my history~わたしはわたしでしかない~③
2002年、私にとってのターニングポイントとなる年...。
その年の1月。
私はピースボート(世界一周の船旅)の説明会に参加していました。
単純に「行きたいなぁ」と思っていた私でしたが、
「まずは行くって決める。そこからあとは考えたらいいよ。」
説明会場のスタッフさんに言われたことがきっかけで、
ピースボートに乗ることを決めました。
父は大賛成でしたが、母は大心配。
結局、母はOKを出してくれました。
本当に親に恵まれてる、私なのです。
大学を一年休学することにし、5月から8月の104日間の
船旅に行くことになります。
そもそも、これまで人生のレールを外れることなく、生きてきた私。
なんだかこのまま普通に大学を卒業して、就職して、結婚出産…。
という、ある意味人生のレールに乗るのが嫌になって、
脱線したくなったのです(笑)。
そう、ここから本当に脱線した人生を歩むことになるとは…。
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2002年5月3日。神戸港からピースボートに乗船。
北半球周りの19か国を周りました。
寄港地は、上海、ダナン(ベトナム)、シンガポール、マーレ(モルディブ)、エジプト、ピレウス(ギリシャ)、ドブロブニク(クロアチア)、トリポリ(リビア)、ビルバオ(スペイン)、ロンドン(イギリス)、アムステルダム(オランダ)、オスロ(ノルウェー)、ベルファスト(北アイルランド)、ポルトガル、ハバナ(キューバ)、エルサルバドル、アカプルコ(メキシコ)、バンクーバー、カムチャツカ
当時その船、オリビア号は約600人の乗客を乗せる貨物船みたいな船でした(笑)
お金のない若者は船底の一番安い4人部屋。
乗客も9歳から91歳のおじいちゃんまで。本当に濃いメンバー勢揃いです。
この三か月。私の中では、
一か月目、船生活(人や環境など)に慣れるのに必死。
二か月目、ちょっと慣れてきて楽しくなってくる。
三カ月目、ちょ~楽しい!!!!!\(^o^)/
こんな感じ(笑)
船の中の食事は朝、昼バイキング。夜は席が決められていて、食欲旺盛な若者はぷくぷくと太るか、船酔いで痩せるかのどちらか(苦笑)
ピースボートの良いところは、「自分が主役」になれるところ。
船の中は本当に自由で、ただただ寝ていてもいいし、いろんな講座に出ずっぱりでもいいし、一日海を見ていてもいい。
自主企画もできる。
「一日の目標を言おう」とか「日記を書こう」とかふざけた企画でも通る。
このふざけた感がすっごく楽しかったのであります(´艸`*)
いろいろ参加しましたが、船上ミュージカル「コモンビート」は、本当に参加して良かった!!
もともと、宝塚歌劇団が好きな私。ミュージカルは観るものだったけれど、演じることにも初挑戦。みんなで歌ったり、踊ったり、ミュージカルを通していろんな人と仲良くなれたのも貴重でした。
いま思えば、21歳の若い時にピースボートに乗れたことが私にとって
ひじょ~に貴重な経験になったと思います。
いま、若い子が世界に出て行かないのがもったいない。
下船して、みんなからどこの寄港地が一番良かったと聞かれたら、
当時の私は「エルサルバドル」って答えてました。
内戦を経験した自分と同い年の子たちの生々しい体験談を聞き、それでも彼らは明るくて、たくましいなって思ったから。
あれから18年ー。
乗船していた若者は結婚して、家庭をもち、リタイヤ組は年をとり、この世を去る人も…。
あの時、決断して乗っていなかったら私の人生はどうなっていたかな。
写真が実家にあるので、お見せできないのが残念です(T_T)/~~~
今日も最後まで読んで頂き、心優しい皆さん、本当にありがとうございました!!
次回もお愉しみに?
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