車でいくところ。

 学校というものは主体性が伴わければそれはそれは地獄のような空間のわけであって、僕は小学校や中学校というものになかなか上手く溶けこむことが出来なかった。最近よく夜10時過ぎに子供たちがNのリュックのヤバイ塾でお馴染みの日能研のバックパックを担いでいるのを見るのだけど、最近の子供はなかなかにハスラー気質でこのままunitの端の方で代官山に住んでますみたいな美容師見習いの女の子とホテルでいろいろ勉強しちゃうんだろうなとか思う。思うのはそれだけではなくて僕の通常の方の脳(ブラック・ブレイン)ではない方の脳(そんなものがあればいいのにね)が思うことは、この子達、眠くないのかな。とかそんなに勉強しても一握りの天才にみんな負けて膝まつくんだからあんまりその習慣アドバンテージにならないよ。とか大人としてどうなのみたいな事をついつい思ってしまってそれを隣を歩く友達だったり恋人だったりに話してげんなりした顔で笑われるのが世の常。

 僕は小学校中学校に行かないで何をしていたかなんだけど、そのときは毎日昼の2時から夕方6時まで個別指導の塾に行っていて、そこでは勉強をしたり40過ぎのおじさんからギターを教えてもらったり、一緒に近所を散歩したりして、時々プロジェクターで映画をみたりして過ごしていた。僕はみんな逃げてしまえばいいと思う。辛いことがあったら逃げてしまえばいいと思う。だから僕は結構逃げ足の早い大人になってしまって、大体3年で引っ越すという生活を16歳の時からしている。あと1年頑張ってオリンピックの年に引っ越す人生を贈ろうと思ったことも何度かあるんだけど、オリンピックの足の速さは僕にいつまでも追いつかないままなのである。

 まあそんなこんななアーバンシティライフキッズだったから父親も少しは心配してたみたいで、ある時仕事を休んだ父親の車に乗せられてドライブに連れていかれた事がある。親子関係は良好だし、僕の問題点といえば性格の歪がポアソン数を突破してもう完全に座屈してしまっている事ぐらいでまあそれなりにそれなりの家族ライフも兼用していた。僕の愛しのサードプレイスイズ家。

 確か多摩川の方を車で走っている途中に琵琶湖をひっ繰り返したみたいな大量の雨が降ってきて、それはもう雨で。THE雨。サカナクションもびっくりだよっていう雨で、僕はそっちの方には明るくないんだけどデスメタルとかの雨だった。まあそんな雨も結構すぐに晴れたりして、お約束みたいな感じで目の前に虹が広がってて、またまたお約束みたいに父親が虹のはじまりを見てみようとか言ってて、少しうんざりとかいうか変な胸の高鳴りみたいの感じつつも虹のはじまりかあとか思った。

 虹のはじまりを探す僕達のロードムービは夕方の4時くらいに始まって結構すぐに終わったんだけど、それは父親が今日仕事を休んだ理由が母との結婚記念日で、どこかのホテルにディナーにいくからで、僕はそのまま青南小学校の裏の祖父母の家に連れて行かれて、虹のはじまりってそういうの本当のあるのかなとか思いながら幼少期を過ごした。それと小学校も中学校も結局殆どいかなくて、高校は国立のところにいって、東大受かってでも京都の大学にいって、今はそろそろ新しい引っ越し先を探している。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?