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増尾城探訪(千葉県柏市) 2020年3月

増尾城の歴史

手賀沼へと注ぐ大津川の支流に沿う台地上にある増尾は14世紀の文書にも出てくる歴史ある地域。現地解説板によると、増尾城は戦国時代に築城され、小金城の高城氏の家臣の平川氏が拠った城と推測とあるが、増尾城に平川氏が拠ったかどうかは伝承の域を出ないと「東葛の中世城郭」。伝承が信じられる背景には、現在でも周辺に平川姓の旧家が存在することがあるようだ。増尾城に拠ったかどうかはさておき、平川氏が高城氏の家臣であったことは「高城胤則書状」で証明されるとある。豊臣軍の小田原攻めの際には、小田原城に籠った高城氏に代わり、小金城を守った一人が平川氏。小金城開城後、同じく高城氏家臣の鷲野谷城主・染谷氏とともに窮状を旧主君に訴え、家臣の窮状を嘆き悲しむ内容の返書が「高城胤則書状」。

宅地開発が進む柏市域にあって、戦国期の城郭遺構が見事に残るのが増尾城。「首都圏発 戦国の城の歩きかた(西股総生著)」でも詳しく遺構が解説。小規模な城郭ながら、技巧に満ちた遺構が見やすく、「戦国の城の歩きかた」を片手に、遺構を味わう目を養うにはちょうど良い城郭。

撮影地点

現地解説板の地形図に撮影地点を記す。
クリックでTwitter投稿の撮影地点図が別ウィンドウで開きます。

増尾城主郭部・副郭部

南にある駐車場から城址公園入り口を入ってすぐ立ちはだかる櫓台を地点Aから眺める。
立体写真
地点Bの空堀の底。
立体写真。
地点Cから空堀越しに副郭を囲む土塁の折れを眺める。
立体写真。
地点Dから副郭を囲む土塁の折れを再び。
立体写真。
地点Eから眺める副郭土塁北西外側の空堀。折れた副郭の土塁と平行に空堀は続く。空堀の左手に低い土塁があり、その向こうは低地へと落ちる。空堀は腰郭のようなものか。
立体写真。
北西側の低地まで下り、地点Fから副郭を見上げる。結構な高さを感じる。副郭の土塁の手前には腰郭のような空堀と土塁。
立体写真。


地点Gの主郭の土塁に上がる。土塁の幅はなかなか広い。
立体写真。
地点Hの土塁上から副郭を眺める。城内で最も高い場所かもしれない。
立体写真。
地点Iから低地を見下ろす。
立体写真。
副郭の土塁の上、地点Jの横矢掛かりから低地を見下ろす立体視。
立体写真。
副郭の土塁が折れる地点Kから郭の外側を眺める。
立体写真。
地点Lの櫓台から空堀を眺める。空堀へ横矢をかけられるようになっている。
立体写真。


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