イトウの上京未遂について

イトウの人生は有数の気の利かない街である名古屋に始まり、ボタンのかけ違いが重なり大阪で働く事になり現在に至っている。今は朝起きたら穴を掘り、午後になったら穴を埋める。掘って埋めて掘って埋めてたまに飲んで。そんなかんじの気の利かない人生を送っている。

そんなイトウは東京に行くとちょっとだけ意識が高くなる習性がある。少し街を歩けば朝起きてから寝るまでの生活一コマ一コマ全てに値の張った「テイネイなクラシ」が提案されている。朝に一杯の美味しいコーヒーを淹れる為の様々な器具にスタイリッシュな食器とキッチン用品、本革のステーショナリーに快適な睡眠…。よし。イトウも明日から丁寧に穴を掘ったり埋めたりしよう。ん、なんか違うな…。なんて思いながら時速300キロで2.5時間ぶっ飛ばして帰宅する。

イトウは人生で二回東京に行こうと思った事がある。一度は就職、一度は恋愛だった。結論は行かなかった。というより行けなかったという方が正しいかもしれない。気の利き過ぎた東京でテイネイな暮らしをして、複雑な乗り換えを使いこなして街を闊歩している自分がどうしても想像できなかった。そして何よりも決定的な意味で名古屋に戻れなくなるのではないか、という恐怖心があった。つまりイトウは人生で二回東京に負けているのである。そして、イトウが東京に負けている間に大切な人は東京へ行ってしまった。

イトウは名古屋が好きだ。名古屋ほど排他的で現実的な街もなかなか無いと思う。繁華街は午前1時を過ぎればベッドに潜り込むし、人目を惹くような観光地もない。それぞれの駅には必要最低限の施設と娯楽があるだけだ。そして、名古屋の人は名古屋を出ない。イトウ家も代々名古屋人だし、ここを出るという時はかなりの驚きと憐れみを受けた。唯一名古屋の気の利くところといえば喫茶店のモーニングくらいではないだろうか。でも好きなのだ。

名古屋を考える時、イトウは近所の川とその桜並木道を思い出す。駅も近くにはないし、大した名所でもない忘れ去られたような場所だ。小さい時には父と弟と小魚をすくった。中高生の頃は当時の彼氏と蚊に刺されながら川へ降りる為の階段に座り話し込んだ。今は亡き祖母と桜を見に行った。病んだ時は泣きながらでかいママチャリに乗り一人で川沿いを疾走した。(今思えばただの変態不審者である)
名古屋は自分から探さなければ「ステキな何か」を手に入れることはできない街だった。

大阪や東京では「ステキな何か」は向こうの方からこちらへやってくる。もう、お腹いっぱいでもさらにやってくる。どんどんやってくる。
どこに行っても駅を出ればすぐに楽しいこと、美味しいもの、ステキなものに溢れている。その中でもっと楽しいことをしたいと思う。もっと美味しいものを食べたいと思う。もっとテイネイに毎日を生きたいと思う。どんどん時間が過ぎて行く。

でもふと悲しくなる。都会で押し付けられる「ステキな何か」や「テイネイなクラシ」を享受し続ければ、あの川沿いすらいつか色褪せて見えてしまうのでは無いかと。それがイトウの東京へ持つ恐怖心なのだ。どこに行ってもどんな暮らしをしたとしてもこの感覚は失くしたくない。

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