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『生涯賃金』という考え方が的外れな理由
インターネットの皆さん
おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
社会人の皆さんなら、『生涯賃金』という言葉を耳にしたことが一度や二度はあると思います。自身の人生のピリオドを直視するしんどいテーマであるが故、あまり頻繁に聞く言葉でもないのかもしれません。
しかし、もしかして皆さん、この『生涯賃金』なるものを軸に考えて、生き急いではいませんか?
生涯賃金って何?
さて、生涯賃金とは何かを少しだけおさらいしましょう。まず生涯賃金がどのような文脈で主に用いられるのかと言うと、就職活動をしたり、学生から社会人になる過渡期だったり、将来のことを考えたり設計したりする際に用いられます。では生涯賃金とは何なのかと言うと、1人の労働者が生涯に稼ぐ賃金の総量のことです。要するに、あなたが一生のうちに稼ぐお金は全部でいくら?というお話になります。
多くの人が至る結論
ではここで直感的な結論を出しましょう。
「"一生のうちに稼げるお金"は多い方が良い?少ない方が良い?」と問われれば、「多い方が良い」と答えるのは当然です。これ自体には間違いもないでしょう。少ない方が望ましい理由を探す方が大変です。
ですが多くの人の思考がここで止まってしまいます。
「生涯賃金は多い方が良い」
↓
「だから1日も休まず働くのだ」
「だから一刻も早く働くのだ」
となっていませんか?この思考回路には重大な欠陥があります。
本当に考えるべきこと。
皆さんが人生計画の際に「○○という職業に20歳で就いて、70歳まで50年間働けば1億5000万円稼ぐことが出来る。」と考えたところで、今この場で1億5000万円が手に入るわけではありません。
「何を当然のことを」と思った方も、「未来は予想できないって話だろ?」と思った方も少しだけ違います。計画通りに事は運ばないという話をしているのではなく、これは『生活水準』の話です。
極端な例でイメージしてみましょう。生涯賃金が1億5000万円です。100歳まで生きる人と200歳まで生きる人の生活水準は同程度でしょうか?
たかだか一瞬で「違う」と即答できるはずです。明らかな不平等。同総賃金において、200歳まで生きる人間の幸福度が100歳で逝去する人間と同程度なはずがありません。
しかしこのプロセスを考慮しないのが『生涯賃金』という考え方なのです。生涯賃金では『生活水準』を考慮しません。
2024年現在、この不景気や物価高がいつまで続くのかは分かりませんが、皆さんがうすーく働いて70歳で2億円を生涯稼いだ場合と、体の自由が効いてストレスにも強い20代・30代には低賃金で40代にドカンと1億円、50代にもう一度ドカンと2億円稼ぐのとではやはり幸福度は違ってくるでしょう。累進課税のいちゃもんは受け付けてません。
まともに就職したのに賃貸マンションにも住めないなんて手取りだと日本が崩壊すると思うので、そこまで労働者の所得が劣悪になる確率は低いでしょう。しかし、月に20万稼ぐ人と40万稼ぐ人の生活水準は大きく違います。
50年間、月20万の手取りで働いた人の生涯賃金は50[年]×12[ヶ月]×20[万円]で1億2000万円です。
25年間、月40万の手取りで働いた人の生涯賃金も1億2000万円です。
生涯賃金では同じです。細かい条件が加われば一概して議論するのは難しいですが、両者がその生涯に渡ってどのような人生を送るのかは、想像に難しいものでもないと思います。
私は先ほど「その場で1億5000万円貰えるわけではない。」と言いました。これは生活水準を分散できないという意味です。20~30歳までの間は月80万の稼ぎの様な生活を送って、残りの人生は細々と生きようとかはできません。給与とは常に労働の対価であり、後出しであり、そして一定です。「○○という人生を送るから、先に想定される給与をまとめて頂戴」といった消費者金融のような給与システムは存在しないのです。
だから我々が真に考えるべきは『生涯賃金』ではなく、『生活水準』から逆算した稼得性能なのです。給与システムを月給と仮定するのならば、その月にどんな生活が送りたいのか。それを考えずに的外れな軸を盲信しているのであれば、気づいたら崖からフリーフォールしたり、止まれない新幹線に乗っていたりすることになります。
終わりに
さて、考えていたことの深さが大分浅瀬だった人も多いのではないでしょうか?全てを細かく語ることは冗長な話になり読み切るのも手間になってしまうでしょう。ですからそれはまたの機会にしますが、考え切れてないことは時間をかけてでも考えろ。ということです。
これを踏まえた上で「いや生涯賃金のセオリーに沿って働くんだ」というのであれば、それは『質の高い信念』であると言えます。しかし、『生活水準』や『稼得の波』『肉体の機能』『人生のリズム』を考慮しないで、ただ聞いたことがあるからという理由だけで生涯賃金の概念にしがみついているのならば、それは愚かだと言うことです。
是非、思慮深い人生を。
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