わたしの好きなものこと3


"君は思ってただろ 僕のこと 

いつも本のページに鼻先突っ込んでるばかりの奇妙なやつだって"


仕事が不定期だったり、動物と暮らしていたりして、長いこと全然旅行に行かない生活をしている。でも、どこかに行きたくないわけではなくて、いつもマンションのベランダや市街地のビル越しに空を眺めては、この狭苦しい空が繋がってるどこか、もっと広い空があるここではないどこかへの憧れは持っている。しかしとりあえず物理的に移動ができないわけで、そうなるとせめて本やらなにやらの力を借りて、頭の中の小旅行を楽しむぐらいが日々の小さな楽しみである。でも、そんな時、わたしが手掛かりにするのは地図ではなくて、文章の中に散りばめられた「場所」の描写、言葉のイメージが多いなあと思う。地図を辿るほどその場に行けるリアリティを感じないせいかもしれない。あるいは、一枚の異国の写真、その中に映り込んだ些細なもの、揺れる洗濯物、西日の当たる海岸、テーブルの上の厚ぼったい素朴な水さし、そうしたものを手掛かりに、その場の空気や湿度、どこからか風に乗って流れてくるラジカセの音楽やら、そこにいる「気分」を想像するのが好きだ。そうして、頭の中でイメージした滅茶苦茶な断片をコラージュした勝手なパラレルワールドの外国に憧れながら、しょぼくれたインスタントコーヒーを飲み終わって、はい、わたしの小さな逃避行は終わる。

しかし、最近、長患いの猫との悲しい別れがあり、毎日家に看護のためにへばりついていなくてもよくなった。とても、とても愛していたので喪失がつらい。家にじっとしていると、かつて猫がいたあらゆる場所にその猫の面影が立ちのぼり、不在を思い知り涙がにじんでしまう。悲しみに飲み込まれそうなので、たまには、どこかに、行ってみるかなあ。(ところで、もう一匹猫はいるのだが、彼女はまだまだ若く健康なので、1週間ぐらいなら家人に面倒を見ていてもらえるだろう。て、家人は置いてけぼりなのか、かわいそうね。)そう思って最近はちょっと、アムステルダムの地図などを見て、行ってみたい劇場の場所などを確認してみた。ほんの少し、胸がときめいた。筋金入りの出不精にしては、ちょっとした進歩かもしれない。


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