば、すぐにあなた方は勝者につくはずです。

 他にも例えば、同じ文言でも社長が言うのと仕事が出来ない社員が言うのとでは、周囲の人間の取り扱い方が違うなんてのもあります。

 「疲れたらすぐに休むべきだ。」

 と社長が言えば「素晴らしい!」「敏腕社長の社員思いなところに感動しました!」「社長のその手腕に拍手!」となります。

 でも、仕事ができない社員が同じことを言えば、糾弾され迫害されリンチにされて虐められて殺されます。

 「お前みたいな雑魚がんなこと言うなよ。甘えんなカス」

 こういう類いの言葉が飛んでくるわけです。

 他には、令和の虎って見たことありますかね。

 本当に個人的な感想なので、楽しんでいる人には本当に本当に申し訳ないのですが、私あれ、あまり何が面白いのか分からなくて見てないし、もっも言うと何か不快なので見れないんですよね。

 あれって常に虎側の意見は常に正しいものとして扱われるじゃないですか。

 たまに虎の一人が「すげぇ!」って言ったりすると、その人より立場の弱い人、つまりその虎に対しての敗北者たちは同意せざるを得ないので、希望者側が勝者っぽくなったりしますが、「すげぇ!」って言い始めた人より勝者になることはできません。

 基本、その「すげぇ!」って言った虎に生殺与奪の全権がある状態が持続するので、そういう意味では敗北者です。

 虎側の意見が常に正しいものとして扱われてるのなんて、勝者だからですよね。

 社会的勝者だから、基本何言っても許される。

 そう勝者は何言っても許されるんですよね。

 逆に敗者は何を言っても許されない。勝者が許す敗者の発言が許されているというだけ。

 勝者が禁じればあっという間に撲殺される。

 他で、この手の話で顕著なのは、完全にお笑い界ですね。より売れてる方が正義です。

 だからより長く売れまくってる芸人が、ちょっと日常の賛否が分かれる事案に意見すれば、あっという間にそっちに流れる。

 売れてない芸人と売れてる芸人の会話において、マジでお笑いとは関係ない話だとしても、売れてない芸人に発言権とはほぼないです。敗北者ですから。

 まぁでも何が救いかと言えば、さっきも言ったように、人によって勝負の軸が違うので、例えばお笑い界の王者でも、お笑い芸人という肩書きが『アホっぽい』という認知を複合してるおかけで、政治的発言をしてみてもパッとしなかったりすることは多いですね。

 でも、『令和の虎』みたいな、『社長』みたいな、万能人の認知が複合されてる人だと、あら大変。何言っても正義の論理ですから正解になっちゃう。敗北者は大変ですよ。何言っても不正解ですからね。

 でね、私が今回何が言いたいのかと言うとね。

 勝者と敗者ってどうやって決めるんですかね?

 そりゃ勝負ですよね。

 君たちは、争いはよくないという科学論理との勝負の敗北によって、本当は人間の認知は勝負の結果を判断の材料にしているのに、それを是としてしまっては自分も敗北者になってしまうから、暗に勝負がこの世界では行われていないかのような認知のバグを起こして安定させているだけで、常に勝負は行われていますよね?

 なら、もうハッキリと勝負しちゃったらいいんじゃないですかね?

 いるでしょ。最後に負けてもいいから勝負してみたい人たち。

 負けて悪扱いされてもいいから勝負したい人たち。

 勝ったら正義ですよ。その人たちは。そういう世界観ですからね。

 こんなゴミみたいな気持ち悪い社会を、ワンチャンぶっ潰して、ワンチャンひっくり返せるなんてナイスなチャンス。

 どうせ生きてたって、ずーーーっと敗北者なんだから。ただただ生きてたってずーーーっと悪扱いですよ。

 悪扱いされてるうちは、ずーーーーっと迫害と差別です。あぁしんどいしんどい。最悪な気分ですね。

 人は悪には厳しいですよ。暗黙で容認された公式サンドバッグですからね。

 しかも世界は黒人や女性やLGBTみたいな、ラベリングした社会的弱者を救済するパフォーマンスを表立ってしたことで、「我々は弱者を救う心の美しい生き物です。」っていうマスターベーションまで完了させちゃったからね。

 ラベリングされてもないし、認知もされてない敗北しただけの社会的弱者とか誰も救ってなんてくれないよ。

 あいつら、自分らが弱者と定義した弱者しか救わないから。ラベルが貼られてない君たちは対象外。

 だったらワンチャンに賭けて、勝者になってみるのも悪くないと思うんですよねぇ。

 というか、ワンチャンに賭けて勝者になろうとして敗北した人たちが、犯罪者って呼ばれてるだけと思うんですよねぇ。

 ほらホリエモンとかって、何か皆ネガティブなイメージあるでしょ。あれって一回捕まってるからなんだよね。捕まってる人間なんて、法律に敗北した敗北者なんだから、賊軍、悪ってわけ。

 ホリエモンが捕まる前って、「時代の寵児が…」みたいな扱いだったからね。勝者まっしぐら。でも一回敗北者のラベルつけちゃえば、後はどうにでもなるの知ってる人たちが、強引に捕まえちゃったんだ。

 まぁ、そんなん誰が悪いのって聞かれれば……。

 
 
 
 
 



うん、敗北者が悪いですね

 
 
 
 
 


やはり人は、勝った者が正義という話。

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